冬の炭住 思い出の街角

冬の炭住

冬の炭砿住宅。   真冬の厳冬期にしては積った雪の量は少なくみえる。雪の降り始めか、春近い雪どけ期か。 場所は、大夕張かどうかも含めてはっきりしないが、後ろの山と住宅の並びの感じが緑町や、宝町あたりの感じにとても似ている。   ちなみに物置小屋にプラスチック製のスノーダンプ(ママさんダンプともいう)…
雪降る鹿島小学校グラウンドから  思い出の街角

雪降る鹿島小学校グラウンドから 

1990年代、雪降る鹿島小学校グラウンド その3からその5 までを、最後に一枚につなげてみた。 鹿島小学校前から、グラウンドの北東隅にかけて、かつての大夕張駅構内線路側の風景。 閉山から20年、当時の面影をのこす。 雪が降りしきる冬のグラウンド。       1990年代      …
雪降る鹿島小学校グラウンド その5 思い出の街角

雪降る鹿島小学校グラウンド その5

雪降る鹿島小学校グラウンド。大夕張駅だった建物が左手に。そして鹿島生活館の屋根が見える。 ここは、グラウンドを歩いて鹿島小学校の玄関の方に戻ってきたのか、最初からここからの撮影だったのか・・・それはわからない。   冬休み中のグラウンドには誰一人いなかっただろう。   1990年代    右手電柱の…
雪降る鹿島小グラウンド その4 思い出の街角

雪降る鹿島小グラウンド その4

 前回、 『雪降る鹿島小グラウンド その3』でグラウンドの北東角方向を写した後、撮影者は少し校舎よりに戻って、あるいは、東よりに移動して、かつての大夕張駅舎に近づいた位置で撮影したように思える。  この頃、グラウンドの東側に並んでいた遊具の向こう、商店の建物とともに、大夕張駅舎、倉庫だった建物が、往…
雪降る鹿島小学校グラウンド その3 思い出の街角

雪降る鹿島小学校グラウンド その3

1990年代 雪の降り続く日  鹿島小学校のグラウンドの北東角方向を見る。    鹿島小の低学年だった頃は、ここにあった砂場から大夕張駅ホームを見ながら、砂山を作っててっぺんに棒をさし、倒さないように砂を取っていく遊びを二、三人でやっていた。     街から見ると一段高いところにあったグラウンドから…
雪降る鹿島小学校グラウンド その2 思い出の街角

雪降る鹿島小学校グラウンド その2

周囲の山も街も一面真っ白となったこんな日、あなたはいったい何をして過ごしていただろう。 そこだけあたたかい部屋のストーブの周りで、じっとしていただろうか。 それとも、こんな日だからこそ雪の世界に飛び出して、全身雪まみれになって遊んでいただろうか。   1990年代、鹿島小学校グラウンドよりバックネッ…
雪降る鹿島小学校 校門 思い出の街角

雪降る鹿島小学校 校門

雪降る日 神社山の向こうの八百五十の尾根もかすんで見えない。 雪模様のそんな一日。   初めて訪れた人は不思議に思うかも知れない。 校門からは、鹿島小学校の正面は見えない。 街の方を向いて建っていない。    かつてはここは東の門であり、正面には三階建の校舎に相ふさわしい二メートル以上の高さがある校…
雪にまみれて  楽しかった日々

雪にまみれて 

  昭和35年頃。 炭砿病院近くの線路そばの富士見町。   全身雪まみれになったのか、されたのか・・・。 この写真に、大夕張らしさがあるのかどうかとふと考えた。      家の前の道の周りに積った雪を超えると、そこに広がる雪原や、空き地に積って周りの畑とつながって境目のなくなった一面の雪。   そこ…
鹿島小学校 下校の行列 学び舎の思い出

鹿島小学校 下校の行列

学期末だろうか。両手に荷物を抱えて、いっせいに下校する姿にも見える。 それとも、正装しているような子も見えるので入学式だろうか? 確かに学校前の道は雪どけ道のようではある、がそれにしても・・・4月の大夕張はこんなに雪が多かっただろうか。     男の子は黒いランドセルに女の子は赤いランドセルを背負い…
工場地帯から夕張岳 思い出の街角

工場地帯から夕張岳

冬、送電塔が見える。おそらく工場地帯の高くなったところから写した写真だろうか。   『遙かなる思い出の故郷』の中で使用されている写真に着色した画像。 遙かなる思い出の故郷 https://ooyubari.com/2020/04/08/harukanaruomoide/  …
冬の裏山 思い出の街角

冬の裏山

  富士見町の住宅地から八百五十への尾根へと続く山。 昭和35年頃、富士見町6丁目の礦業所の前の坂の登るとてっぺんの家、坂の一番上の住宅に引っ越すことになった。   当時薬局にいた大橋秀雄先生が引っ越すことになり、その後に入ったのだった。 二軒一戸建ての住宅の、隣に田中さんが入っていて、その家には同…
山スキー 楽しかった日々

山スキー

栃木で生れ東京で薬学を学び、戦後三菱鉱業の大夕張炭砿病院に就職した父は、北海道に単身渡った。 富士見町の啓心寮に入った父は同じ、独身の寮の仲間たちと、時には病院の若い看護婦さん達を誘って、夏は野球、冬はスキーと、大夕張での独身生活を楽しんでいたという。   そんな父の、おそらく八百五十でのスキーでの…
雪かき 楽しかった日々

雪かき

   雪かき、雪はね、雪割り・・・降った雪に関わる力仕事は、天候や気象条件によりいろいろな思いもするが、家庭でのこの日の雪かきは、しばらく大量の雪が降り続いた後、気温が上がり、雪が少し溶け気味で水分を含んだ重い雪が相手だっただろう。    スコップで四角に切りながら、広げていった。    セーターで…
童心にかえって |飯田雅人 思い出ばなし

童心にかえって |飯田雅人

雪での遊び  凍るような寒さの、真冬には何をしたかというと、他愛もないことですが・・・ --真っ白に積もった雪の中へのジャンプ-- これは楽しかったですね。 新雪の積もった朝には、雪かきは大変でしたが、熱くなった身体を冷やすにはもってこいでした。  石炭小屋の屋根の上から、高く積った雪山の上から両手…
栄町2丁目~3丁目の通り 思い出の街角

栄町2丁目~3丁目の通り

 昭和43年頃、冬の栄町。  栄町2丁目と3丁目の間の通り。  後ろに炭砿病院。その向こうに礦業所のズリ山が写っている。  軒先に長い氷柱が下がるような寒さが続く日々の中で、ときおり訪れる穏やかな一日。  頬も凍らすような冷たい空気があたりを覆っているようだ。      白黒写真に着色した画像…
雪とともに 楽しかった日々

雪とともに

雪の多かった大夕張。今ではほとんど見ることの無くなった木製のスコップ。柄の長い「雪かき道具」 『ジョンバ』とよんでいた。   雪をのせる木の板は3方を板で囲み、雪が落ちないようになっていた。 サラサラ雪の北海道ならではの雪かき道具だったという。   それでも木製の『ジョンバ』は、それ自体けっこうな重…