12月のある夜の出来事 

2092

 かつて『ふるさと大夕張』の掲示板に投稿された一つの出来事にまつわるおはなし。

 2004年の12月、『ふるさと大夕張』の掲示板に、街中で出会った一人の老女との出来事について書かれた投稿がありました。

 投稿者は、札幌に住んでいる若い年代の方と思われました。

 その投稿を巡って、小さな感動が生まれ、結末をみることになります。

 のちに、そのお話をもとにした、心温まる一つの物語を生みだしました。

 発端となった、その投稿を紹介します。

 


道端で迷っている人が大夕張の人でした 【さっぽろっこ】 2004年12月14日

 はじめまして。

 『大夕張』と検索して、ヒットしたのがここのサイトで、充実した内容に正直びっくりしました。

 なぜ、大夕張に興味をもったかというと、以下のようなエピソードがあったからでした。

 ・・・

 今日、札幌の大通りを歩いていたら、おばあさんが、

 「三菱バスの停留所がない」と、目に涙を浮かべて、悲しそうに私と友達に、声をかけてきました。


 私は三菱バスという名前を札幌では聞いたことがなく、おばあさんに、

 「どこに行きたいの」と聞きました。


 するとおばあさんは、

 「夕張に行きたい。このへんにバス停があるはずだ。午後6時50分のバスに、私は乗りたい」といいました。

 けれども、出会った場所には、バス停らしきものはひとつもなく、加えて札幌にずっとくらしている私ですら、この辺には、小樽行きと、市バスのバス停しか近くにないことを知っていたので、おばあさんに

 「札幌駅のバスターミナルにあるんじゃないですか」と尋ねました。

 おばあさんは、

 「いや。このへんだ。バス停はないかもしれないけど、バスは止まるはずだ。」といいました。

 とりあえず、おばあさんのいうとおりに少し歩きましたが、あまり歩き回るのはおばあさんにとっても、寒い中大変であろうと思い、ちょうど近くに中央警察署があったので、バス停を探してもらうことにしました。

 すると、大通公園の方から夕張行きのバスがでているという情報を得ることができたので、私たちは、おばあさんと一緒に、そのバス停まで一緒にいきました。


 そのときは、まだ17時で、おばあさんは18時50分のバスまでどうするのかな。と不安になりながら、とにかくバス停にたどりつけば、あとは近くの喫茶店で、時間をつぶしてもらおうと思いおばあさんと一緒に、バス停に向かいました。

 おばあさんは、少し疲れた様子と、まだバス停が見えない不安から、少し動揺したようでした。

 「今どこにいくの?バス停はどこ?」

 何度も私たちに聞いていました。

 私はとにかく、彼女は夕張まで行くバスに乗れれば、なんとかなるだろうと思い、バス停を探し、ともに歩きました。

 グランドホテルの裏だったので、そして、かなり探し回っていたようで、足がおぼつかないにもかかわらず
必死になって凍った道を歩きました。

 無事にバス停に着き、友人がバス停の時刻表をみて、

 「清陵町行きのバスが17時30分に来ますよ」といいました。

 このときは17時15分。

 19時までまちぼうけせずにすんでよかったと思いました。

 しかし、おばあさんは、また不安そうに、

 「大夕張に止まるかしら」と言いました。

 そこまでは私にきかれてもわかりません。

 でも、とりあえず夕張に行くことができることに安心したようで、

 「もういいですよ。」と、私たちに告げ、彼女はバスを待っていました。


 私も友人も、最後まで見届けたかったのですが、おばあさんから、「もうかえっていい」という、繰り返しの言葉と、用事もあったことから、最後を見届けずにわかれました。

 彼女は無事に着いたのかな。と ちょっと心配でした。

 今日、家に帰り、おばあさんが大夕張に無事にたどり着けたかな?という思いと、大夕張は、夕張市内あるいはバス停である清陵町からそんなに遠いのかなと思って、大夕張のことを調べようと、ネットでこのページを見つけました。

 そして私にとって、不思議な一瞬の出会いだったので、ついつい書き込んでしまいました。

 
 ちなみに、私と夕張の関係は、今年の5月くらいに『北の零年』のエキストラで、あのセットのところにいきました。

 夜中までおこなった撮影でしたが、とってもいい思い出をつくることができました。公開が待ち遠しいです。
また、学校の先生から、高倉健の「幸せの黄色いハンカチ」をすすめられ、今年初めて見ました。

 とってもすてきな映画で、古さを感じさせない面白いストーリーですよね。

 このように今年は、わたしにとって、夕張という言葉が、少し身近なものとして感じました。



 ・・・この投稿は、実際には、次の日、すなわち12月15日の午前中に、投稿されました。

 このおばあちゃんが、その後、どうなったのか、無事に、たどり着いたのか、ちょっと心配になりました。

 この投稿された方も、『北の零年』のロケセットが、夕張市の中の大夕張であったとは、気づいていない様子…。

 

 そして、続けて、その日の夕方。

 このおばあちゃんについての投稿がありました。

 それは、ご家族の方からのものでした。


大変ご迷惑かけました  【山口】  2004年12月15日


 道に迷っていたのは、多分うちの母です。

 アルツハイマーの症状があり、今回はじめて行方不明になりました。

 昨夜、七時三十分ごろ、北八条西四丁目のお店で、保護されました。

 無事戻ってきました。

 その前の状況が、よくわからなかったのですが、この書き込みでよくわかりました。

 大変ご迷惑をかけました。

 ありがとうございました。


 

 ・・・無事に保護されたと聞き、ほっとしました。

 

 そして、この大夕張のおばあちゃんを巡るやりとりに、投稿した『さっぽろっこ』さんをはじめ、書き込みが続きました。

 それらの投稿は、次回紹介します。


備忘録

1件のコメント

  • あれから、16年経ちましたか。おばあさんと大夕張行きのバス停。それを一緒に探してくれた通りすがりの人。お礼のご家族の投稿。
    僕の父も朦朧とした意識の中、住所を聞かれると、大夕張栄町と答えていました。
    心がホツコリする、いい話です。

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