訪問記 大夕張を訪ねて(その2)-1997年8月大夕張-|乗田功一 先に投稿しました、1997年8月21~23日、3日間の大夕張行きの続編です。 閉校式から2カ月経った鹿島小学校は、新学期も始まり今も変わらず授業が行われているようです。 グラウンドの富士見町寄り、校門があった近くに真新しい閉校の記念碑が建てられていました。裏側には在校生12名の名前と、「閉校 … 続きを読む
訪問記 大夕張を訪ねて -1997年8月大夕張-|乗田 功一 昭和48年の閉山まで栄町に住んでいました。 8月21~23日にかけて、大夕張へ行きましたので報告します。 曇りがちで、時折雨がパラつく、あいにくの天気でしたが、ゆっくりと街を見て歩きました。 閉山以来、3年前に初めて行ってから、これで4度目ですが、行く度に街が寂しくなっていくのを感じます。 … 続きを読む
続・大夕張つれづれ 無犯罪証明書|高橋正朝 #13 『 無犯罪証明書 』そのものは、大夕張にはなんも( 懐かしい北海道弁 )関係ない。 『 まぼろし探偵 』のラジオ番組を、大夕張での子ども時代に聴き、『 まぼろし探偵 』の正体は誰かで、私が言った「 指紋を検べればいい 」という話から、私の指紋は警視庁に保管されているということに話が流れ、その経緯… 続きを読む
思い出ばなし 聖心幼稚園、鹿島小学校の記憶 |菅井宏史 1998年・・・。 ついに無人の地となった我々のふるさと大夕張。それでもふるさとはふるさと。やはりそうなってもまだ行きたい、行かなければという思いに駆られます。 ただそうしたくてもそうおいそれとは行けない人が多いのも事実です。 私もその一人です。普通はそれで終わりなのでしょう。そうしてその故… 続きを読む
随想 《思えば遠くへ来たもんだ》 |美佐子 37年前の今日、東京に出て来ました。 大夕張 千年町の自宅前から、従兄弟の車で札幌まで送ってもらい、札幌の親戚の家に挨拶に行き、札幌から函館まで列車に乗りました。確か「ゆうづる」という列車だったと思います。 札幌駅には、おばあちゃん、叔母達、従姉妹が見送りに来てくれました。 叔母が「もうし… 続きを読む
思い出ばなし 戦後まもない頃の母の鉄道の思い出|飯田雅人 私の母から聞いた話です。 『山史』(三菱大夕張鉄道58年史)の中に、「雪害事故」と題して次のような記述があります。 昭和21年3月14日、融雪期にもかゝわらず夕刻より重量ある湿雪が降りはじめ、15日に至るも止まず、蒸気機関車3両をもって運転する。 ラッセル車も及ばず、線路両側は、数メートルに… 続きを読む
随想 心根地 第三章 夕張岳より|今井一郎 彼が、南部に移り住んでから一年になろうとした頃、南部のヤマ元で事件が起こった。 昭和六十年六月五日午後三時四十分頃。三菱南大夕張砿南一卸七方付近で起こったガス突出事故が発端であった。そのガス突出事故に坑内火災が加わった。 炭砿の坑道は地下に網の目の如く掘られている。そして、坑道一本一本に名称が… 続きを読む
続・大夕張つれづれ まぼろし探偵と指紋|高橋正朝 #12 私がマンガ雑誌を毎月買うようになって、最初の2年ぐらいは、「 少年画報 」だった。 その当時、マンガ雑誌としては最も売れていたと思われる。 『 赤胴鈴之助 』が人気沸騰し、『 ビリーパック 』があり、手塚治虫 の『 スーパー太平記 』、それに、桑田次郎 の『まぼろし探偵』が加わった。… 続きを読む
思い出の記 坑内の愛らしき動物 | Kawauchi Masami 坑内のネズミの話し。 坑内至る所にネズミが居ます。 交代番になると休憩所を作りました。 何故なら、坑道には、風が回っています。メタンガス排除や、新鮮な空気を送るため、結構、寒いのです。 そこで、風を防ぐため、ビニールで風を防ぐ小屋を作りました。会社も暗黙の了解と言う感じでした。そこに、当然… 続きを読む
思い出の記 坑内での動力について | Kawauchi Masami 今度は坑内での動力の話。 まず電気ですが、もちろんモーターですが、火花の出ない、防爆方を使います。 電気モーター 電気モーターは、大きな力を必要な時に使われます。 払いの機械や、H型コンベア、直径32mmのワイヤーを巻いたり人車を巻く巻き上げ機。ベルトコンベア、ガス警報器、その他です。 圧縮… 続きを読む
続・大夕張つれづれ ビリーパック、バットマン、ルコック|高橋正朝 #11 私が鹿島東小学校3年生の初夏のころ、夜の7時ぐらいのとき、新聞のラジオ番組表など読めないので、どの番組を聴くか、という目的もなしに、ダイヤルをゆっくり回していたら、突然、 『 ビリーパック•ビリーパック•ビリーパック•••••• 』と流れてきた。 そこでダイヤルを微調整して止めると、更… 続きを読む
随想 炭坑町の記憶 と 怪獣映画|菅井宏史 私が大夕張にいたのは小学校4年までですから、その記憶も当然のことながら子供のそれでしかありません。友達の誰々ちゃんと遊んだ、幼稚園ではどうだった、小学校はではこうだった、などなど・・。途方もなく広く感じられたあの鹿島小学校のグランド、あの目線の低さが私の大夕張の記憶の全てなのです。 中学、或いは… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 赤胴鈴之助|高橋正朝 #10 『 《 さゆり、吉永小百合。 (•••数人の名前•••) 。 語り手、山東昭子 》 』 私の年代にはすぐわかる。 これは、 『 《 う〜む、チョコザイな小僧め、名を、名を名乗れ 》《 赤胴鈴之助だ 》 』 というラジオ番組です。 スポンサーの CM ソングは、『 ニッスイ、ニッスイ、… 続きを読む