大夕張を訪ねて(その2)-1997年8月大夕張-|乗田功一

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 先に投稿しました、1997年8月21~23日、3日間の大夕張行きの続編です。

 閉校式から2カ月経った鹿島小学校は、新学期も始まり今も変わらず授業が行われているようです。

 グラウンドの富士見町寄り、校門があった近くに真新しい閉校の記念碑が建てられていました。裏側には在校生12名の名前と、「閉校 平成一〇年三月三〇一日」、表側には鹿島小学校校歌が刻まれています。

 今回、はじめて春日町へ行ってみました。

 大夕張駅前を一直線に下り、代々木アパートを過ぎて少し行くと、突然舗装が終わり、生い茂った草木
に突き当たります。ここからほぼ直角に右へ続く細い道を進むとやがてシューパロ川が見えてきますが、途中右側に2階建てのアパートなど2~3棟の建物が残っています。

残る2階建のアパート(写真:飯田写1997)


 川の向かい側には「春日町グラウンド」と呼ばれていた立派な野球場があって、大夕張に住んでいた頃、何度か行ったことがあることを思い出しました。

 このグラウンドへ行くための吊り橋がかつてありましたが、今は橋脚だけが 川の流れに洗われていて、そこへ行く手段は無くなってしまったようです。

 代々木アパート。今では2~3軒しか住人はいないようです。
 中へ入ってみましたが、鉄のドアはすべて開け放たれ、窓ガラスは破られ、風の音だけが不気味に響く異様な雰囲気でした。

 ここには昔、クラスメイトが住んでいて、何度か遊びに行ったものですが、二十数年の時の流れは、なにもかも変えてしまいます。

 本間商店。

 文房具を主に、スポーツ用品や玩具など大夕張の学生は、必ずお世話になったのではないでしょうか。おじさん、元気です。

 大夕張へ行くと、私は必ずここへ立ち寄ります。街がにぎやかだった頃の話を、おじさんとしていると時を忘れます。

 大夕張へ行く機会がありましたらぜひ寄ってみて下さい。暖かくむかえてくれると思います。しかし、残
念ながら11月頃には、ついにこの地を離れてしまうということです。


 また、このお店では昭和40年代と思われる、大夕張神社から写した写真を販売していました。

 車で大夕張へ着くと、歩道橋に掲げてある大きな文字が目に入ります。鹿島小学校の生徒さんたちが作ったものでしょうか。

     「思い出いっぱい、そして永遠に・・・」

 長い歴史の中で、最後までその歴史を守り通してくれた大夕張の人々の、かつてこの街に暮らしていた私達への心からのメッセージに思えてなりません。

 たとえこの地がいつの日か湖に沈んでも、大夕張という街の記憶は、永遠に消えることはないでしょう。

(1997年8月28日 記)


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