思い出の街角

協和会館 思い出の街角

協和会館

天井には、柔らかく煌めくオレンジ色の照明。 座る椅子は、少し硬いが板の、はね上げ式の椅子。 映画の楽しさを教えてくれた場所。 会館前の看板に映画ポスターが見える。 右からの順になっている 23~24日 上のポスターは、これだけでは残念ながら文字が潰れてしまってわからない。 下のポスターは、 昭和44…
大夕張炭山駅を出発する列車 思い出の街角

大夕張炭山駅を出発する列車

撮影した長谷川さんによると、昭和45年11月だという。 最近は、着色も少しは慣れてきて写真を見返す余裕も出てきたと自分でも思うけど、この時期の大夕張では晩秋、いつ雪がふるかという頃で、緑少し盛りすぎ・・・たか。 『ふるさと大夕張』の最初の頃から掲載させてもらっている写真も、色をつけて気がつくことが多…
富士見町 炭鉱住宅 思い出の街角

富士見町 炭鉱住宅

白黒写真に着色した画像   チヒロ君の思い出  【飯田 雅人】    住宅の後ろの山がせまる感じが、富士見町5丁目あたりの山側の一段と高いところに、何軒か並んで建っていた住宅を思い出す。    実際、この炭砿住宅の形にははっきりとした記憶があって、幼稚園から小学校にかけて仲良かった西本チヒロ君が、山…
大夕張駅前から代々木アパートまで 思い出の街角

大夕張駅前から代々木アパートまで

 昭和48年閉山後の写真。  駅前の通りをずっとくだり,春日町へ続く坂の手前、舗装が途切れであたりで振り返るとこんな光景が広がった。  春日町・弥生町・代々木町の分岐点とも言う場所か・・・。  道路をはさんで、左側が弥生町、右側が代々木町。  左にいくと、春日町に降りるもう一つの広い道。  遠くには…
千年町消防分遣所 思い出の街角

千年町消防分遣所

千年町のバス通りに面して建ち、大夕張劇場の東側にあった。 ポンプ車一台が配置されていたという。 昭和52年8月に廃止となったが、建物の一部はその後も、平成10年頃まで残った。   白黒写真に着色した画像   平成10年頃に残る建物   千年町消防付近地図 【大夕張の消防】 大正5在郷軍人を中心主体に…
二股ダム地点(大夕張ダム) 思い出の街角

二股ダム地点(大夕張ダム)

大夕張国営かんがい排水事業 記念史(1967.10.23)より 同書には、ダム地点として掲載させている。 大夕張ダム着工以前の二股(南部)より上流の写真、ダム工事に着手する昭和29年(1954年)前後の写真と思われる。   遠くに夕張岳 左手の崖に大夕張鉄道 右手の崖に桜ヶ岡の開拓農家が数軒見える。…
栄町1丁目の通り 思い出の街角

栄町1丁目の通り

 昭和32年11月に栄町アパートが完成し、入居が始まった。  外便所だった炭住も内便所になったという。  見えている栄町アパートは、こちらから、1丁目14番。13番、12番。  12番の隣は、・・・昭和40年代は、空き地だった。  ここでは、古い住宅が見える。  昭和36年の大夕張上空からみた『台地…
開拓から白銀橋 思い出の街角

開拓から白銀橋

昭和34年に建設された白銀橋。 この橋を渡って明石町から開拓へ向かうことから、開拓橋ともよばれていた。   雪どけの時期、残雪が多く残る畑の向こうに橋が見えて、その向こうまでの明石町の道路や、住宅が見通すことができる。 昭和30年中頃だろうか。 尚、白金地区が「開拓」から「鹿島白金」と地名変更になっ…
サトミ会館 思い出の街角

サトミ会館

   千年町のサトミ会館。  鹿島中学の頃、ある時期、暁橋を渡って、「サトミ会館」の横を通って登下校していた。      特に、午後の学校帰り、建物を覆う目隠しのように貼られた板の入り口から見える、暗い空間に「いったい何があるのかと』、純情な中学生は、横目を使っておそるおそるのぞきたい気持ちと、なん…
鹿島労働会館 思い出の街角

鹿島労働会館

昭和47年頃 千年町 千年町にあった鹿島労働会館。戦後、結婚式や宴会、様々なイベントで活用されていた。   白黒写真に着色した画像   母が労働会館に勤務  【阿部照子(旧姓白岩)】  開館時に、母が管理人及び調理師として住み、身体を壊すまで住んで居ました。  父は役所でしたので小学生の私は両方を、…
夕張市役所鹿島支所と鹿島労働会館 思い出の街角

夕張市役所鹿島支所と鹿島労働会館

 昭和45年頃 手前(明石町側)が鹿島労働会館 向こう側が夕張市役所鹿島支所。  千年町にあったこの2つの建物は,沢で隔てられた明石町は別として、子どもの頃の感覚としては、ちょうど市街地の外れにあるようにたっていました。    昭和30年代、大夕張駅前と千年町を結ぶ本通りが、舗装されてきていた時も、…
夕張市役所鹿島支所 思い出の街角

夕張市役所鹿島支所

 昭和47年頃 千年町に鹿島労働会館の建物の横にあった。  市役所鹿島支所の建物の壁に掲げられた垂れ幕には、写真を拡大してみると、『 「石炭産業の長期安定と 産炭地防衛を市民総意で推進します」~~~推進本部 』と読むことができる。  石炭産業の衰退がいわれ、閉山の話も聞こえてきたころ。    鹿島支…
鹿島気象観測所 思い出の街角

鹿島気象観測所

昭和40年頃、千年町、鹿島支所裏手にあった、気象観測装置。 ちょうど崖の縁にあり、木立の間から常盤町の鹿島中学校のグラウンドと校舎が見えている。   気象観測の機器についてよくわからないが、   気温と湿度を測定する百葉箱 雨量計の枡 積雪量を量るものさし 風向計   などが設置されていたようだ。 …
大井組と大井質店 思い出の街角

大井組と大井質店

 大井組は、大正年間に現在の南部にあった大夕張炭鉱株式会社に大井鉄平氏が、請負業として入った。飯場をかかえ、坑内の仕事も請け負っていたらしい。  大正10年7月25日新錦坑でガス爆発があった。  死亡者は、大井組飯場所属の組夫千葉某以下5人であった。そのショックから大井組は、坑内の仕事から手を引いた…
明石橋と旭沢橋梁 思い出の街角

明石橋と旭沢橋梁

昭和45年頃  旭沢橋梁に並んで、昭和27年に竣工した千年町と明石町を結ぶ明石橋。    遠くには、常盤町の街が、山の斜面に見える。   白黒写真に着色した画像 旭沢鉄橋  【山下貢】( 2006/10/21(Sat) 12:55)   この鉄橋の名前を初めて知りました。  確か、幼稚園児(S28年…
鹿島自動車整備工場 看板 思い出の街角

鹿島自動車整備工場 看板

 大夕張駅方面から明石町に向かうと、明石橋手前の左に自動車工場の建物、自動車教習所のコースへ降りる道路の入り口のようなものが見えていた。    かつて、大夕張に帰るときには、明石町を過ぎ自動車工場の看板が見えると、長い旅の終わりに「街に返ってきた」という気持ちが湧いたものだった。      昭和61…
南部貯木場 思い出の街角

南部貯木場

白黒写真に着色した画像   昭和30年代後半の南部貯木場 大夕張営林署南部貯木場 【奥山道紀】(2001年10月)  主夕張、下夕張、夕張岳の各森林鉄道で運び出された木材は、大夕張炭山(官行)や南部(南大夕張)の貯木場で大夕張鉄道の貨車に積込まれ、消費地へ運び出されました。  写真は昭和30年代後半…
大夕張土建労働會舘 思い出の街角

大夕張土建労働會舘

外壁に大夕張土建労働會舘の文字。 外壁が一部剥がれ落ちて出入り口にいた壁が打ち付けられているような荒れた状態で、閉山後の撮影か。 場所は千年町のようだが、詳細不明。 白黒写真に着色した画像  …
泉町10周年記念写真 思い出の街角

泉町10周年記念写真

昭和42年 泉町10周年記念行事 白黒写真に着色した画像 泉水町町内会の役員と出席者の皆さん 記念写真  【久々湊眞一】 昭和40年頃。 泉町開町10周年の記念行事。 左側の一番端に大夕張山神社の神主さんがいます。 宝沢の暗渠  【飯田雅人】  この写真ともう一枚の『泉町10周年』の写真を見ると、鹿…
直心の坂 春 思い出の街角

直心の坂 春

昭和35年頃 崖の上に見える建物は代々木町のあたり。 後ろの山にも雪がまだ残り、この時期雪はとけても、山を越えてまちに吹き込む風はとても冷たかった。 白黒写真に着色した画像   この坂(崖)は、冬はスキーのジャンプにそり遊びに、そして、代々木町と春日町を結ぶ大事な生活道路だった…