思い出の街角 大夕張生協 昭和48年閉山の夏。 閉山直後に撮影された写真は、『ふるさと大夕張』に掲載されていたが、これらの写真は、鹿島小学校郷土室にあった写真。 郷土室にあったそれらの写真の説明では、『閉山により街の姿が大きく変わることを予想し、記録を留めておくために鹿島小学校の先生が撮影してまわった』と書かれていた。… 続きを読む
楽しかった日々 大夕張神社 花見 のんびりとしたなんとも言えぬなつかしさが伝わってきます。 大夕張の春は5月になってから。 その頃になってようやく春らしく温かい日ざしを感じることができるようになります。桜や梅の花,スイセン,チューリップといった花がいっせいに咲き始めます。 そんな晴れた休日の一こまの風景。町内でしょうか、職場… 続きを読む
思い出の街角 岳富町の坂 (緑町から岳富町方面) 昭和48年頃、岳富町方面。 ここは、かつて宝沢と呼ばれる沢地だった。 父母の年代は、岳富町と呼ぶより、『たからざわ(宝沢)』と呼ぶ方がしっくりしていただろう。 昭和40年代、少年たちが自転車にのって、町を走り出した頃、駅前から千年町方面にいくには、この坂道を風をきってとばしていた。車は滅多に通… 続きを読む
楽しかった日々 明石町 鯉のぼり 昭和40年頃 白黒写真に着色した画像 お父さんに肩車。青空がまぶしい。 鯉のぼり 【工藤 央】 これは教員住宅、工藤の家の前(校門脇)に飾った鯉幟です東高生の中には昭和40年から45年はこれを見て通った方もおられると思います。… 続きを読む
思い出の街角 駅前商店街から大夕張駅 昭和45年から閉山の頃にかけての撮影のようだ。 昭和45年頃、大夕張生活協同組合と鹿島旅館との間の道路中央に立って大夕張駅を正面に見ている写真。 写真を大きくして、看板を読んでいくと、左手が生協から、長塚呉服店、幸寿司、食堂『十八番』。 右側が、『ときわ』、バーエルボン、喫茶ポニー、時計眼鏡… 続きを読む
白地図 昭和38年地図 泉町 昭和38年泉町の地図に、色鉛筆で着色済み。 とりあえず、カテゴリーは白地図に入れておきます。 もし作品をつくったり、着色したものが増えてきたらまた別なカテゴリーを作ろうと思う。 昭和38年 資料(鹿島のあゆみ掲載地図を修正 着色)… 続きを読む
2丁目3番地 『ふるさと大夕張2丁目3番地』の新しいアドレスです 『ふるさと大夕張』(1丁目1番地)から、データを引越しながら、新しい『ふるさと大夕張2丁目3番地』での更新を続けてきました。 大夕張掲示板に2021年4月6日付で、 備忘録メモ『ふるさと大夕張2丁目3番地』のいちおうの完成形は、内容的には、・『ふるさと大夕張』(1丁目1番地)のデ… 続きを読む
街の行事 子ども御輿 (信用金庫と拓銀前) 昭和44年頃 山神祭。駅前を行く、子ども御輿。 手前から拓銀、隣に夕張信用金庫の大夕張支店 この写真の構図は歩道橋から写したものでしょうから、昭和44年頃 拓銀は、平成9年(1997年)11月17日、経営破たんというかたちで、1900年以来の歴史にピリオドをうつことになってしまいました。 【北海… 続きを読む
思い出の街角 昼下がりの駅前風景 昭和45年頃、左手前に消防署。正面にズリ山、栄町商店街。 やっぱり人々が写っている大夕張がいい・・・。 買い物かごを下げたエプロン姿のおばさん達がなつかしい。夏の太陽が照りつける日の昼下がり、遠方に見えるアスファルトの端がゆらめき、そこには逃げ水が出来きている, 逃げ水を追いかけた道路を、… 続きを読む
写真 故郷と水仙(スイセン)の記憶 水仙と大夕張 【飯田雅人】 水仙は、春ともなると家々の軒先や庭にあたりまえのように植えられていました。富士見町の住宅は、家と家との間が盛り土で階段状になっていて、そこから染み出る清水で湿っていて、そこここに咲いていたのです。積もった雪が少なくなるとその下からつぼみが雪を持ち上げ、黄色い花を咲かす様は… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 明石町の店の変遷 | 高橋正朝 #35 例によって、飯田さんが編集した写真をコピペ。 私は、昭和39年の春に、一家転住でもって札幌に引っ越した。 だから、飯田さんが編集した明石町住宅地図は、それから4年後のものである。 昭和30年代 明石町 右下の建物は、明石町の購買会。 対岸から見た明石町 昭和40年… 続きを読む
写真 消火栓とふきのとう2|高橋歌子 土の上に顔を出したふきのとう 2011年5月15日 鹿島東小学校グラウンド 後ろの山のかたちは かわらない 実際にその場所に立つと当時の気持ちが思い浮かんでわずかな痕跡でもうれしくなってしまいます。雪が積もっている頃もきれいでしたが花が咲くとさみしい感じが薄れて心が暖かくなってきます… 続きを読む
思い出の記 春日町住宅の親父|Kawauchi Masami 昭和40年頃の冬 白黒写真に着色した画像 お茶を飲む父 春日町の長屋、3つ部屋が有ったうちの、真ん中の部屋、藤木ストーブであったまりながら、お茶を飲んでいます。 藤木ストーブに鉄瓶が見えますね。 藤木ストーブの後ろには、釜が、藤木ストーブの後ろの蓋を外して、入れてあります。 ウチでは、これで… 続きを読む
写真 消火栓とふきのとう 1 | 高橋歌子 2011年5月15日 鹿島東小のグラウンドの消火栓とふきのとう 実際にその場所に立つと当時の気持ちが思い浮かんでわずかな痕跡でもうれしくなってしまいます。雪が積もっている頃もきれいでしたが花が咲くとさみしい感じが薄れて心が暖かくなってきます… 続きを読む
楽しかった日々 炭砿病院前 昭和35、6年頃 病院手前の踏切のそばにあったブロックの前で、住所的には、富士見町4丁目になるだろうか。道路をわたって、礦業所事務所に向かって5丁目、6丁目となった。(下の地図参照) 近所のブロックに住んでいた『シズコちゃん』は、小学校入学前の頃の自分とよく遊んでくれた。何度も家に遊びに行った記… 続きを読む
写真 千年町バス通りと福寿草 |高橋歌子 青葉荘 道路端に咲く福寿草 今日、大夕張に行ってきました。 大夕張にも春が来ていました。 福寿草、千年町の郵便局側あたりや、千年町の舗装道路が途切れて50メートルくらい行ったところの、桜荘と青葉荘の間の崖?にたくさん咲いていました。 水仙はあちこちにありました。 東小の池にはかえるの卵がありました。… 続きを読む
思い出貼 ひなたぼっこ 昭和37年頃、富士見町5丁目の下あたり。6歳と2歳の兄弟。近所の空き地でゴザを敷いてひなたぼっこ。 このあたりは、小学校入学前くらいまで過ごしていた場所である。ゴザの上に雑誌が置いてあるのが見える。当時、小学館の『よいこ』や『めばえ』という雑誌をみた記憶があるので、たぶん『よいこ』ではないかと、… 続きを読む