続・大夕張つれづれ 鹿島東小学校すぐそばの住宅火事|高橋正朝 #4 前回、#3で岳富町の商店街の火事のことを書きましたが、翌年の5月か6月のころ、鹿島東小学校すぐそばの住宅地で火事があった。東小学校の校門から出て、すぐそば、千年町駅へ向かう坂のところです。 この火事のときも、明石町から黒い煙が立ち昇るのが見えた。各家庭で夕食の準備をする時間帯だった。同級の男子生… 続きを読む
随想 YS11の町にて思う|柳川 傑 昭和37年(当時小5年)に、春日町から現在の愛知県三好町に家族そろって転居して来ました。 親父(故人)が、当時、大夕張炭鉱の労務の仕事をしていて、炭鉱離職者を引き連れ、農村地帯だった三好町が、工場誘致条例の第1号として誘致した、三菱の「YS11」プロペラ機の部品工場であった「三和金属」に転職して… 続きを読む
思い出の記 汽車と競走した話|Kawauchi Masami 昭和40年ごろ、東京に旅行に行って速い電車に慣れて、大夕張鉄道に乗ったとき、遅くて 遅くて、なんだこれっと思ったものでした。清水沢〜遠幌間が、特に、遅かったと記憶しています。 小学校5年生の時、清水沢〜大夕張まで、汽車と24インチの自転車で競走した事が有りました。 いい戦いでした。 … 続きを読む
思い出ばなし 語り継がれた話|佐々木広行 もう27年前の事ですが、通学で毎日大夕張、清水沢間を、今では名前も忘れましたが、SLで通っていた頃のことです。 当時、私は、夕張南高校へ行っておりまして、毎日SLを利用していた訳なのですが、有る日、登校の時だったか、下校の時だったかは忘れましたが、いつものように、SLに乗っていました。 座席が… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 「痛快ブック」と岳富町商店街の火事|高橋正朝 #3 私が鹿島東小学校3年生の春、明石町番外地の自宅の外で、寺田ヒロオのマンガ、「 背番号ゼロ 」を手にとっていた。 表紙に 「 新漫画党 」 と書かれ、黒丸の上から下に稲妻形のマークが入っている。 稲妻形と思ったのは、アルファベットの S の図案化だったのを後に知る。 つまり、「 新漫画党&… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 寺田ヒロオのマンガと読者~観客者の想像力~|高橋正朝 #2 私が鹿島東小学校2年生のとき、小学館の学習雑誌、「 小学2年生 」に掲載されていた、寺田ヒロオ のマンガの意味がわからず、悩んだ、と形容するほどでもなかったが、断続的に何十回も考え、ようやく東小学校4年生ぐらいのとき、理解できたものがあった。 このマンガ、小学2年生用だったのだが••••••。 … 続きを読む
随想 窓が埋まったときは!|内川准一 一昨日。我が家に1本の電話。電話の主は亡・父親宅の隣家。 「あの~○○ですけど~」、妻「何かありましたァ?」、隣人「屋根から雪が落ちて家の壁に当たったんですけど、みてもらいたいんですけど・・」、妻「分かりました、帰ってきたら夫に電話させますから。」、隣人「なるべく早くお願いします。」プツン。 … 続きを読む
続・大夕張つれづれ 鹿島東小学校1年生|高橋正朝 #1 私が鹿島東小学校1年生のときの担任は、長谷川ヒロコ先生でした。 飯田さんがスマホ用に編集転載した、「 大夕張つれづれ #18 」にその原文が載っています。 したがって、ここに書き込んだ内容は、一部その原文と重複します。それに、飯田さんとやり取りしたメールの一部を書き加えました。 最初の P… 続きを読む
大夕張色の情景 バスは山間の街をめざす 昭和31年9月 大夕張のヤマの中を バスが走った 南部から先は 陸路のない時代 左にはるか続く山々、右手に深く険しい峡谷 いくつもの深い谷を 越え その先の町にバスを運ぶ こんな 光景が みられたかもしれない … 続きを読む
随想 文集『ヤマの子』|高橋 歌子 昨日、実家の押入れを整理していましたら、東小学校時代の卒業文集と「ヤマの子」と題する文集が三冊出てきました。 これは小学5~6年に担任だった吉田要作先生がまとめたものです。 B4判の茶色の紙にガリ版で印刷され、まるで活字を使ったかのようにきれいで丁寧な字で埋められています。 「ヤマの子」は夏… 続きを読む
訪問記 美鉄バス 大夕張最後の日|坂井郁夫 平成9年10月のバス営業所と美鉄バス 札幌線が廃止になってから、大夕張には2台のバスがありました。 平成9年(1997年)11月30日。当日は2台とも室内に装飾(1台は窓ガラスにサヨナラメッセージ)が施され、なんとなんと、全便2台連行で、しかも無料でした。 大夕張発イベントは、15:36発、夕… 続きを読む
思い出ばなし 羆に脅かされ羆に助けられた話|ふぉんていん はじめまして、匿名にて失礼します。小生、緑町で生を受け(産婆さんは池田さんと仰る方です)、東高卒業まで大夕張に在住しておりました。 「大夕張掲示板」に邂逅し、望郷の念で筆を執らせてもらいました。 昭和四十年代前半だったと思いますが、シューパロ湖畔で飼われていた羆が脱走したことがありました。ハンタ… 続きを読む
訪問記 1998年12月 大夕張冬景色|長谷川潤一 ●は撮影地点 山の冬景色(官行)栄町から冬のズリ山大夕張駅前歩道橋大夕張神社雪の鹿島小校庭岳富町千年町常盤町白金明石町方面98年 大夕張冬景色 (撮影:1998年12月30日) 本当に誰もいない大夕張の冬になりました。いったい、あのポストに手紙を出すのは誰?・・・・。 風にのって降ってくる雪の音が聴… 続きを読む