鹿島小学校のあった敷地。 東の門の方向でしょうか。 2023年5月5日撮影 下の写真は、おそらく同じ方向を写したものでしょう。 それから25年経過後の現在です。 https://ooyubari.com/2023/04/27/jinjyasitakarakasimasyo…
国道から鹿島小学校跡地への入り口を写したもの。 奥にグラウンドと富士見町の境にあった木々、右手にはアメダスの施設の一部が見えます。 2023年5月5日撮影 時は経ち木々が伸び前岳夕張岳の姿も一部に・・・。 1997年5月の同じ頃。 https://ooyubari.com/2023/0…
朽ちた椅子の後ろが神社のあった辺りでしょうか。 2023年5月5日 撮影 春の大夕張神社 昭和40年代 https://ooyubari.com/2023/04/20/sakuragogatuyamajinjyaa/…
2023年5月のゴールデンウィーク 昨夜から小学生の遠足の前のように今日の探検を想像して早くから目が覚めた。 今日は林道のような道を登るかもしれないのでバイクで行こうと、ウェアを着こんで車庫に出て、シルクロードのセルを回すと最初の1回だけ『ぷすん』で止まり、また何度セルを回しても…
北海道といえども、春が過ぎれば暑くなる。 北海道には梅雨はないとされていたが、今はどうなのだろうか ••••••。 私が大夕張にいた当時、たしかに梅雨といえるような天候はなかったが、それでも、6月から7月にかけては、雨が降ることが多かった。 全国的には、食中毒の注意が…
まだ未整備なシューパロ湖畔の様子は、昭和37年の道路開通の前後の様子だろうか。 湖畔に設置されたボート乗り場には、モーターボートで湖面を遊覧する当時の若者たちの姿がある。 昭和30年代に夕張市から発行された絵葉書には、湖畔亭そばの小公園完成後の姿や、「シューパロ湖畔・職場対抗ボート大会」…
懐かしいのう・・ 鴻池玉夫 北海道, 鹿島開拓 70歳以上 男性 - 2009/12/18 _ 23:07:33 毎日楽しみに、拝見してます。 鹿島中学二年で大宮先生、通称デンスケです、私も担任の先生として、一年間学びました。 やっぱり生まれ、育った そして学んだ大夕張は、懐かしく、忘れられません。…
『1997.5.10 大夕張のまち』から、大夕張郵便局と向こうの商店街を拡大した部分 https://ooyubari.com/2022/02/14/19970510machi…
1997年(平成9年)5月18日の鹿島小学校グラウンドと校舎、そして夕張岳。 昭和3年(1928年)10月開校、そして平成10年(1998年)3月に閉校となった。 卒業生9790名、地域の盛衰の歴史とともに時を重ねた。 下は2022年の現地の様子と、10数年ぶりに訪問…
鹿島小学校からグラウンド越しの夕張岳。 もう20年以上前の記憶になるが、内川准一さんが撮影して送ってくれたA4の大きさ写真だ。 住民も立ち退き、建物も取り壊された後の誰もいなくなった大夕張。 グラウンド跡に咲き誇るタンポポの花の黄色い海。 5月下旬から6月の頃の周囲の緑も濃くなる時期…
1997年5月の大夕張訪問時に、前回、小学校のグラウンドからの夕張岳の景色は撮っていなかったと書いた。 しかしそのあと別のアルバムの中から、同じ日に撮影したこの写真がでてきた。 場所は、バックネットと鹿島小学校校舎のちょうど中間。 イタヤカエデの木、そして大夕張駅の駅舎や消防署が夕張岳を…
前回、# 141〘 まかす・まかれる 〙のFB 版に、成田利夫さんが、〘 かき混ぜる 〙の北海道弁〘 かます 〙のことに言及していました。 〘 かき混ぜる 〙の北海道弁としては、〘 かまかす 〙があり、私は、その北海道弁はしっかり覚えていましたが、〘 かます 〙はすっかり忘れていました…
最初にネタばらし的なことを言うと、ほぼ同じ場所から撮った写真を一枚に合わせた写真。 一枚は旧大夕張駅の建物とイタヤカエデを入れて、そして次にピッチャーマウンドのあったりとバックネットを入れた写真をそれぞれ写した。 だからこうして残され、一枚になった写真といえる。 この場所から右を…
鹿島小学校グラウンドバックネットのあたりから、教会・聖心幼稚園の建物とテニスコートの並び。 大夕張カトリック教会が実施していた日曜学校(学習塾)の帰り、土手の上をゆるやかに下り歩いていくと交差路にでる。 左にいくと神社の山に向かう道、右に行くと鹿島小学校の校門の方に下る。 まっすぐ行くと…
鹿島小学校グラウンド横にあった『土手』のあたりから見た閉校直前の鹿島小学校校舎。 1997年5月18日撮影 昨年大夕張を十数年ぶりに訪れる前に、何度も南部大宮町から先の国道452号をグーグルマップで『走った』 そして何度か『通り過ぎ』、鹿島小学校の『看板』をみつけた。 上の写真と…
「ダムに沈む前に写真を撮っておこう」 そう意識してから最初に訪れた時が1997年の5月だった。 鹿島小学校閉校式の一か月前だった。 その時に写した写真の一枚だが、それらの写真が自分にとって、一番印象に残っていた場所だったといえるかもしれない。 心の中にある故郷の一シーンと同じ。 「…
あの日、あの頃 何度となく上った道、 そしてその後も 何度も上がることになった道 もちろん上がった分だけ、下ることになるのだが・・・。 上がるときの高揚したわくわく感と期待感も、下るときには駆け足で、心はすでに次の目的に向かっている。 そんなものごとの始まりと終わりという過程を教…
みんな 上った道、下りた道 住民の立ち退きが完了する直前の山神社階段 1997年5月18日 上のタイトルのような書き方をすると、「いかにも」の表現だが、旧境内は、夏草が茂ってはいても、小さく縮んだかつての町を見渡すことができる崖の端まで、きれいに草刈りがされて道が続いていた。 訪れる…
この北海道弁も、もはや死語ではなかろうか? 東京弁を中心としたラジオやテレビ放送の影響が大きくて、方言を持ちだした番組以外は、標準語を活用しているのは仕方がない。 特に、全国同時に流すニュース番組がそうである。 そういう中にあって、大泉洋の存在感は大きい。 でも、全国同時ニ…