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昭和45年岳富町商店街(スライドショー)

昭和45年頃、岳富町商店街。写真に写っている店は、小原楽器から宝町側の商店。

それぞれ、小原楽器と宝町側からの両側からとった2枚の写真となります。

二枚の写真でスライド。

田村商店 【泊川俊徳】(2006/10/28(Sat) 13:47)


 小学校6年の頃、代々木町から常盤町に引越して、小学校はまだ鹿島小学校に常盤町から通いましたが、帰り道、岳富町商店街を通り、田村商店でよくくじを引いて帰りました。

 

 田村商店の主人は、坑内の仕事の経験も有り、父の知り合いだったそうです。

 

 そんなんで、くじも随分オマケしてくれました。

 

 10円か20円で、くじの景品を多く貰った事が有りました。

 

 大夕張の今は、以前の建物は全部解体されてしまい無人の街。

 現在はダム計画で作業用の建物が建てられ、懐かしい大夕張は、写真でしか見られませんね。

 

 今と成っては、写真も歴史的資料財産ではと思います。

 

 これからも大切に保存して

欲しいですね。

岳富町商店街と私【飯田 雅人】

岳富町はゆるやかな窪地に沿って商店が立ち並んでいました。私の記憶は自転車に乗ってこの街に出かけた記憶ですから、昭和40年前後から昭和46年頃まででしょうか。

小学生の頃,夢中だったプラモデルを求めて,中ほどにあった玩具屋さん、(田村模型店、銀髪の年配のおじさんがいました)に買い物にきました。この写真では、歩道にひさしがでていて、雑貨が下がっているように見える店です。『田村商店』の看板も見えます。

加川スタヂオが中間くらいのところにありました。当時から素敵な建物で周囲の画一的な似たような造作と異なり、前面に庭を配し写真館らしい個性的な建物でした。小学校の学級写真といえば加川さんがきてくれていました。

やや緑町よりのところには、『武田自転車店』があり、四角いお顔に黒ぶちの眼鏡をかけ,いつも白いつなぎの作業衣を身につけたおじさんの姿を思い出します。パンクなどの修理の時には、ここでお世話になっていました。

中学生になってからは,登下校の時に『小原楽器店』の前にはってあったレコードのジャケットや広告を眺めることが,新譜の貴重な情報源になっていました。娘さんとは確か同級生です。

緑町よりにあった『小田桐履き物店』は、小学校中学校 を通してこちらも同級生に娘さんがいました。

「ふるさと大夕張」を始めて、たった一度だけ同窓会にでたことがありますが、今となっては、小中学校は本当に遠い、記憶です。今はどうしているのだろうか。

大夕張 岳富町
昭和43年当時の住宅地図による商店街配置

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