あらかると クマが出没 おおさわぎ 秋になると、羆は餌を探しに里に下りてくる。 山の寝穴に引き釣り込まれたら最期生きてはもどれないとと大人達に言われていた。 大夕張の子どもたちは、けっして山の懐深くには入らないようにと、周囲の大人達から言い聞かされた。 この時期、9月から10月にかけて、餌を求めて熊が山から降りてきてことはあったよ… 続きを読む
思い出の街角 林鉄 新線と旧線の跡 大夕張鉄道に乗って車窓を眺めているのが好きだった。ぼんやりしていた少年は、何も考えずただ流れていく景色を眺め、過ぎていく時間に身をまかせているのが好きだった。 明石町駅を過ぎて、開拓(白金)方面に向かう白銀橋が過ぎると、シューパロ湖の対岸に森林鉄道の赤い鉄橋がいくつか見えていた。 中で… 続きを読む
思い出の街角 湖畔の道路 昭和37年(1962年)10月。それまで陸の孤島だった大夕張に陸路がつながり、街が大きな喜びに包まれた。 南大夕張ー鹿島間の間が開通して間もない頃の湖畔道路。 大夕張を出たり、入ったりするときは必ず誰でも通った場所でもある。 遠目に、これも開業間もない湖畔亭と、鉄道のシューパロ湖駅が写る。 シュ… 続きを読む
思い出の街角 函渕 昭和30年頃。 この場所は、後年、大夕張ダムが作られたところ。 かつて南部から夕張川を遡行すると上流は二股に分かれていて、シューパロ川とパンケモユーパロ川が合流していた。 二つの川の合流地点であることから、二股、と呼ばれた。大夕張ダムの別名も、二股ダムである。 大夕張ダムができる以前、この… 続きを読む
学び舎の思い出 三菱(鉱)バスにのって シューパロ湖畔へ 鹿島東小学校遠足 昭和42年頃、シューパロ湖畔の公園。 児童の後ろに見える遊具の回旋塔も懐かしいタイプだ。 鹿島東小学校(当時一学年2学級)の遠足だったそうだ。 三菱バスに揺られて大夕張から遠足にいった先での集合写真。 バスにつけられている愛称、左『はまなす』、右『くろゆり』と読める。 白黒写真に着色した… 続きを読む
楽しかった日々 シューパロ湖畔・職場対抗ボート大会 昭和40年にシューパロ湖で開かれた礦業所の職場対抗ボート大会だという。 職場の福利厚生の一つとしてのレクリエーションだったのだろうとは思うが、『対抗』というからには、何らかの形式で、得点、あるいは順位をつけたのだろうか。 職場対抗ということもあってか、湖畔亭の周辺には、若い男女や、学生、家族連れ… 続きを読む
思い出の街角 開拓地 昭和20年代。 背景の空は合成だが、雲がかかっていなければ、左に前岳がうつっていると思われる。 木を切り倒し、笹をかりとって土地をひらいたようなあとが見て取れる。 白黒写真に着色した画像 撮影年、場所等、詳細不明… 続きを読む
思い出の街角 開業した頃の湖畔亭 昭和38年頃 白黒写真に着色した画像 開業間もない頃の湖畔亭。 この写真を見たときに一番先に思い出したのが、入り口の上の看板に書かれた『亭畔湖』だった。 開通した清水沢-大夕張間の道路をバスで「湖畔」停留所の前を通ると、バスの窓からこの文字がよく見えた。 そのたびに、右から書かれたこ… 続きを読む
楽しかった日々 シューパロ湖 ボート遊び 昭和37年 シューパロ湖、ダム建設により湖が誕生してすぐの頃。 向こうの湖岸を、鉄道と開通したばかりの清水沢ー大夕張間の道路が走る。 このダム湖ができてすぐの頃、誰ともなく言われていたはなしを覚えている。 この湖は、川をせき止めてつくられた。湖底には森林の木々が沈んでいる。よって、湖… 続きを読む
思い出の街角 展望台付近を行く列車 昭和45年11月 シューパロ湖畔の展望台付近を行く大夕張炭山行の列車。手前のぬかるんでいる辺りが展望台前の駐車場にあたる。 白黒写真に着色した画像 『山火事注意 大夕張営林署』の看板の向こうに『湖畔亭』と小公園等の施設がおぼろに見えている。… 続きを読む
思い出の街角 シューパロ湖畔(道立自然公園) 昭和37年に道立公園に指定され、当時は、観光による集客が期待されていた。大夕張鉄道のシューパロ湖駅が設けられ、食堂、公園などの施設が湖畔に作られた。開業当初は、観光への期待もあり、多くの人出で賑わった。 昭和30年代。夕張市の観光絵葉書より。小公園中央に立っている石碑は、清水沢-大夕張間が全面開通… 続きを読む
思い出の街角 昭和38年シューパロ湖駅ホームから シューパロ湖駅ホームからシューパロ湖を望む。 遠くに三弦橋、右手前に湖畔亭が見える。シューパロ湖の駅名標も映り込んでいる。 白黒写真に着色した画像 手前にシューパロ湖畔の小公園。整備の途上にあるような様子が見える。 https://ooyubari.com/2021/02/10/s38syupa… 続きを読む
楽しかった日々 昭和37年シューパロ湖駅待合室 シューパロ湖駅待合室前で。開業したばかりの頃でしょうか。 待合室の中からシューパロ湖を見ている人達、袋を下げた観光客のような人たちもいます。 父とつないだ男の子の手には、当時子どもたちに人気のあったグリコのお菓子が、しっかりと握られています。 白黒写真に着色した画像 待合室の向こうはホームが見… 続きを読む
思い出の街角 シューパロ湖駅と記念行事 白黒写真に着色した画像 昭和37年(1962年)開業 ~ 昭和44年(1969年)廃止 昭和37年、大夕張ダムの完成とともにできたシュ―パロ湖は、湖と夕張岳を望む風光明媚な観光の場所として期待されていました。シュ―パロ湖駅は高台にあり、湖水に面したホームからは、シュ―パロ湖と夕張岳、そして、三弦橋… 続きを読む
運んだ、石炭を人を シューパロ湖畔のラッセル 昭和47年(1972年) 冬。大夕張鉄道・キ1が、青空の下、シューパロ湖畔を進行中。 左手のシューパロ湖も凍結し、新雪に覆われています。美しい風景の中を羽根を広げ、悠然と雪を書き上げながら走ります。 ラッセル車現役の頃 【長谷川 潤一】 1998年11月30日 南部に置いてぼろぼろになってきたラッ… 続きを読む
楽しかった日々 シューパロ湖全景(パノラマ) 昭和40年頃のシューパロ湖全景 昭和40年8月8日(日)天候曇り 『大阪の小林』さん撮影 大夕張とシューパロ湖 【矢野和裕】2016/07/19 _ 23:20:19 釣りが好きで、この町でコーラを飲み食料を調達していた。春はイワナ、秋は鯉、冬にワカサギと札幌から通った。 特に冬のシューパロ湖を… 続きを読む
思い出貼 湖畔を行く列車 昭和47年頃 穏やかで満水のシューパロ湖。鏡のような湖面は周囲の山と列車を映し出しています。 湖岸を列車がゆっくりと進みます。 閉山の頃 【ヒロ みうら】本当に鏡のよな湖面ですね・・・自分は宝塚市で仕事を始めた頃かなもう閉山の話題が出ていた時期でしょうか列車の姿が、少し寂しそうに感じるのは自分だけで… 続きを読む
思い出の街角 渇水期の大夕張ダム 昭和45年頃、夏。 三弦橋の下の湖底も顔を出しています。空からの写真だと、泥に覆われた湖底の黄土色と周囲の緑の対比がなんともいえない。 渇水期のシューパロ湖 【成田 利夫】 渇水期はバイク🏍️で降りて縁を走れましたよ。何度か走ったことがあります。一度突然視界に入った溝に落ちたことがありますが、柔らか… 続きを読む