Masa

北海道夕張市鹿島1番地。昭和31年3月、大夕張生まれ。 昭和31年から、昭和46年まで、炭礦で繁栄する、自然豊かな街で幼少年期を過ごしました。中学校卒業、炭砿病院の薬剤師だった父が亡くなり、大夕張を離れました。昭和48年三菱大夕張炭礦が閉山になる2年前のことでした。 1996年に「ふるさと大夕張」を開設、運営。2019年12月より再起動しました。
第1編沿革 第3章 北部開発 山史

第1編沿革 第3章 北部開発

第3章 北部開発 1  北部開発計画  大正7年頃より北部開発計画あり、その調査を開始したが、この産炭を如何にして搬出するかが当時の大きな課題であった。  その第1次案として、北部、万字間に鉄道を建設する事とし万字の石川呉服店を根據として調査を開始するも急坂のため廃案となった。  大正8年、第2次案…
大夕張の夜 | 内川准一 訪問記

大夕張の夜 | 内川准一

1999年 6月4日 金曜日 17時53分11秒 旧・鹿島小の校庭で 一人テントを張って 無人になってしまった大夕張の夜を過ごすつもり! あの賑やかだった大夕張が どんなに深い闇の中に沈んでいるのか 何が 大夕張を支配しているのか そして 長い 長い 空白を経て いま50歳を迎えた私が どれだけ昔の…
『ふるさと大夕張』は「2丁目3番地」へ 2丁目3番地

『ふるさと大夕張』は「2丁目3番地」へ

『ふるさと大夕張』は、こちらに引っ越しました。 1996年母校鹿島小学校の閉校式に参加して、その思いを自分のホームページに載せ始めてから24年目の初めての大きな更新です。 『ふるさと大夕張2丁目3番地』としての新たなスタートです。当面、引っ越し作業が続きます。『1丁目1番地』に比べるとまだまだコンテ…
第1編沿革 第2章 南部時代 山史

第1編沿革 第2章 南部時代

第2章 南部時代 1、開 闢  明治21年夕張炭田の大露頭発見以来、附近炭砿の開発が盛となり、二股(現南大夕張)夕張川岸15尺露頭が発見されたが、地形峻険にして輸送困難のため開発は進まなかった。  明治31年頃、福山某がこれの試掘権を得てより福山抗と称されたが、その後数名の手を経て川崎茂実の名義とな…
第1編 沿革 第1章概論 山史

第1編 沿革 第1章概論

第1編 沿革 第1章 概論 明治39年1月18日 二股(現南大夕張)福山抗の試掘権を有する川崎繁実が逓信省鉄道局に対し、清水沢・二股間5哩40鎖の専用鉄道敷設免許を申請するに始まり 明治39年6月 京都合資会社が組織され権利一切を譲り受け 明治39年8月2日 鉄第884号をもって専用鉄道敷設免許を受…
山史 紹介 山史

山史 紹介

山史 自、明治39年至、昭和38年三菱大夕張鉄道58年史 ※山史について  「山史」は三菱鉱業㈱の各炭礦・鉱山毎に編纂された各鉱の沿革史で、大夕張では昭和38年に当時の礦業所長・岩間氏の命を受け編纂が開始され、「鉄道部門」のみが鉄道課主任・菊池武人氏により取りまとめられました。   炭礦部門は完成に…
昭和28年7月18日 稚児祭 千年町高田商店前にて 思い出貼

昭和28年7月18日 稚児祭 千年町高田商店前にて

よく見ると写真の表札の左下に「三二番」という札がかかっています。この写真を巡って大夕張掲示板で、次のようなやり取りが行われました。長くなりますが、引用します。   もう一枚 お稚児さん(S28年7月) 投稿者:飯田雅人 投稿日:2003/11/15(Sat) 00:22   もう一枚 お稚…
昭和32年大夕張(パノラマ) パノラマ

昭和32年大夕張(パノラマ)

昭和32年の大夕張。大夕張神社からとった4枚の写真を合わせてパノラマにしました。 つなぎめのところの処理がうまくできていないので、目障りですが、別の記事で、一枚一枚の写真を紹介します。 ※もとの画像にリンクをはっているので、拡大してみることができます。 4枚の写真を合わせたものをカラー化したもの 4…
2015年千年町|桂 訪問記

2015年千年町|桂

2001年NHKBSドラマ『私のふるさと物語』仕掛け人/大夕張を愛する人  千年町の通りに行くところなのですが、行きたければまず新R452の橋の脇の急斜面をショートスキーで降りるしかないってミッションもあって…今ならこれ、時効になるのでしょうか  街も家も残土の山も雪の中…綺麗ではあったのですが、一…
1932年(昭和7年) 昭和

1932年(昭和7年)

2月 採炭方式変更(V型採炭法)。 4月 2日,『協和会報』(三菱大夕張礦業所発行所。 阿部金作発行人)発刊。月1回不定期発行。 6月 2日,夕張町会議員選挙。藤井賢造,成相淑,有江忠五郎大夕張から当選。 7月 16日,大夕張郵便局局舎新築移転(名取沢右岸) 9月  宝沢道路工事着工。 10月 20…
1931年(昭和6年) 昭和

1931年(昭和6年)

1月 26日,大夕張郵便局,電信電話通話事務取扱を開始。 大夕張第1斜坑採炭開始。 4月 10日,大夕張尋常高等小学校第2代佐々木久五郎校長。 6月 13日,曹洞宗大夕張説教所(大聖寺)千年町に創立。(昭和3年炭鉱開発されたとき,当時南部の説教所で布教していた初代鉄山和尚が会社の要請によって,昭和6…
昭和7年の大夕張全景 パノラマ

昭和7年の大夕張全景

昭和7年の街並み。富士見町、線路を挟んで栄町の炭砿住宅が写っています。富士見町の住宅もまだまばらです。右手奥には昭和3年の開校間もない大夕張尋常高等小学校、手前には倶楽部と独身寮らしい建物も見えています。線路には大夕張駅を出発した運炭列車が通洞(大夕張炭山)駅に向かいます。 『三菱鉱業社史』から &…
さくらのブログは1月31日(今回)で最終回です。 1丁目1番地

さくらのブログは1月31日(今回)で最終回です。

「商店街」のリンクの修正と、「映像館」の映像差し替えで、予定していた更新は終了しました。 あとは、『ふるさと大夕張2丁目3番地』の方にデータを移植しながら、「1丁目1番地」のページも地道に修正して作業を続けていきます。 前回もふれたように、『1丁目1番地』と『2丁目3番地』のデータの大きな違いはない…
1930年(昭和5年) 昭和

1930年(昭和5年)

5月 11日,大夕張俳句会設立。小幡頁同(60名)。  第2次指定商11店入地(千年町)。土屋商店(飲み屋),駒商店(時計,新聞),佐藤庄太郎(造材),小須田信一(運搬業),小原庄次郎兄弟(建具),篠崎公正(石炭運送),東田左官,帯向商店,千葉金一(理髪),酒井洋品店,熊谷市助(大工)12名。 8月…