Masa

北海道夕張市鹿島1番地。昭和31年3月、大夕張生まれ。 昭和31年から、昭和46年まで、炭礦で繁栄する、自然豊かな街で幼少年期を過ごしました。中学校卒業、炭砿病院の薬剤師だった父が亡くなり、大夕張を離れました。昭和48年三菱大夕張炭礦が閉山になる2年前のことでした。 1996年に「ふるさと大夕張」を開設、運営。2019年12月より再起動しました。
住宅地 ~祖父のスケッチ帖から~ 絵画

住宅地 ~祖父のスケッチ帖から~

昭和14年11月19日の記載があるスケッチ。小さなスケッチ帖の2ページに描かれた風景。 祖父長谷川安造が、沼ノ沢から大夕張に転勤となり、新築炭住の弥生町に引越したのは昭和13年(1938年)春。 翌14年(1939年)、宝町に新炭住が完成し、そこに引越した。 更に、昭和15年(1940年)、宝町に夕…
メタノール工場 |中山隆一 随想

メタノール工場 |中山隆一

思い出帖の写真のことで思い出した... 私、春日町の出身でしたので、他の街はあまりクリックしていませんでした。   ところが、先日富士見町に住んでいた小溝さんが、我が町に帰ってこられてお食事をした関係で、富士見町をのぞいていたら、なんと新しくメタノール工場の写真があり感激しました。   昭和40年頃…
シューパロ湖畔の若者たち 映像

シューパロ湖畔の若者たち

昭和40年「石炭の街ゆうばり」(STV制作)の中の本編での大夕張部分。 大夕張は、観光地シューパロ湖が登場し、その部分をノーカットで。 音声はナレーションを省き、BGMに編集してあります。 ナレーションの部分のセリフは、次の通りです。 『雄大な夕張岳を水面に映して広がるシューパロ湖 』 『シューパロ…
いつの頃かの 大夕張電話帳 陳列棚

いつの頃かの 大夕張電話帳

昭和43年頃、かつてうちの家に電話があった。 電話がある社宅に引っ越したのは、父が炭砿病院の薬局の責任者になった頃だ。   ダイヤルではなく200番台の3桁の内線番号だけがまんなかに大きな判子で押されていた、黒電話。   当時、この電話はテレビ等で見る『ふつうの電話』でなく『会社の電話』ときかされて…
郵便番号|古山園美 思い出貼

郵便番号|古山園美

 今日、郵便局で新しい郵便番号簿をもらってきました。   夕張市のページには、明石町(068-0662)から代々木町(068-0674)まで、ちゃんと鹿島10地区の郵便番号が載っています。    鹿島明石町(カシマアカシチョウ)(〒068-0662)  鹿島栄町(カシマサカエチョウ)(〒068-06…
メタノール工場とポンプ場 思い出の街角

メタノール工場とポンプ場

 メタノール工場には、同級生の菊池くん(トシボーと呼んでいた)のお父さんが勤めていた。  近所に住んでいたこともあり、家族ぐるみで仲よくさせてもらっていた。よく父や母と、ご夫婦の故郷である四国の話をしていた。トシボーとは、中学校を卒業以来会っていないが、年賀状のやり取りは今も続いている。  遠足や遊…
番外編••••••防空壕  | 高橋正朝 #72 続・大夕張つれづれ

番外編••••••防空壕 | 高橋正朝 #72

 今回、言及する防空壕のことについては、大夕張とは何の関係もない。  しかし、前回、大夕張に関わる H 氏の話として、防空壕の名詞をだした。  だから、防空壕について、ひとくさり。        台灣は日本から行く外国としては近距離であるし、親日的でもあるので、日本人には人気がある。 あなたが、もし…
大夕張の初詣 | 海も好き 思い出の街角

大夕張の初詣 | 海も好き

閉山直後の大夕張の初詣。 白黒写真に着色した画像 昭和48年12月31日大晦日or昭和49年1月1日元旦の写真ですね。三菱大夕張鉄道お別れ運転のネガで、後ろのコマなので間違いないと思います。三菱大夕張炭鉱の閉山後、最初の初詣に行った時に撮ったのでしょう。 この場所は健保会館だと思うのですが、いつ頃か…
謹賀新年 『ふるさと大夕張』様|二木晃 随想

謹賀新年 『ふるさと大夕張』様|二木晃

 明けましておめでとうございます。ただいま午前三時。  地元の神社の総代を務めさせていただいていますので、参拝者の接待に追われ、元旦はいつも、この時間になってしまいます。  昨年は、忙しいなりに頑張って暇をつくり、十数年ぶりに友人たちに年賀状を書くこともでき、まずまず充実した一年でした。   そして…
湖畔の道路とジープ 思い出の街角

湖畔の道路とジープ

昭和40年頃?舗装化される前の鹿島道路。明石町から南部の間、昭和37年に開通したとはいえ、舗装道路になったのはずっと後のことだ。 明石町の郊外?自動車と併走するSLの走行写真で、よくみるような場所だ。 大夕張方面に向かって走る三菱・ジープ。 ジープ型の車両は、大夕張でよく見かけたタイプだ。   この…
札幌にあった三菱の宿泊施設 覚え書き 2丁目3番地

札幌にあった三菱の宿泊施設 覚え書き

 実は、『札幌にあった三菱の宿泊施設』は前回の『その3』で終了の予定だった。 記憶の中にあった、自分が泊まった北1西8の寮と、スキー部が泊まっていた南3西23あたりにあった寮。  この2つは記憶に確かにある。そして、北2東6の三菱鉱業寮にも泊まった人がいる可能性もないわけではないということだった。 …
湖畔の道路 思い出の街角

湖畔の道路

昭和37年(1962年)10月。それまで陸の孤島だった大夕張に陸路がつながり、街が大きな喜びに包まれた。 南大夕張ー鹿島間の間が開通して間もない頃の湖畔道路。 大夕張を出たり、入ったりするときは必ず誰でも通った場所でもある。   遠目に、これも開業間もない湖畔亭と、鉄道のシューパロ湖駅が写る。 シュ…
『安田のおばさん』の味|飯田雅人 思い出ばなし

『安田のおばさん』の味|飯田雅人

 今日,母がTV番組の道産子ワイドでやっていたからといって、『おふくろ煮』というおかずを作りました。  キャベツをあぶらげと一緒に煮たしょうゆ味の食べ物です。   これを食べるといつも思い出すのは『安田のおばさん』と呼んでいた一人の女性です。    昭和40年前後,父が北大病院に入院し、母が付き添い…
夕張岳 ~祖父のスケッチ帖から~ 絵画

夕張岳 ~祖父のスケッチ帖から~

黒い表紙の小さなスケッチ帖を開くと、昭和14年11月19日の夕張岳が描かれている。 表紙の裏に鉛筆の粉がついて、ページ全体が黒ずんでいるが、描かれた線はしっかり残っている。 鹿島小学校(当時は大夕張尋常高等小学校)の木造校舎の屋根越しに見える夕張岳の姿だ。   かつて祖父の自宅仏間には、夕張岳の写真…
ミカン箱のそり | 内川准一 随想

ミカン箱のそり | 内川准一

 みかんの箱のふたを取ると、下から現れる絵柄のセロファン。    産地によって、いろいろと趣向を凝らしたみかんの絵だったり、凝った模様がセロファンの縁を飾っていたりしたものでした。   きれいなものは、南国に思いをはせながら、集めましたよね。  そして、箱の方は、最後には手作り「そり」になったもので…
昭和48年 閉山直前の大夕張の商店 あらかると

昭和48年 閉山直前の大夕張の商店

商店名は、『夕張市史(S56)』『鹿島のあゆみ』に、掲載されていたもの。これらに住宅地図や、写真にうつる看板、記事などから、町内名をつけて記載。   1973年(昭和48年)夏に大夕張炭鉱が閉山されと、大部分が移転を余儀なくされた。その一部は南部青葉町に新しい商店街を形成した。 閉山直後は、約4分の…
明治45年8月 大夕張炭山近況 陳列棚

明治45年8月 大夕張炭山近況

北海タイムス(1912年〈明治45年〉8月6日)記事 【大夕張炭山近況】 従来の施設と将来の計画 松隈鉱長曰く大夕張炭礦株式会社時代に於る同鉱の施設は 一見頗るハイカラ風にして 坑内外の経営は略ぼ完成したる如き 観かるも仔細に之を検覈せば 凡て外観を美装したるに過ぎずして 其実質に至りては確たる方針…