岳富町

鹿島小学校から鹿島東小学校方面 思い出の街角

鹿島小学校から鹿島東小学校方面

  昭和40年頃、大夕張神社からの遠望。 神社の山の木々の間に鹿島小学校,宝沢の築堤の向こうに岳富町商店街。 そして遠く千年町、シューパロ川近くに鹿島東小学校グラウンドと、高台に見えるのは、桜・青葉荘か。   西日が商店街や校舎を照らし、眩しく照り返す。     白黒写真に着色した画像       …
宝沢 晩秋 2001 写真

宝沢 晩秋 2001

そのむかし、宝沢は沢を埋め立て暗渠となり、その上に緑町と千年町を結ぶ道路を通した。 昭和7年の秋から翌昭和8年の1月にかけてのことだった。      戦後、そこにできた商店街と、新しく与えられた岳富という町のなまえ。    すでに町はなく、舗装された道路だけが宝沢の窪地に緩やかな弧を描き残っていた。…
岳富町商店街と「しがい」 思い出の街角

岳富町商店街と「しがい」

「しがい」とよんでいた千年町。 その千年町と大夕張駅方面を結ぶ岳富町。昔の人は宝沢と呼んだ。 千年町との往来には、この沢を埋め立てた道を歩いた。 戦後鉄道の築堤沿い建ったバラックの商店は昭和30年代立派な商店街となり、「岳富町」となった。 千年町方面のことを、子どもの頃「しがい」と呼んでいた。 千年…
宝沢 冬 2002 訪問記

宝沢 冬 2002

宝町の広場、集会所のあったあたりから、岳富町(宝沢)を間に緑町。 町はもうない。   標語塔に「人の子もわが子もみんな社会の子」という標語が読める。 それぞれの時代に掲げられたいくつもの言葉が、赤茶色に錆びた標語塔に重なり合って浮かび上がっていた。 唯一読み取ることのできたこの言葉が、地域に向けて発…
昭和48年 スナック『しのぶ』と味の店『はるみ』 炭鉱とともに

昭和48年 スナック『しのぶ』と味の店『はるみ』

この年、1973年(昭和48年)4月19日に会社から閉山提案。 世帯数3246のうち、商店、2百数十世帯が、炭鉱とともに生活してきた。 町全体の存亡の危機の中、商店も5月28日に行なわれた炭労のゼネストに参加したという。 閉山阻止の運動もむなしく、8月大夕張炭鉱は閉山となった。   写真は、岳富町商…
マラソン大会(岳富町) 学び舎の思い出

マラソン大会(岳富町)

 昭和45年初秋 鹿島中学校年中行事マラソン大会、岳富町のあたり    200名以上いた中でも、かなり後ろの順位を争って(争う?いかに完走するかが精一杯だった)いた。  走る苦しさ、辛さと、「ヒヤイ ハッハッ、ヒヤイ ハッハッ・・・」という息の音。  孤独な走りの中でいつもやめたいと思っていた。  …
加川写真館 思い出の街角

加川写真館

 昭和50年代に撮影された加川写真館(岳富町)。  加川写真館と、左手、隣にあった八幡商店との暗い小道を行くと、奥に古物商があり、宝沢のトンネルの側を通って、春日町や、宝町に行く坂道にでることができた。(道(春日町~宝町)参照)    建物は、この写真では、いささかくたびれた感は否めないが、昭和40…
岳富町の坂 (緑町から岳富町方面) 思い出の街角

岳富町の坂 (緑町から岳富町方面)

昭和48年頃、岳富町方面。  ここは、かつて宝沢と呼ばれる沢地だった。  父母の年代は、岳富町と呼ぶより、『たからざわ(宝沢)』と呼ぶ方がしっくりしていただろう。  昭和40年代、少年たちが自転車にのって、町を走り出した頃、駅前から千年町方面にいくには、この坂道を風をきってとばしていた。車は滅多に通…
ヤマの男たち 炭鉱とともに

ヤマの男たち

昭和30年代前半 白黒写真に着色した画像    岳富町の辺りを炭労の旗を先頭に千年町方向に進んでいます。  賃金闘争。大夕張炭鉱労働組合の赤い旗を先頭に、『1方80円要求貫徹』の要求を掲げています。  背景には、左手から鹿島小学校の旧校舎や、泉町の住宅、消防から、緑町の住宅まで。  後ろには、昭和3…
開校四十周年記念パレード#7/7 思い出の街角

開校四十周年記念パレード#7/7

昭和43年、鹿島小学校40周年を記念した鹿島小学校鼓笛隊のパレード #7 岳富町商店街   小原楽器店 【飯田 雅人】(1999年12月10日(金)00時22分49秒 ) 当時の小原さんの家,思い出しました。そう言えば,炭砿病院からちょっと栄町よりにあった 一軒家ですよね。建物自体はつい最…
昭和45年岳富町商店街(スライドショー) 思い出の街角

昭和45年岳富町商店街(スライドショー)

昭和45年頃、岳富町商店街。写真に写っている店は、小原楽器から宝町側の商店。 それぞれ、小原楽器と宝町側からの両側からとった2枚の写真となります。 二枚の写真でスライド。 田村商店 【泊川俊徳】(2006/10/28(Sat) 13:47) 小学校6年の頃、代々木町から常盤町に引越して、小学校はまだ…
昭和18年 宝沢を行く列車 思い出の街角

昭和18年 宝沢を行く列車

昭和18年、7号の沢と言われた宝沢にかかる鉄橋を行く列車。最後部の車両は出征兵士の見送り。昭和19年築堤化された。 道路側から見た鉄橋。この辺りは戦後バラックの貸本屋・のみ屋・飲食店などが数10軒道路の両側に立ち並びにぎわい、道路改修の為強制的に岳富町と駅前商店街の向かい側に移る。   &…
1933年(昭和8年) 昭和

1933年(昭和8年)

1月 21日,宝沢道路工事完了。千年町と緑町が道路で結ばれる。3月 31日,大夕張尋常高等小学校第3代伊沢豊久校長。4月 1日三菱大夕張礦業所が三菱大夕張幼稚園を三菱大夕張病院横に開設。(園長 鉱業所々長西原民平 園児82)8月 8日,香椎沢橋梁の橋脚流失。(30日まで,函館ドックの手による仮工事完…
大夕張の年表 PDF 通史

大夕張の年表 PDF

大夕張の年表、2005年の更新で終わっていました。今回の更新で2015年の「シューパロダム運用開始」まで新たに付け加えました。 見返すと、「シューパロダムの本体工事着手」から続く、2019年までの空白は、私自身の心境です。2005年以降、私は大夕張には行けていません。夕張にいくことがあっても、大夕張…