運んだ、石炭を人を 大夕張駅の『NO.4』 昭和30年代 №4 【奥山 道紀】 『№3』と共に三菱鉱業が自社発注したSLです。 昭和16年日立製作所で製造され、美唄鉄道を経て、昭和22年より三菱大夕張鉄道で活躍しました。 バック運転しやすいように特注されたC56形テンダが特徴です。 前照灯も横に№が入るアメリカ形の大型のものを装着し… 続きを読む
音の風景 出発進行!-大夕張駅構内 昭和48年春- 昭和48年春 閉山の不安にかき立てられる大夕張。 大夕張鉄道、9600形 №4 の録音データです。当時、鹿島中学校3年生なったばかりの長谷川潤一少年が、級友のお兄さんの買ってもらったばかりのラジカセを、なんとか借り受けて、その友人とともに録音したものです。 大夕張駅構内に進入してきた機関車を待ち受け… 続きを読む
思い出の街角 昭和48年大夕張駅 閉山間際の大夕張駅。 こんなお盆があればなあ 【斎藤 敏幸】 社会に出た後,数回でいいから,こんなお盆を迎えることができたなら,本当に良かったのになあと,今でも思います。 お盆になると,都会へ出て行ったこの街の子供たちが,家族を連れて両親のもとへと帰ってくる。大夕張の人口が一気に膨らむ。同窓会… 続きを読む
思い出貼 昭和45年頃 大夕張駅から炭山へ 大夕張駅から大夕張炭山駅方面へ向かう列車と見送る駅員さんの後ろ姿・・・。大夕張の風景に溶け込んでいます。向こうに見えるのは富士見町の住宅。ホーム脇に伸びた雑草が晩年の大夕張を感じさせせつなくさせます。… 続きを読む
思い出貼 蒸気機関車と火の見櫓 昭和45年 大夕張駅の9600『No.6』と火の見櫓 蒸気機関車と火の見櫓 【飯田雅人】 大夕張駅、蒸気機関車は停車中のようです。消防署の建物、火の見櫓とかねがはっきりうつっています。 大夕張で火事は一度だけ、近所の家でありました。富士見町の啓心寮と、倶楽部の近くだったと思います。紅… 続きを読む
思い出の街角 昭和32年 大夕張駅 見送り風景2 昭和32年4月大夕張駅 見送り風景 集団就職列車 【泊川俊徳】(2007/07/09(Mon) 09:49) 昭和42年 春 自分が中学2年が終り これから3年に成る春休み。 集団就職列車最後の運行。 金の卵と言われ 高度成長の中 中卒者の就職者が高校卒に変わりつつ有り… 続きを読む
思い出の街角 昭和48年 大夕張駅 昭和48年閉山の年の大夕張駅とホーム、鹿島小学校グラウンドから。 汽車通の朝 【斎藤 敏幸】 (平成9年9月29日) 私が、東高へ通学するには、「汽車」か「自転車」を利用していました。 私を含めほとんどの東高の生徒は、この駅にお世話になったと思います。 「通学列車」の発車時刻は、7時20分頃だっ… 続きを読む
昭和 1929年(昭和4年) 1月 22日,大夕張の駅名を南大夕張,北部駅(主として旅客の乗降及び購買会用品等少量の貨物を取扱うを目的とする)を大夕張駅と改称。 終点を通洞駅(一般乗降客を取扱わず専ら石炭積出し及び砿業所物資の積卸しを行うを目的とする)と命名。2月 4日,この日から客車2両を連結運転。4月 主夕張青年訓練所設置。… 続きを読む
パノラマ 大夕張駅上空から 昭和35年頃の大夕張。昭和33年に建設された鹿島小学校の校舎は映っていますが,大夕張駅前の道路はまだ未舗装のようにみえます。岳富町の商店街もまだ線路側に軒を連ねています。この他,鹿島小の土手側には昭和32年に千代の山一行が巡業したという土俵や(のち聖心幼稚園建設で取り壊し)グランドの一角に大きな木の… 続きを読む