岳富町

マラソン大会(岳富町) 学び舎の思い出

マラソン大会(岳富町)

 昭和45年初秋 鹿島中学校年中行事マラソン大会、岳富町のあたり    200名以上いた中でも、かなり後ろの順位を争って(争う?いかに完走するかが精一杯だった)いた。  走る苦しさ、辛さと、「ヒヤイ ハッハッ、ヒヤイ ハッハッ・・・」という息の音。  孤独な走りの中でいつもやめたいと思っていた。  …
加川写真館 思い出の街角

加川写真館

 昭和50年代に撮影された加川写真館(岳富町)。  加川写真館と、左手、隣にあった八幡商店との暗い小道を行くと、奥に古物商があり、宝沢のトンネルの側を通って、春日町や、宝町に行く坂道にでることができた。(道(春日町~宝町)参照)    建物は、この写真では、いささかくたびれた感は否めないが、昭和40…
岳富町の坂 (緑町から岳富町方面) 思い出の街角

岳富町の坂 (緑町から岳富町方面)

昭和48年頃、岳富町方面。  ここは、かつて宝沢と呼ばれる沢地だった。  父母の年代は、岳富町と呼ぶより、『たからざわ(宝沢)』と呼ぶ方がしっくりしていただろう。  昭和40年代、少年たちが自転車にのって、町を走り出した頃、駅前から千年町方面にいくには、この坂道を風をきってとばしていた。車は滅多に通…
ヤマの男たち 炭鉱とともに

ヤマの男たち

昭和30年代前半 白黒写真に着色した画像    岳富町の辺りを炭労の旗を先頭に千年町方向に進んでいます。  賃金闘争。大夕張炭鉱労働組合の赤い旗を先頭に、『1方80円要求貫徹』の要求を掲げています。  背景には、左手から鹿島小学校の旧校舎や、泉町の住宅、消防から、緑町の住宅まで。  後ろには、昭和3…
開校四十周年記念パレード#7/7 思い出の街角

開校四十周年記念パレード#7/7

昭和43年、鹿島小学校40周年を記念した鹿島小学校鼓笛隊のパレード #7 岳富町商店街   小原楽器店 【飯田 雅人】(1999年12月10日(金)00時22分49秒 ) 当時の小原さんの家,思い出しました。そう言えば,炭砿病院からちょっと栄町よりにあった 一軒家ですよね。建物自体はつい最…
昭和45年岳富町商店街(スライドショー) 思い出の街角

昭和45年岳富町商店街(スライドショー)

昭和45年頃、岳富町商店街。写真に写っている店にたぶりがあるため実際より多くみえます。 二枚の写真でスライド。 田村商店 【泊川俊徳】(2006/10/28(Sat) 13:47) 小学校6年の頃 代々木町から常盤町に引越して、小学校は まだ 鹿島小学校に常盤町から通いましたが、帰り道 岳富町商店街…
鹿島小学校から鹿島東小学校方面 思い出の街角

鹿島小学校から鹿島東小学校方面

昭和40年頃、大夕張神社から。手前に鹿島小学校,向こうに岳富町商店街。そして遠くシューパロ川近くに鹿島東小学校グラウンド。 鹿島小学校と商店街  【藤田育雄】 神社から撮った写真で坂道にある商店が懐かしいです。パチンコ屋が1件ありまして高校時代よく行きまして、1度教官に捕まり3日間の停学になりました…
岳富町商店街1 思い出の街角

岳富町商店街1

昭和45年頃、岳富町商店街   「しがい」とよんでいた千年町  【飯田雅人】 炭山方面と千年町を結ぶ岳富町。何度となく行き来した岳富町商店街。 千年町方面を当時よく「しがい」と呼んでいました。意味をよく考えたりしたことはなかったのですが,千年町に行くことを「しがいにいってくる」と話していた…
昭和18年 宝沢を行く列車 思い出の街角

昭和18年 宝沢を行く列車

昭和18年、7号の沢と言われた宝沢にかかる鉄橋を行く列車。最後部の車両は出征兵士の見送り。昭和19年築堤化された。 道路側から見た鉄橋。この辺りは戦後バラックの貸本屋・のみ屋・飲食店などが数10軒道路の両側に立ち並びにぎわい、道路改修の為強制的に岳富町と駅前商店街の向かい側に移る。   &…
1933年(昭和8年) 昭和

1933年(昭和8年)

1月 21日,宝沢道路工事完了。千年町と緑町が道路で結ばれる。3月 31日,大夕張尋常高等小学校第3代伊沢豊久校長。4月 1日三菱大夕張礦業所が三菱大夕張幼稚園を三菱大夕張病院横に開設。(園長 鉱業所々長西原民平 園児82)8月 8日,香椎沢橋梁の橋脚流失。(30日まで,函館ドックの手による仮工事完…