乾電池 その1|高橋正朝 #52
この投稿を書き始めたとき、我々の年代が、子どものころのナショナルとサンヨーのロゴマークを貼り付けましたが、結論として、それらのロゴマークの貼り付けをやめました。
理由は、ロゴマークにも著作権があるからです。
著作権の例外使用からすると、『 ふるさと大夕張 』のようなものの記事のなかで貼り付けるのは、問題はないと思われますが、熟考し、1度貼り付けたのものを削除しました。
ナショナルとサンヨーのロゴマークを貼り付けようとしたのは、両者のロゴマークの比較のためでした。
ネットで検索すると、両社のロゴマークの変遷がわかります。
ナショナルは、大枠をアルファベットの N であしらい、円を横切る形で、ナショナルとカタカナで書かれています。 我々の年代の子ども時代にお馴染みのロゴマークです。
円の内部の1時の方角と7時の方角に、稲妻があります。
稲妻マークは合計2ケ描かれている。 子ども心に、この稲妻は、電気を意味するのだろうなぁ〜という感想を持っていました。
ある日、すでに明石町番外地に引っ越してきていた 柿崎徹 さんが、松下電器と三洋電機は兄弟会社だと言いました。 理由は会社のマークが似ていると言うわけです。
我が家にあった乾電池は、新しいのも古いのもゴッチャ混ぜであったが、ナショナルとサンヨーだったので、すぐに比較できた。
なるほど、両社のロゴマークはよく似ている。
当時の三洋電機のロゴマークは、円を横切る形で、サンヨーとカタカナで書かれている。
稲妻マークは、円の1時の方角から7時の方角に走っている。 こちらのロゴマークの稲妻は1ケだけだが、発想はよく似ている。
柿崎徹 さんは、注意深くよく見ているなぁ〜、と感心したものだった。
当時、マンガ雑誌の読み物記事のなかで、よく事業成功者のことが複数紹介されていた。 筆頭格は、ほとんど 松下幸之助 である。
その次は、雑誌の編集の都合によるのか、そのときどきで、紹介順序や登場人物は違ったりするが、ホンダの 本田宗一郎、シャープの 早川徳次、が三傑という感じだった。
私が読んでいたマンガ雑誌の範囲になるが、三洋電機の創業者、井植歳男 のことは載っていなかった。
ソニーの 井深大 と 盛田昭夫 が登場するのは、もう少し後だ。
したがって、松下幸之助 と 井植歳男 の関係について知ることになったのは、私が20歳ぐらいのときだ。
経済雑誌だとか総合月刊誌を、たま〜に読むようになってからのことで、それらの雑誌で、両者と両社の関係、三洋電機の出発時点の、松下電器と三洋電機の協力関係がわかるようになった。
今は、ネットで検索できるので、簡単で便利になったが、当時は、疑問に思ったことをすぐに調べることは、実際には不可能だった。
上記の、松下電器と三洋電機のことは、偶然に読んだ雑誌の記事だった。
それにしても、鹿島東小学校4年生の 柿崎徹 さんの注意力と直感は、大したものだったと、今でも思う。
(2021年8月8日 記)
昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。以後、仕事の関係で海外で長く生活。現在は、タイ、バンコクで暮らす。
ナショナルとサンヨーの関係をネットで調べてみて、はじめて知りました。歴史ですね。
子どもの頃、あんまりものごとを考えないで、過ごしてきたからなあ笑。
『類似のロゴ』で検索すると、いろんな記事が出てきて、企業や、デザイナーは、ロゴには気を遣っていることがわかります。