白金の沢での写生 | 高橋正朝  #163

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 私が、鹿島東小学校の6年生のときである。

 9月下旬のころだと思うが、もしかすると、10月になっていたかもしれない。

 クラス全体が、白金の沢に行った。

 当時のクラス担任は、庭田和子先生である。

 

    

 目的は、紅葉の写生だった。

    

 この時期、遠足でもないのに、遠出をするのは大変珍しい。 後にも先にもなかった。 

 昼メシはどうしたのか覚えていない。

 食べ盛りの児童だから、握り飯か何か、弁当を持参しただろうと思うが、トンと記憶にない。

     

 鹿島東小学校では、この年の10月20日から学校給食が始まっているが、白金の沢に行った日は、当然、学校給食にはありついていない。

    

 ちなみに、飯田さんが編集した年表には、

 

 1960年( 昭和35年 )10月10日、鹿島東学校給食室完成、20日鹿島東小完全給食開始、

 

 と記載されている。

    

 このことからも、白金の沢に行った日は、学校給食を食べていないのは、ほぼマチガイないところだ。

    

 大夕張の紅葉が美しいのは、皆さんご存知のとおり。

 しかし、私は、この美しい紅葉の景色を絵にしたことは一度もなかった。

 このときの写生が初めてだった。

 この写生の日から1週間後の図画の時間に、庭田先生は、写生の絵を元にして、別な画用紙に、その風景画を完成するように仰った。

    

 言ってみれば、スケッチから、別な画面で絵を完成させるわけで、私には、初めての経験だった。

    

 白金の沢には、小学校時代、何回も行っていたが、この写生の日が最後で、その後の大夕張時代に訪れることはなかった。

 

 

(2023年9月23日 記)

 



(筆者略歴)   

 昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。以後、仕事の関係で海外で長く生活。現在は、タイ、バンコクで暮らす。

メール宛先:taka-jp@outlook.com  (メール宛先変更になりました)


1件のコメント

  • 子どもの頃、身の周りの紅葉が美しいと思って見たことはなかった。
    夕張岳の写生に出かけても、ただ描けと言われたから描いているに過ぎなかった。
    それが目の前に当たり前にあったから。
     
    目の前からなくなった時、初めてその価値に気がついた。
    よくあることではあるが、失われた時間は二度と戻らない・・・。

     

     

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