訪問記 1997年の街歩き 富士見町6丁目から5丁目方面 富士見町6丁目方面から南側。5丁目方向。 言葉をかえると砿業所方向を背に、鹿島小学校方面をみたところといえるだろうか。 手前の跡がかつての道跡、木立の向こうが住宅地であったのだろう。 ふと5丁目から6丁目にかけての坂道を汗をかきながら自転車で駆け登ってきた自分の姿や、『ろうそくちょーだい』… 続きを読む
訪問記 1997年の街歩き 富士見町6丁目の坂道から これは下草も茂らない5月頃の撮影。 おそらく富士見町6丁目の坂の上をしばらく登ってそこから下の方を見た景色と思われるが、20年以上前、GPSもない手持ちのフィルムカメラで撮影したものなので記憶にたよざらるを得ない・・・。 だが、この時は6丁目の坂道を中心に写真をとっていたので、そのあたりであることは… 続きを読む
思い出の街角 冬の裏山 富士見町の住宅地から八百五十への尾根へと続く山。 昭和35年頃、富士見町6丁目の礦業所の前の坂の登るとてっぺんの家、坂の一番上の住宅に引っ越すことになった。 当時薬局にいた大橋秀雄先生が引っ越すことになり、その後に入ったのだった。 二軒一戸建ての住宅の、隣に田中さんが入っていて、その家には同… 続きを読む
楽しかった日々 雪の中のくらし 雪かき 昭和35年頃。 富士見町5丁目あたりの、炭砿病院の線路をはさんで向かい側にあったあたりの住宅前。 雪のあと、日差しが出て来て家の前を雪かきに出る。 白黒写真に着色した画像 … 続きを読む
思い出の街角 礦業所のスキー大会 ノルディックのスキー大会。 礦業所の職員慰安行事の一つだったのだろう。様々な行事が行なわれていたスポーツ大会の一つ。 スキー場前の富士見町1丁目の山側の道路をゼッケンをつけた参加者が鹿島小学校グラウンドの方向に進む。 どんなコースだったのだろうか。 昭和40年頃と思われる。 白黒写真… 続きを読む
楽しかった日々 山神祭 富士見町3丁目33番地 富士見町3丁目33番地、家の前から父が撮影した写真。 列の先頭にその頃よく遊んでいた近所の『トシ坊』が立っている。自分はこの行列の中にいたのだろうか、さっぱり記憶はない。 かつてこの写真を見た時には、行事そのものよりも、写真にうつるこの道路を境に、左手の啓心寮隣の土手下の空き… 続きを読む
絵葉書 山神社ヨリ富士見町社宅地帯ヲ眺ム (其ノ三) 昭和15年(1940年)頃の大夕張の富士見町方面を撮影した写真に着色してカラー化した。 ここに見える啓心寮の住所を(其ノ一)で、3丁目と書いた。 先日、父の戸籍を見る機会があった。 それによると、昭和29年に結婚するまで住んでいた住所が「富士見町三区」と記載があった。 独身時代、啓心寮… 続きを読む
楽しかった日々 雪かき 雪かき、雪はね、雪割り・・・降った雪に関わる力仕事は、天候や気象条件によりいろいろな思いもするが、家庭でのこの日の雪かきは、しばらく大量の雪が降り続いた後、気温が上がり、雪が少し溶け気味で水分を含んだ重い雪が相手だっただろう。 スコップで四角に切りながら、広げていった。 セーターで… 続きを読む
思い出の街角 富士見町3丁目33番地 その2 昭和43年鹿島小学校を卒業して中学校に入った、その年の5月頃だろう。 後ろには、富士見町の独身寮『啓心寮』 土手下のテニスコートや空き地は、『遊び場』だった。 富士見町3丁目33番、それまで木造の住宅から引っ越し、大夕張で最後に住んだブロック住宅。 家の中は、ペチカがありトイレは和式水… 続きを読む
思い出の街角 富士見町3丁目33番地 昭和44年(1969年)6月の山神祭。 住所は、富士見町3丁目33番地。 当時住んでいたアパートの前。啓心寮の裏手の土手の上にあった。 後ろに見える窪地は、啓心寮の炊事場の裏手にあたる。 今ではあまり見なくなったご近所さん同士の四方山話。 なつかしいご婦人達の顔ぶれの中に母もいる… 続きを読む
思い出の街角 富士見町6丁目の記憶 昭和40年(1965年)頃 富士見町 私が富士見町6丁目に住んでいたのは小学校入学前あたりから,小学校3年生の頃まで。 鹿島小学校から帰る時は、校門を出て大夕張鉄道沿いの道を歩き、そこから山の方の坂道を上った。 反対に、鹿島小学校に行くには、そこから4丁目のあたりまで坂道になっていた。鉱… 続きを読む
街の行事 お祭り集合写真(富士見町) 昭和37、8年頃。富士見町詰所前。 線路をはさんで向こうに健保会館の屋根が見える。 父がお世話役の一人としてうつっている。 男兄弟ふたりがいた我が家だったが、ここにはいない。 特に引っ込み思案で恥ずかしがりの私は、ここにいたとしても、雨のそぼ降るこの日の天気、早く帰りたくて泣きべそをかきながら立って… 続きを読む
楽しかった日々 そり遊びとボッコ手袋 昭和35年頃 富士見町5丁目、炭鉱住宅は、ほぼ規格が決まっていた。 このあたりは病院の関係者などが多かった。一軒2戸、横には畑というか雪のない時期には、家庭菜園になるような空き地のスペースがあった。 窓も埋まるような雪が降った後は、その空き地の方に向かって坂を滑る絶好のスペースが出来て、冬の遊びに興… 続きを読む
楽しかった日々 雪とともに 雪の多かった大夕張。今ではほとんど見ることの無くなった木製のスコップ。柄の長い「雪かき道具」 『ジョンバ』とよんでいた。 雪をのせる木の板は3方を板で囲み、雪が落ちないようになっていた。 サラサラ雪の北海道ならではの雪かき道具だったという。 それでも木製の『ジョンバ』は、それ自体けっこうな重… 続きを読む
思い出の街角 富士見町6丁目から 昭和40年頃、富士見町6丁目の山から鹿島小学校方面をみる。 清水の遊び場 富士見町6丁目は住宅のどんづまり、礦業所のすぐそばという印象がある。住んでいた家の裏手には山が迫り、小学校低学年から中学年にかけて、春夏秋冬ここが遊び場だった時がある。 この写真の真ん中、住宅と山の境目に小さな坂が見える。 … 続きを読む
思い出ばなし 私が住んだ街 |太田 勢 私が大夕張に住んだのは、小学校2年生からの4年間でした。 両親が夕張出身(遠幌、楓)で、祖父母も夕張に住んでいたので、夕張には小さい頃から何度も行ってました。 そんな私が、父の転勤で初めて住んだ夕張の地が、大夕張でした。 私が住んだのは、富士見町6丁目の一番奥でした(家の裏は沢でした)。… 続きを読む
楽しかった日々 窓の除雪 昭和40年頃、富士見町6丁目。 一番山の高いところにあった住宅。 遠くに炭鉱病院と、栄、代々木の住宅がみえる。 家族総出で窓の外の雪を取り除き、広げる作業に励む。… 続きを読む
街の行事 昭和31年 第27回メーデー スキー場横 #6/7 昭和31年第27回メーデー 続き写真の一枚。 スキー場横の斜面。写真には、「助手自治会員」とある。 行進を終えて一休み。 煙草を手にする人、あごひげを蓄えた組合の闘士?、学生服姿の小学生、楽器のケース?(なんだろう)らしきものも見える。 グラウンドから富士見町方面に伸びる三本の道路のうち一番山側の道… 続きを読む
思い出の街角 礦業所に向かう道 この通りは、手前が礦業所で、そこに向かう道。通勤途中の人たちもみえる。 右手に2階建のアパートが見える。このブロックの前で撮ったのが、『炭砿病院前』の写真。『ふるさと大夕張2丁目3番地』での、自分がはっきり場所を覚えている数少ない場所だ。 右手前に見える木立は病院前の公園があったと… 続きを読む
楽しかった日々 乳母車でお散歩 昭和32年頃。富士見町5丁目。線路そば、炭砿病院の近く。 昭和31年3月に、ここで生れた。 年上のお兄ちゃん、お姉ちゃんにかわいがってもらった。 岡田先生の息子さん、伊藤さんの娘さん・・・・。若林さんの娘さん・・・。 父の職場の炭砿病院の薬局にもよく『遊びに』いった。 接してくれた大人達… 続きを読む