随想 心の原風景|菅井宏史 坂道、それも急で長い坂道を登っていると、ふと心が回りの景色から離れ、小さい頃、息を切らせてよく登っていた坂道のことなどが、心に浮かんでくることが、以前から度々ありました。 大夕張の坂道、「そういえばあの頃の生活には、いつも坂道があったなあ」と。 生まれたのが、常盤町の一番山手にある住宅でした。… 続きを読む
南部 南部 東町 住宅地図 (昭和43年) 昭和43年の住宅地図。 この年の住宅地図には、大夕張地区と、南部地区が同じ版に掲載されています。南部地区新鉱開発が始まった頃。ここには、新鉱開発用事務所ができています。 南部東町(昭和43年|1968年版 住宅地図)… 続きを読む
炭鉱とともに 三菱南大夕張炭砿全景 昭和50年頃。道路は右に、大夕張。左に清水沢。写真左手に南大夕張駅が見えています。 上空からの南大夕張炭砿を撮影 【本間正雄】 南大夕張炭鉱全景は昭和40年後半から50年前半のもの。 写真の下半分から右に白いラインがのびて、曲がって上に延びてる(1部緑色)のが、ズリ運搬のベルトコンベアの構築物… 続きを読む
思い出の街角 南部 青葉町 昭和50年頃 『南部 東町・新緑町』の写真を、三菱南大夕張礦業所を中心に、視線をやや左に振った写真になります。橋を渡ったところが青葉町。 昭和50年 遠い時代 遠い町 【ヒロ みうら】(2003年4月7日) この頃ふるさと大夕張とも疎遠になっていた時代でした。南大夕張のイメージがほとんど無くてこの… 続きを読む
思い出の街角 白樺の新緑の道 昭和20年代から、50年代。暁橋から、常盤町を横切る鹿島中学校への通学の道だったはず。それとも・・・。 鹿島中学校閉校記念誌より『白樺の新緑の道』とつけられた写真。 平成14年5月に訪れた常盤町の白樺林 https://ooyubari.com/2020/03/14/sirakabatokiwa/… 続きを読む
随想 久遠の故郷大夕張|対馬良一 今年は各地で雪が多く大変ですね。 子供の頃の大夕張も雪が多く、玄関入口まで雪で窓から出入りした思い出があります。 春先、雪がとけだすと、融けた水が玄関に入り、玄関の戸が凍りつき、お湯をかけなければ開けられなかった事もありました。 ハーモニカ長屋の共同トイレも寒く遠く、冬のトイレは嫌でした。… 続きを読む
続・大夕張つれづれ マンガ雑誌と上げ底 |高橋正朝 #8 私が鹿島東小学校1年生のときは、我が家では、まだ定期的にマンガ雑誌は買ってもらえなかった。 生活費の節約のためだったろうと思う。2年生だったときも同様だ。それでも、親の気まぐれで、学年雑誌を2、3回ぐらいは買ってくれた記憶がある。 東小学校3年生になったら、毎月マンガ雑誌を買ってくれるようにな… 続きを読む
思い出の街角 代々木アパート手前から 閉山前の昭和45年頃でしょうか。大夕張駅での間に多くの人が歩いているのが見えます。弥生町の詰所と浴場がここから見えています。 弥生町 浴場と詰所(地図は昭和33年) 浴場と詰所の間には広場が在った。下の記事は、広場で行われた山神祭の準備の様子 https://ooyubari.com/2021/06… 続きを読む
陳列棚 大夕張礦業所 私の印鑑|Kawauchi Masami 私の大夕張時代、三菱大夕張鉱業所の『印鑑』があります。 私の場合、少年工に入った時、会社で作ってくれました。 会社はこの印鑑しか、認めてくれませんでした。親父も同じもの持っていました。私が、2〜3歳の頃、親父のこの印鑑と社員証を紐で繋げて、もっていました。 社員証に、いっぱい印鑑を押して、詰… 続きを読む
思い出の記 ラーメンと給料日の話|Kawauchi Masami 当時のインスタントラーメン、『あけぼのラーメン』『よっちんラーメン』『ハイトップラーメン』などありましたが、一番人気あったラーメンは、『ちびっ子ラーメン』です。 当時、春日町の各家庭で、30コ入りのインスタントラーメンを、箱買いしてました。それで、各家にある、ラーメンを持ち寄った為、さまざまな種… 続きを読む
映像 湖に沈んだ大夕張・5選 YouTubeにあげられた湖底に沈んだ大夕張。昔を取り上げた映像や、今の様子を伝える膨大な数の映像がすでに、あげられています。これからもその数は増えることはあれ、減ることはないでしょう。 神々しいまでに美しい夕張岳と、その麓に満々と水をたたえたシューパロ湖(というか、私にとっては『新・シューパロ… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 教室の掃除当番|高橋正朝 #7 義務教育の公立学校で、教室を生徒が掃除するというのは、日本は世界のなかでは例外のようである。 日本国内でも、私立小学校や私立中学校はどうなのかは知らない。 夕張市立の小中学校の1クラスの生徒は、我々は団塊世代だったので、どこの学校も50人ぐらいだったろう。低学年を除き、掃除当番はグループ分けさ… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 交通信号機 |高橋正朝 #6 我々の子ども時代、大夕張には交通信号機がなかった。 交通信号機自体は、絵本、マンガ、テレビ、映画などにでてくるから知ってはいるのだが、実物を見たのは、夕鉄バスに乗り、見学旅行で初めて札幌に行ったときだった。 鹿島東小学校4年生のときだった。 古谷製菓と北海道新聞社を見学した。古谷製菓では、オ… 続きを読む
楽しかった日々 炭住脇のスキー 昭和37年頃、冬。竹ストックとカンダハー(カンダハン)のスキー。 窓の外のスキー場 【飯田雅人】 弟が2歳くらい、自分6歳の頃の写真です。 トタン屋根から落ちた雪はそのまま積もり、この年齢の子どもが遊ぶには、かっこうの傾斜が付きました。 父のスキーが立っていますが、当時のスキーは、長くて重かっ… 続きを読む
随想 『東京家族』、そして『あの橋の畔(たもと)で』|ziny またまた当選して、今、うわさの「東京家族」の特別試写会へ行ってきました。 弟が生まれた昭和28年につくられた小津安二郎監督の「東京物語」の現代版です。 スカイツリーや、横浜の観覧車も登場します。故郷から遠く離れた東京で暮らす子供たちを老親が訪ねるお話。 ふるさとを離れて、それぞれの生活リズム… 続きを読む
楽しかった日々 昭和48年 松本菓子店前の歩道 昭和48年、閉山が決まった年の夏。栄町商店街の一角。松本菓子店の前。 隣が佐藤時計店(キンセイ堂)。向かいには、購買会から続く、7軒の商店が写っています。 歩道を歩いている当時の目線を思い起こします。 「こんにちは」と声をかけたくなる写真です。栄町商店街の街のひとこま。 商店街の歩道。三輪車に乗った… 続きを読む
思い出の記 川に落ちた話|Kawauchi Masami シューパロ川で遊んでいて、滑って転んでしまい、服が上から下まで、べしょ べしょに濡れました。 小学校低学年の頃です。 「母親に叱られる」と、途方に暮れていました。『どうしょう』と、思っていた時、目の前に、母の好きな ミツパが有ったのです。 すかさず、山菜の三つ葉を取り、母に「三つ葉を取ってい… 続きを読む