思い出の街角 歩道橋から錦町方面 ~鹿島小学校前踏切~ 歩道橋から撮影した錦町方面の写真。 手前には、今まさに鹿島小学校前の踏切にさしかかる列車、先頭の蒸気機関車のプレートも『No.5』と読める。 大夕張駅に到着だ。 その背景、写真の右手には、鹿島小学校の木造体育館が見えている。昭和53年に新体育館ができるまで、大夕張の子どもたちの体育や… 続きを読む
思い出の街角 大夕張神社からの街並み《カラー版》 昭和6年頃とされる白黒写真に着色した。 あらためて昭和48年の全景写真から、同じような構図で並べてみると次の様になる。 山が近い。 町だけでなく、背景の山の木々も人の手が入り姿を変えている。 大夕張駅の駅舎は小さく、その前の通りも広い・・・というか道の両側に建物がない・・・。 三菱大… 続きを読む
思い出の街角 階段を上った先の大夕張神社拝殿 大夕張神社参道の階段を登りきると、その先に・・・視界が開け、広い境内が表れる。 そしてその先に山神社の拝殿がある。 写真の手前の台座にはかつて立派な石の灯籠が立っていた。 くらしの中の神社。 年の初めと終わり、日々のくらしの様々な場面で足を運んだ場所。 故郷を出、人生の節目でこの場所に立… 続きを読む
思い出ばなし 通知表からの思い出|石崎佳美 見つけました❗️ 鹿島小学校の通知表を。 やはり、記憶は正しかったのは、昭和48年の12月迄(小学校2年生2学期迄)、鹿島小学校に在籍していたようです。 久々湊昭三先生の印鑑は、押してあるのに、それを見たという親の印鑑が無いです。 もう、学校に返す事が無いという所に寂しさを感じました。… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 塩狩峠ロケ列車 シューパロ湖岸、下り列車のNO.4。 『ふるさと大夕張』への掲載当時、撮影した長谷川潤一さんから、次のコメントをいただいた。 <長谷川潤一さんのコメント> 「塩狩峠ロケ」はラッセル車と同じ場所で雪中、撮ったものです。 三浦綾子原作で、確か松竹映画。 佐藤オリエ?が女優さんで来ていたと思いま… 続きを読む
思い出の街角 大夕張駅に向かって 春日、弥生、代々木の3つの町の境界線が接するようなこの場所。 同じような立ち位置で撮影した写真に、『代々木アパート手前から』と『大夕張駅から代々木アパートまで』(下記参照)があるが、その二つの写真の中間あたりから撮影した写真だ。 おそらく撮影者の右手には中西豆腐店や代々木町の… 続きを読む
閉山を迎える街 昭和48年の街 その7 大夕張神社からの風景。 大夕張駅構内。購買会裏、倉庫などの貨物、石炭置き場など、住民にとっての物流の拠点を中心に置かれた写真。 二枚の写真を合わせたため中心でわずかにズレが生じている。 拡大して閲覧できるように高解像度のまま掲載。 大夕張神社から https://ooyubari.com/2… 続きを読む
大夕張の全景 南部 全景 昭和の初め、炭砿の中心が南部から北部大夕張へ、そして昭和48年以降ふたたび石炭で栄えた南部の街の全景。 中央に、三菱南大夕張炭砿と営林署の貯木場。 夕張岳を背に奥に大夕張ダム。 ダムから下流、夕張川が流れる。シューパロ川というのは二股より上流の呼び名だった。 一番手前が『菊水町』、右に橋… 続きを読む
随想 大夕張へい山反対!|市橋勝 私が鹿島東小学校の5、6年生の担任の先生は水間テル先生でした。 優しく肝っ玉母さんのような「豪快さ」で、悪ガキだった私を見守っていてくれたことを思い出します。 当時、水間先生はクラスの私達に定期的に日記を書かせ、それを提出させていました。 しかも、丁寧なコメントを添えて毎回返却してくれ… 続きを読む
思い出の街角 昭和48年 栄町商店街 TV番組の中で資料映像として流れたフィルムから、退色を補い彩色をほどこしてみた。 この頃、「メガネの福川」の看板の向こう、伊藤玩具店のあとできた「パチンコ」店、その隣にはよく見えないが、Cokeの赤いロゴと雀球平和の看板。ここは昭和43年の住宅地図では志村菓子店だった店。 そしてその隣の本間… 続きを読む
思い出の街角 大夕張駅前から代々木アパートまで 昭和48年閉山後の写真。 駅前の通りをずっとくだり,春日町へ続く坂の手前、舗装が途切れであたりで振り返るとこんな光景が広がった。 春日町・弥生町・代々木町の分岐点とも言う場所か・・・。 道路をはさんで、左側が弥生町、右側が代々木町。 左にいくと、春日町に降りるもう一つの広い道。 遠くには… 続きを読む
映像 昭和48年 大夕張の映像 1997年から1998年にかけて「ダムに沈むまち大夕張」としての報道が各機関で取り上げられました。 その中に、昔の大夕張を紹介する映像がたびたび流されました。 ここの映像は、その中でも1997年7月6日(日曜日)に放送された『新・北海道中ひざくりげ』の「故郷を心に刻む旅」の中で流れたものです。 二木… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 大夕張駅を出発するNo.6 白煙を上げて大夕張駅を出発するNo.6。 撮影した『海も好き』さんの記憶では、鹿島小学校下の踏切付近から撮影したのではないかという。 右に見えているのは、消防署の建物の裏になり、もう少し手前に火の見櫓が続く。 『No.6』が吐き出す煙とともに、大夕張駅前の背の高いポプラの木が風にそよぐ。 白黒写真に… 続きを読む
閉山を迎える街 昭和48年の街 その5 昭和48年の街。 山懐に抱かれた街並みの様子を大夕張駅中心に、神社からの風景。 あの日、あの時、神社から見た街のように、駅前通りを行く人、学校のグラウンドで遊ぶ子どもたち、家のそばの空き地、写真の中に新しく見つけたものはあるだろうか。 昭和48年大夕張… 続きを読む