月: 2023年4月

北海道弁•••かます・かまかす | 高橋正朝 #142 続・大夕張つれづれ

北海道弁•••かます・かまかす | 高橋正朝 #142

      前回、# 141〘 まかす・まかれる 〙のFB 版に、成田利夫さんが、〘 かき混ぜる 〙の北海道弁〘 かます 〙のことに言及していました。  〘 かき混ぜる 〙の北海道弁としては、〘 かまかす 〙があり、私は、その北海道弁はしっかり覚えていましたが、〘 かます 〙はすっかり忘れていました…
土手から鹿島小学校グラウンド 1997 思い出の街角

土手から鹿島小学校グラウンド 1997

   最初にネタばらし的なことを言うと、ほぼ同じ場所から撮った写真を一枚に合わせた写真。  一枚は旧大夕張駅の建物とイタヤカエデを入れて、そして次にピッチャーマウンドのあったりとバックネットを入れた写真をそれぞれ写した。    だからこうして残され、一枚になった写真といえる。    この場所から右を…
鹿島小学校グラウンド横の土手 1997 思い出の街角

鹿島小学校グラウンド横の土手 1997

鹿島小学校グラウンドバックネットのあたりから、教会・聖心幼稚園の建物とテニスコートの並び。   大夕張カトリック教会が実施していた日曜学校(学習塾)の帰り、土手の上をゆるやかに下り歩いていくと交差路にでる。   左にいくと神社の山に向かう道、右に行くと鹿島小学校の校門の方に下る。   まっすぐ行くと…
鹿島小学校 1997 思い出の街角

鹿島小学校 1997

  鹿島小学校グラウンド横にあった『土手』のあたりから見た閉校直前の鹿島小学校校舎。     1997年5月18日撮影 昨年大夕張を十数年ぶりに訪れる前に、何度も南部大宮町から先の国道452号をグーグルマップで『走った』 そして何度か『通り過ぎ』、鹿島小学校の『看板』をみつけた。     上の写真と…
神社下から夕張岳 1997 思い出の街角

神社下から夕張岳 1997

「ダムに沈む前に写真を撮っておこう」 そう意識してから最初に訪れた時が1997年の5月だった。 鹿島小学校閉校式の一か月前だった。      その時に写した写真の一枚だが、それらの写真が自分にとって、一番印象に残っていた場所だったといえるかもしれない。   心の中にある故郷の一シーンと同じ。   「…
神社に上る道  思い出の街角

神社に上る道 

あの日、あの頃 何度となく上った道、   そしてその後も 何度も上がることになった道     もちろん上がった分だけ、下ることになるのだが・・・。   上がるときの高揚したわくわく感と期待感も、下るときには駆け足で、心はすでに次の目的に向かっている。   そんなものごとの始まりと終わりという過程を教…
つわものどもが夢のあと 1997 思い出の街角

つわものどもが夢のあと 1997

  みんな 上った道、下りた道 住民の立ち退きが完了する直前の山神社階段   1997年5月18日  上のタイトルのような書き方をすると、「いかにも」の表現だが、旧境内は、夏草が茂ってはいても、小さく縮んだかつての町を見渡すことができる崖の端まで、きれいに草刈りがされて道が続いていた。    訪れる…
北海道弁•••まかす・まかれる | 高橋正朝 #141 続・大夕張つれづれ

北海道弁•••まかす・まかれる | 高橋正朝 #141

   この北海道弁も、もはや死語ではなかろうか?     東京弁を中心としたラジオやテレビ放送の影響が大きくて、方言を持ちだした番組以外は、標準語を活用しているのは仕方がない。 特に、全国同時に流すニュース番組がそうである。       そういう中にあって、大泉洋の存在感は大きい。 でも、全国同時ニ…
鹿島小学校 山神社への参道から 思い出の街角

鹿島小学校 山神社への参道から

昭和37年10月9日 別の同じ日の写真には、当時富野小学校に勤務していた祖父の字で、『見学旅行』との文字がある。   大夕張神社への参道の途中から鹿島小学校を背景に同行者を撮影したもの。         この写真の背景を切り取った部分が次の写真。 https://ooyubari.com/2023/…
2008年(平成20年) 住民登録

2008年(平成20年)

本日、拝見いたしました。 なつかしくあまりにもなつかしく見入ってしまいました。 昭和40年遅生まれ~41年早生まれの方同級生となります。 同窓会などあれば声をかけてください。 夕張のことなど語らいましょう!  吉田 聡 sakiyuzu@k8.dion.ne.jp 北海道, 鹿島開拓 40歳~49歳…
桜五月山神社 写真

桜五月山神社

今年の札幌は二週間以上も早いという桜の開花宣言ですでに桜の花があちらこちらで咲いている。   大夕張神社の花見に桜を見ていた『花咲かじいさん』が、大夕張神社境内の桜にも花を咲かせました。   言うまでもなくこの写真は合成写真です。   桜もおそらく山神社に咲いていただろう『エゾヤマザクラ』と違い、本…
大夕張の企業『鹿島通運株式会社』(昭和36年夕張市の企業と名士録より) あらかると

大夕張の企業『鹿島通運株式会社』(昭和36年夕張市の企業と名士録より)

遠幌営業所   【所在地】 夕張市鹿島一番地 (電話)大夕張局100番)   【代表者】 田中剛一   【資本金】 三百万円   【設立年月日】 昭和28年11月1日 本間常務 【主たる役員】 取締役社長 田中順一 常務取締役 本間昌吉 取締役  成相淑 古賀秀雄 沢田金二 小野猛郎   【事業の経…
階段を上った先の大夕張神社拝殿 思い出の街角

階段を上った先の大夕張神社拝殿

大夕張神社参道の階段を登りきると、その先に・・・視界が開け、広い境内が表れる。 そしてその先に山神社の拝殿がある。   写真の手前の台座にはかつて立派な石の灯籠が立っていた。   くらしの中の神社。   年の初めと終わり、日々のくらしの様々な場面で足を運んだ場所。 故郷を出、人生の節目でこの場所に立…
大夕張神社からの街並み 思い出の街角

大夕張神社からの街並み

『昭和6年頃(1931年頃)』とされる大夕張神社からみた大夕張の街並み。 夕張シューパロダム発行の『大夕張』に掲載写真のキャプションには、『大夕張神社より見た栄町方面(昭和6年頃)』とつく。実際には、もっと後のようだ。        雲の向こうに、前岳の姿がわずかに見え、眼下には大夕張の町が見える。…
北海道弁•••なまずし( 生寿司 ) | 高橋正朝 #140 続・大夕張つれづれ

北海道弁•••なまずし( 生寿司 ) | 高橋正朝 #140

         私の大夕張時代は、いわゆる江戸前の寿司のことを〘 なまずし( 生寿司 ) 〙と言っていた。  まだ、各家庭に冷蔵庫などなかった時代である。       だいたいが、大夕張時代の私の小学校低学年くらいまでは、生の魚介類を食したのは、イカの刺身だけだった。 イカをキシメンぐらいの巾に切…
丘の上の大夕張小唄 ~鹿島眺望公園~ 写真

丘の上の大夕張小唄 ~鹿島眺望公園~

  2022年青空のもと 残雪に映える夕張岳 五月の はだ寒い風の音といっしょに 胸の奥で 大夕張の声が聞こえていた       シューパロに風わたり  流れもぬるんで 春がくる  のぼりはためく 山神祭  祈りかしこみ 地熱の中に  男度胸の花が咲く  大夕張よいとこ 炭坑の町よ     「ふるさ…
映画上映中の大夕張劇場 思い出の街角

映画上映中の大夕張劇場

映画上映している大夕張劇場 右手に見える立派な料亭風の塀のある建物は、昭和43年の住宅地図で、サトミ会館となっていて、繁華街だった千年町らしく飲食店が数軒入っている。 この場所は昭和5年に千年町に入った指定商として、「土屋商店(飲み屋)」とある。   昭和の初めから酒を扱う飲食店だったのだろう。  …
大夕張 バス停 1997 思い出の街角

大夕張 バス停 1997

  1956年に地域にバスが走って以来、地域住民が集団移転する1998年まで利用された旧大夕張駅前のバス停。 美鉄バスと夕鉄バスの二本のバス停が立つ。   かつてバス停のそばには柳の木や背の高い大きな木々があり、そこでバスを待つ人の雨露をしのいだ。 その場所に小さな待合小屋ができた。     大勢の…
夕張信用金庫大夕張支店 思い出の街角

夕張信用金庫大夕張支店

     昭和32年(1957年)に開設された。その頃、千年町の大井質店の一角を借りて店舗があった。 (「大井組と大井質店」の中の清一氏の葬儀時の写真に看板が見える)     駅前のこの建物はその後の建築だろう。    信金の建物の向かって右に見えるのは、北海道拓殖銀行の建物と掲示板。  舗装されて…
東高バイク通学 |Masami Kawauchi 思い出の記

東高バイク通学 |Masami Kawauchi

  昭和49年 明石町 夕張東高校 バイク欲しくて定時制行きました。 高校の坂を登り切って夕張岳をバックに撮影。 全日制の女子学生見えますね。 私達はバイク通学でした。 白黒写真に着色した画像     (2020年5月17日 記) (筆者紹介) 昭和29年6月生まれ三男として 南清水沢で生まれ、2歳…