月: 2020年10月

交通信号機 |高橋正朝 #6 続・大夕張つれづれ

交通信号機 |高橋正朝 #6

 我々の子ども時代、大夕張には交通信号機がなかった。  交通信号機自体は、絵本、マンガ、テレビ、映画などにでてくるから知ってはいるのだが、実物を見たのは、夕鉄バスに乗り、見学旅行で初めて札幌に行ったときだった。  鹿島東小学校4年生のときだった。  古谷製菓と北海道新聞社を見学した。古谷製菓では、オ…
炭住脇のスキー 楽しかった日々

炭住脇のスキー

昭和37年頃、冬。竹ストックとカンダハー(カンダハン)のスキー。 窓の外のスキー場 【飯田雅人】  弟が2歳くらい、自分6歳の頃の写真です。  トタン屋根から落ちた雪はそのまま積もり、この年齢の子どもが遊ぶには、かっこうの傾斜が付きました。  父のスキーが立っていますが、当時のスキーは、長くて重かっ…
『東京家族』、そして『あの橋の畔(たもと)で』|ziny 随想

『東京家族』、そして『あの橋の畔(たもと)で』|ziny

 またまた当選して、今、うわさの「東京家族」の特別試写会へ行ってきました。  弟が生まれた昭和28年につくられた小津安二郎監督の「東京物語」の現代版です。  スカイツリーや、横浜の観覧車も登場します。故郷から遠く離れた東京で暮らす子供たちを老親が訪ねるお話。  ふるさとを離れて、それぞれの生活リズム…
昭和48年 松本菓子店前の歩道 楽しかった日々

昭和48年 松本菓子店前の歩道

昭和48年、閉山が決まった年の夏。栄町商店街の一角。松本菓子店の前。 隣が佐藤時計店(キンセイ堂)。向かいには、購買会から続く、7軒の商店が写っています。 歩道を歩いている当時の目線を思い起こします。 「こんにちは」と声をかけたくなる写真です。栄町商店街の街のひとこま。 商店街の歩道。三輪車に乗った…
川に落ちた話|Kawauchi Masami 思い出の記

川に落ちた話|Kawauchi Masami

 シューパロ川で遊んでいて、滑って転んでしまい、服が上から下まで、べしょ べしょに濡れました。  小学校低学年の頃です。  「母親に叱られる」と、途方に暮れていました。『どうしょう』と、思っていた時、目の前に、母の好きな ミツパが有ったのです。  すかさず、山菜の三つ葉を取り、母に「三つ葉を取ってい…
昭和30年 栄町の商店街 思い出の街角

昭和30年 栄町の商店街

昭和30年頃、冬。未舗装道路は、冬で足場がぬかる。 『大夕張銀座』と謳われた、大勢が行き交い、老若男女がにぎわう街の風景。 『錦呉服店』の看板が見えています。同級生等がいた伊藤玩具店、帯向商店、本間商店などともに、このあたりの印象は深いものがあります。  本間商店の前あたりから写した写真かと思われま…
常盤橋 思い出の街角

常盤橋

 昭和45年頃。常盤町と、明石町をつなぐ常盤橋。昭和20年代、陸路で結ばれるまで、千年町と明石町を結ぶ大切な橋だった。昭和30年代、大夕張ダムの建設に伴って、常盤町にかかる他の橋と共に新橋に架けかえられた。 サトミ公園  【飯田雅人】(2020年10月2日)  常盤町からこの橋を渡るとすぐにサトミ公…
昭和20年代 富士見町 大夕張の全景

昭和20年代 富士見町

昭和20年代 富士見町。スキー場近くに、住宅が後日、建てられます。武徳殿から南の方角に、浴場のような建物がたっています。 この写真より後のものと思われる、富士見町の写真は、次のページから。 https://ooyubari.com/2020/09/21/fujimi29/…
1969年(昭和44年) 昭和

1969年(昭和44年)

1月 10日,大夕張炭山営林岐線撤去。  2月 4日,朝登関帰郷。  6日,健保会館で、十両優勝祝勝会。 17日,雪害の為9日公休を8日に振替。3月 大相撲3月場所朝登初入幕(西前頭10枚目)4月 1日,鹿島東小第5代木村四郎校長。 >町名改正。【鹿島明石町(明石町)鹿島千年町(千年町と錦町の一部)…