回想・随筆

日々生活の中で、ふと、あの日、あの頃を思い出す。ふと書き留めてみた過去の出来事、思い。

父の事故 |内川准一 随想

父の事故 |内川准一

 昭和35年の夏のこと、採炭夫の父は2度目の事故にあった。  大夕張の夏祭りの夜のことだった。   代々木町のアパートの間に架けられた巨大スクリーンで、屋外映画を見ていた私と妹は、会場内放送で呼び出された。   何故呼ばれたのかは、炭鉱の子供にはわかる。    詰所の人が、 「お父さんが(発破)事故…
北海道弁••••••ピーマン|高橋正朝 #61 続・大夕張つれづれ

北海道弁••••••ピーマン|高橋正朝 #61

   ピーマンは、私の好物な野菜だ。  たしか、『 クレヨンしんちゃん 』のマンガだったと思ったが、ピーマンを食べない『 しんちゃん 』に、食べさせようとする母親の『 みさえ 』とのバトルがあった。       子どもが、ニンジンが嫌いだの、ホウレン草が嫌いだのという場面を、マンガやテレビのホームド…
母の大夕張への思い|二木 晃 随想

母の大夕張への思い|二木 晃

 私の母は、当時、炭砿病院の隣にあった「家政塾」の和裁と料理の先生をしていました。  平成十二年に、名古屋のわが家で亡くなりましたが、時折、大夕張の生活を懐かしみ、短歌に記しておったようです。  先日、遺品を整理していたところ、大夕張への思いをつづった短歌数編が出てきましたので、拙いものですが、供養…
MY HOME TOWN | J 随想

MY HOME TOWN | J

 最近、時折聴く曲に、福山雅治さんの「18(エイティーン)」があります。  「MY HOME TOWN」の曲を、いつか歌いたいと思っていながら、若い時期のこれまでは歌えなかった曲とのことです。   聴くたびに、若いときの思い出と、ほろ苦さと、ふるさと大夕張が、思い出されます。    宣伝ではありませ…
大夕張を訪ねて|森雄司 随想

大夕張を訪ねて|森雄司

 三重県生まれで、三重県育ちの僕が、大夕張を訪ねたのは、9月中旬で偶然の出来事でした。  僕と妻は、「幸せの黄色いハンカチ」のファンで、そのロケ地を訪ねた後、富良野に向かい国道452号線を走っていました。  除雪車のような機関車が置いてある所を少し走ると、人気の無い町があり、カーナビはそこが鹿島であ…
八百五十の歌詞など | 早坂治敏 随想

八百五十の歌詞など | 早坂治敏

 前回の投稿から6ヶ月ぶりに投稿します。  この間、転勤やらで、ご無沙汰しました。   現在は富山に在住です。    転勤してから、立山連峰の山々に登っております。   浄土山、雄山、大汝山、真砂岳、別山、剣岳等々です。   夕張岳には昭和37年に登っています。    同じく八百五十にも昭和37年の…
サイレンの音を聞くと・・・・|野崎昭雄 思い出ばなし

サイレンの音を聞くと・・・・|野崎昭雄

「思い出貼」-「音の風景」の「サイレン」を聞くと、重苦しい雰囲気を思い出します。  鹿島小学校の授業中に、単発のサイレンを聞くと、定刻の知らせと安心しましたが、突如、連続して鳴りだすと、沈痛な雰囲気となりました。  定刻以外で連続して鳴りだすと、炭坑(ヤマ)が崩れたか、ガス爆発が発生したという合図だ…
見つけた写真 C1101 |Kawauchi Masami 思い出の記

見つけた写真 C1101 |Kawauchi Masami

  今日、片付け物してて写真を2枚見つけました。 その内の『C1101』の写真。 いつの頃か? 後ろに、三菱のラッセル車が見えます。 この汽車、見たこと有るような? 石炭の積む所が小さいので、印象に強く残っています。   番号の 『C1101』 覚えているような気がします。 大きく引き伸ばして有るか…
里見公園|宇良田彰 思い出ばなし

里見公園|宇良田彰

 「里見公園」というキーワードで検索すると大変な量のサイトがピックアップされてきました。  全国にはこれと同じ名称の公園が結構あるのだなと感心しました。    「里見公園(サトミ公園)」に関する想い出を一つ...。   高校時代に坂を下りた所に、確か「池田食堂」という屋号だったと思うのですが、そこで…
酸とアルカリ その2 |高橋正朝 #59 続・大夕張つれづれ

酸とアルカリ その2 |高橋正朝 #59

 以前書き込んだことだが、pH( ペーハー )の表を、鹿島中学校2年生の理科の教科書に載っていたのを眺めながら、強アルカリは、どういう現象を引き起こすのだろうか?と、疑問に思い、その疑問を持ち続けていた。       石けん液が目に入るとしみる。 これは誰でも経験して知っている。       鹿島東…
大夕張のこと| 内川准一   思い出ばなし

大夕張のこと| 内川准一  

 大夕張の最盛期は、たぶん、昭和35年頃だったように思います。   昭和37年、鹿島小学校卒業と同時に大夕張を離れた私にとって、昭和54年、17年ぶりの故郷との再会は衝撃的でした。   思えば、     町をあげての運動会。  メーデーの行進。  のど自慢大会。  ヘリコプターの校庭への飛来。  闘…
タイムカプセル | 石原賢治 随想

タイムカプセル | 石原賢治

 最近テレビ番組で、10年前ですとか、もっと昔の子供の頃、学校でタイムカプセルを埋めてそれを再び掘り出す様子を見ます。  大人になったらこうなりたいとか、当時の絵だとか、作文なんかが入っていて、見ているほうがほほえましくなったり、目がウルウルになったりします。   私の記憶違いかもしれませんが、鹿島…
At Seventeen|宇良田彰 随想

At Seventeen|宇良田彰

 大夕張出身の団塊の世代の皆さん!  お元気ですか?  世の中不景気ですが頑張ってください。暗い話題が多い今日この頃ですが、多感な頃を大夕張で過ごした同郷の仲間には頑張ってほしいと思う今日この頃です。     17才の頃、大夕張の地でそれぞれの青春を過ごした仲間にジャニス・イアンの「At Seven…
コークス工場のにわかプール|小林光志 思い出ばなし

コークス工場のにわかプール|小林光志

 昭和30年前後、私が小学生の頃、栄町のプールは、自由に使用できませんでした。  開放日には、大夕張中の人が来るので、手足を伸ばして泳げませんでした。   なにより期間が短かったので、もっぱら洗炭場の上や、いそじろの沢などで泳ぎました。      しかし、秘密の場所がありました。     それは、コ…
同級生との不思議な縁|里見尚子 思い出ばなし

同級生との不思議な縁|里見尚子

 昭和35年2月生まれです。  父の転勤で、鹿島小には昭和43年から46年まで在籍していました。   最後の担任の先生は、木村国男先生でした。  本当にやさしい、一番好きな先生でした。   当時は、炭坑がまだ栄えている時期で、転入生も多かったのを記憶しています。  私は、富士見町1丁目、スキー場のす…
坑内での弁当|今井一郎 思い出ばなし

坑内での弁当|今井一郎

 長谷川さんの『食憶(エピソード1)』を読んで思い出しました。    そうそう。みんな水筒には、お茶。特大のマヨネーズのチューブには、水を入れて凍らせていました。  入坑してすぐには凍っていて飲めないので、チビチビと休憩の度に解けた分を飲むと、節水(?)にも役立つとのこと。  私も真似をしようと思い…
清明寮のパン|野崎昭雄 思い出ばなし

清明寮のパン|野崎昭雄

 春日町の川向こうにある沢を、「礒次郎の沢」ということを、『散歩道』の中の住宅地図を見て、初めて知りました。  ガラス箱メガネと、ヤスを持って、ゴタッペをよく刺しに行ったにもかかわらず、今日まで沢の名前を知りませんでした。  小学校2~3年生のときに清明寮の近くに住んでおりましたので、この沢には、よ…