回想・随筆

日々生活の中で、ふと、あの日、あの頃を思い出す。ふと書き留めてみた過去の出来事、思い。

坑内の愛らしき動物  | Kawauchi Masami 思い出の記

坑内の愛らしき動物 | Kawauchi Masami

 坑内のネズミの話し。  坑内至る所にネズミが居ます。  交代番になると休憩所を作りました。  何故なら、坑道には、風が回っています。メタンガス排除や、新鮮な空気を送るため、結構、寒いのです。  そこで、風を防ぐため、ビニールで風を防ぐ小屋を作りました。会社も暗黙の了解と言う感じでした。そこに、当然…
坑内での動力について | Kawauchi Masami 思い出の記

坑内での動力について | Kawauchi Masami

 今度は坑内での動力の話。  まず電気ですが、もちろんモーターですが、火花の出ない、防爆方を使います。 電気モーター  電気モーターは、大きな力を必要な時に使われます。  払いの機械や、H型コンベア、直径32mmのワイヤーを巻いたり人車を巻く巻き上げ機。ベルトコンベア、ガス警報器、その他です。 圧縮…
ビリーパック、バットマン、ルコック|高橋正朝 #11 続・大夕張つれづれ

ビリーパック、バットマン、ルコック|高橋正朝 #11

 私が鹿島東小学校3年生の初夏のころ、夜の7時ぐらいのとき、新聞のラジオ番組表など読めないので、どの番組を聴くか、という目的もなしに、ダイヤルをゆっくり回していたら、突然、 『 ビリーパック•ビリーパック•ビリーパック•••••• 』と流れてきた。  そこでダイヤルを微調整して止めると、更…
炭坑町の記憶 と 怪獣映画|菅井宏史 随想

炭坑町の記憶 と 怪獣映画|菅井宏史

 私が大夕張にいたのは小学校4年までですから、その記憶も当然のことながら子供のそれでしかありません。友達の誰々ちゃんと遊んだ、幼稚園ではどうだった、小学校はではこうだった、などなど・・。途方もなく広く感じられたあの鹿島小学校のグランド、あの目線の低さが私の大夕張の記憶の全てなのです。  中学、或いは…
赤胴鈴之助|高橋正朝 #10 続・大夕張つれづれ

赤胴鈴之助|高橋正朝 #10

『 《 さゆり、吉永小百合。 (•••数人の名前•••) 。 語り手、山東昭子 》 』     私の年代にはすぐわかる。 これは、 『 《 う〜む、チョコザイな小僧め、名を、名を名乗れ 》《 赤胴鈴之助だ 》 』    というラジオ番組です。  スポンサーの CM ソングは、『 ニッスイ、ニッスイ、…
川と自然について|今井一郎 随想

川と自然について|今井一郎

 本日、夕方よりSTVテレビにて、岡崎文吉氏の川の番組を拝見しまして、最近のSTVは、この様なドキュメンタリー番組の作り方が上手くなったなあと思いました。  『山史(三菱大夕張鉄道58年史)』を読んで来ると、土砂崩れ、橋梁流出など自然を相手に戦ってきた歴史を垣間見る事ができますが、不図、これで良かっ…
赴任の思い出と岳楓寮の食生活|山中佐喜男 思い出ばなし

赴任の思い出と岳楓寮の食生活|山中佐喜男

 昭和46年から48年の3年間、私は新卒教諭として鹿島東小に赴任しました。空知教育局に呼び出され、夕張登川小に行くように言われ、すぐバスに乗り本町にある教育委員会に行きました。  すると教育長との面接で「君は鹿島東に行ってもらうよ」との一声で、大夕張との運命的な出会いとなったのです。  当時、登川が…
アパートちゃん |高橋正朝 #9 続・大夕張つれづれ

アパートちゃん |高橋正朝 #9

 私が、鹿島東小学校の1年生のときに、我が家にラジオがあったかどうか定かでない。  当時としては、簡単に購入できる品物ではない。2年生になって夏休みが始まるころには、ラジオは茶箪笥の上に鎮座していた。  NHK 第1放送と第2放送は、わりとよく聴こえたのだが、他の民間放送局の番組は、日によっては雑音…
心の原風景|菅井宏史 随想

心の原風景|菅井宏史

 坂道、それも急で長い坂道を登っていると、ふと心が回りの景色から離れ、小さい頃、息を切らせてよく登っていた坂道のことなどが、心に浮かんでくることが、以前から度々ありました。  大夕張の坂道、「そういえばあの頃の生活には、いつも坂道があったなあ」と。  生まれたのが、常盤町の一番山手にある住宅でした。…
久遠の故郷大夕張|対馬良一 随想

久遠の故郷大夕張|対馬良一

  今年は各地で雪が多く大変ですね。  子供の頃の大夕張も雪が多く、玄関入口まで雪で窓から出入りした思い出があります。  春先、雪がとけだすと、融けた水が玄関に入り、玄関の戸が凍りつき、お湯をかけなければ開けられなかった事もありました。  ハーモニカ長屋の共同トイレも寒く遠く、冬のトイレは嫌でした。…
マンガ雑誌と上げ底 |高橋正朝 #8 続・大夕張つれづれ

マンガ雑誌と上げ底 |高橋正朝 #8

 私が鹿島東小学校1年生のときは、我が家では、まだ定期的にマンガ雑誌は買ってもらえなかった。  生活費の節約のためだったろうと思う。2年生だったときも同様だ。それでも、親の気まぐれで、学年雑誌を2、3回ぐらいは買ってくれた記憶がある。  東小学校3年生になったら、毎月マンガ雑誌を買ってくれるようにな…
ラーメンと給料日の話|Kawauchi Masami 思い出の記

ラーメンと給料日の話|Kawauchi Masami

 当時のインスタントラーメン、『あけぼのラーメン』『よっちんラーメン』『ハイトップラーメン』などありましたが、一番人気あったラーメンは、『ちびっ子ラーメン』です。  当時、春日町の各家庭で、30コ入りのインスタントラーメンを、箱買いしてました。それで、各家にある、ラーメンを持ち寄った為、さまざまな種…
教室の掃除当番|高橋正朝 #7 続・大夕張つれづれ

教室の掃除当番|高橋正朝 #7

 義務教育の公立学校で、教室を生徒が掃除するというのは、日本は世界のなかでは例外のようである。  日本国内でも、私立小学校や私立中学校はどうなのかは知らない。  夕張市立の小中学校の1クラスの生徒は、我々は団塊世代だったので、どこの学校も50人ぐらいだったろう。低学年を除き、掃除当番はグループ分けさ…
交通信号機 |高橋正朝 #6 続・大夕張つれづれ

交通信号機 |高橋正朝 #6

 我々の子ども時代、大夕張には交通信号機がなかった。  交通信号機自体は、絵本、マンガ、テレビ、映画などにでてくるから知ってはいるのだが、実物を見たのは、夕鉄バスに乗り、見学旅行で初めて札幌に行ったときだった。  鹿島東小学校4年生のときだった。  古谷製菓と北海道新聞社を見学した。古谷製菓では、オ…
『東京家族』、そして『あの橋の畔(たもと)で』|ziny 随想

『東京家族』、そして『あの橋の畔(たもと)で』|ziny

 またまた当選して、今、うわさの「東京家族」の特別試写会へ行ってきました。  弟が生まれた昭和28年につくられた小津安二郎監督の「東京物語」の現代版です。  スカイツリーや、横浜の観覧車も登場します。故郷から遠く離れた東京で暮らす子供たちを老親が訪ねるお話。  ふるさとを離れて、それぞれの生活リズム…
川に落ちた話|Kawauchi Masami 思い出の記

川に落ちた話|Kawauchi Masami

 シューパロ川で遊んでいて、滑って転んでしまい、服が上から下まで、べしょ べしょに濡れました。  小学校低学年の頃です。  「母親に叱られる」と、途方に暮れていました。『どうしょう』と、思っていた時、目の前に、母の好きな ミツパが有ったのです。  すかさず、山菜の三つ葉を取り、母に「三つ葉を取ってい…
夕張奥のトムンチ・コタン|准 随想

夕張奥のトムンチ・コタン|准

「夕張の奥にトムンチ・コタンというところがあり、ここには性の悪い熊でも獺(かわうそ)でも貉(むじな)でも蜂でも、この世の中であらゆる悪いことをした者を集めて置くところがあると伝えられている(名寄市:北風磯吉老伝)。」     *  *  *  雨天と低温続きの大型連休でしたが、明日で終わります。  …
パチンコづくり|Kawauchi Masami 思い出の記

パチンコづくり|Kawauchi Masami

 当時、おもちゃのパチンコが、売っていました。  弾の所、ゴムの真ん中に、革見たいのが付いていて、小さい石っコロを飛ばしていました。  でも、ゴムが輪ゴムを切った様な貧弱なものでした。  子どもの頃、パチンコ も、自分達で作りました。   形は山という時の真ん中の長い 棒を下に向けた形。両方の山の字…
スイングバイとSF|高橋正朝 #5 続・大夕張つれづれ

スイングバイとSF|高橋正朝 #5

 私が住んでいた明石町番外地の自宅の斜め後ろに、小林順治さんが住んでいた。彼の2歳上に、和子さんがいた。  ある日、彼女がもういらないからと言って、旺文社だったか学習研究社だったか覚えていないが、学年雑誌を二十冊ほどいただいたことがあった。鹿島中学校の1年生のときだったように思う。  ご存知のように…
花火で鉄砲を撃った話|Kawauchi Masami 思い出の記

花火で鉄砲を撃った話|Kawauchi Masami

 花火の話ですが、昭和35年ごろ、すり花火とダイナマイトと言う爆発する花火が、有りました。すり花火はマッチ箱で、すって火をつけます。ダイナマイトは、道火線が付いていて、道火線にマッチで火をつける花火です。  すり花火は、マッチ箱のするところで、こすると火がつきます。そこに、缶詰の缶をかぶせると、電信…