思い出貼 二股停車場 明治45年(大正元年)まだ、南部が大夕張で、北部大夕張は未開発。終着駅は二股(南部)だった頃の大夕張。大夕張炭坑株式会社の二股停車場(旧南大夕張駅)。 後ろの大夕張炭坑選炭場の屋根に当時の社紋が見えます。 明治45年(大正元年) 二股停車場(旧南大夕張駅) 大夕張炭坑株式会社の社紋 &… 続きを読む
運んだ、石炭を人を ボンネットバス 昭和33年頃の三菱バス営業所。三菱鉱業バスが大夕張地区内を走り始めた(山内バス)当初、ボンネットバス2台での運行でした。 三菱バスの旧塗装色は、なぜか『都営バス』の塗装と同じだったそうです。 (注)下は白黒写真に色づけをしたもので、本物と同じかどうかはわかりません。まあ、そこまでこだわる人はいない… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 山内バス開通式 昭和31(1956年)年9月6日、炭鉱病院横の、車庫で大夕張地区内を走る山内バスの開通式が行われました。 当時三菱美唄鉄道バス。 昭和36年に、三菱鉱業バスと名称変更。 当時、大夕張地域を走るバスを「三菱バス(みつびしばす)」と呼んでいました。 秋晴れの午後の開通式。 カメラマンの足下の影が長く伸び… 続きを読む
1丁目1番地 『出発進行』『三菱大夕張炭鉱坑口地図』 『三菱大夕張炭鉱坑口地図』は、資料をもとに、地図上に打ち込みました。大夕張を訪ねて、坑口までいくことができたのは、道路から入っていける、ほんのわずかですが、本来は、試掘のあとなども含めて多数あるのだろうと思います。こうして地図の上に位置を置いてみると、礦業所の奥の山深く、地中深く、坑道が掘られていた… 続きを読む
大正 1920年(大正9年) 4月 1日,大夕張尋常小学校に高等科を併置,校名を大夕張尋常高等小学校と改称。この時児童数尋常科436名(8学級)高等科32人。 大夕張土工請願派出所に1名請願巡査配置。(11月廃止) 6月 私設消防隊を改編し,大夕張義勇消防組創立。(二股・六尺・若葉)人員を60名とし,初代組頭に新豊利右衛門就任… 続きを読む
大正 1919年(大正8年) 4月 大夕張尋常小若葉特別教授所を大夕張尋常小学校若葉分教場と改称。8月 1日一級町村制の施行に伴い、大夕張→南大夕張、北部大夕張→大夕張と改める。8月1日正式公布。 南部コークス炉完成。9月 東北帝大矢部理学博士,三菱鉱業今井孝次郎博士が北部大夕張に石炭を発見する。36尺層露頭採炭(常盤沢露天堀個… 続きを読む
大正 1918年(大正7年) 2月 滝の沢斜坑,開鑿。二股選炭場隣に骸炭製造を計画,ビーハイブ式窯52の建設に着手。4月 10日,三菱合資会社から炭坑部が分離して,「三菱鉱業株式会社」を設立。6月 14日,二股駅を大夕張駅と改称。7月 三菱鉱業が北部大夕張(鹿島)を調査し始める。北部開発第1次案として北部-万字間鉄道調査。万字の… 続きを読む
大夕張の町名 町名の移り変わり 大きく3回、町名の変更がありました。1919年(大正8年)・1942年(昭和17年)・1969年(昭和44年)です。 今は町は、大地もその名と共に存在せず、ダム湖の道路にかかる橋に名残をとどめるのみです。… 続きを読む
大正 1917年(大正6年) 4月 1日,大夕張尋常小学校補習科修業年限2年を設置。 【夕張市人口 35325 : 大夕張地区人口 - 】【大正7年以前出炭量累計:185.315t】 (※この項これ以降、三菱鉱業社史資料による) … 続きを読む