思い出の街角 大夕張生協 1997 『CO-OP 大夕張生協』の建物に大きく書かれた文字。 さすがに何度も塗替えられてきただろうけれど、古くなっていたとはいえ、往時と比べても建物自体の雰囲気は変わっていなかった。 昭和28年に店舗6坪で発足した生協が発展をとげ、昭和36年(1961年)10月に敷地面積を314坪に広げたその際… 続きを読む
思い出の街角 歩道橋からのまち 1997 歩道橋からみたかつての大夕張駅前、1997年7月のすがた。 旧鉱業所事務所のイサオ製作所から煙がたなびいている。 住民の数356名、人の暮らしが感じられた最後の大夕張のまち。 これ以降1998年にかけて街から建物があっと言う間に消えてなくなっていった。 1997年7月… 続きを読む
思い出の街角 大夕張のまち その6 1997 以前、『大夕張駅前の移り変わり』と題して投稿した記事で使用した写真の一枚。 そこではモノクロにして使った。 かつての駅前から弥生町・春日町方面にむかう通り。 1997年5月撮影 この視点で撮影したにぎやかな頃の街を写した写真は、数多く残るが、ここではそのうちの一枚、大夕張炭労の解散記念誌… 続きを読む
思い出の街角 大夕張のまち その4 信金跡 1997 『大夕張』バス停周辺。 夕張信用金庫大夕張支店だった建物。 旧支店だった建物には、『庶路建設』の看板が掲げられ、裏に続く住宅には住民が住んでいた。 1997年5月18日撮影… 続きを読む
思い出の街角 大夕張のまち その3 1997 旧大夕張駅舎前から南側。 ここに写っていないが右手に大夕張駅の駅舎(当時は大夕張診療所として使用)、そのすぐ南隣のかつて警察分署のあった跡地に建つ鹿島生活館の看板が見える。 人も住宅も少なくなったとはいえ、街の面影は残していた。 1997年5月18日 撮影 北側の商店街の方に… 続きを読む
思い出の街角 1997.5.10 大夕張のまち その2 『1997.5.10 大夕張のまち』から、大夕張郵便局と向こうの商店街を拡大した部分 https://ooyubari.com/2022/02/14/19970510machi… 続きを読む
思い出の街角 大夕張 バス停 1997 1956年に地域にバスが走って以来、地域住民が集団移転する1998年まで利用された旧大夕張駅前のバス停。 美鉄バスと夕鉄バスの二本のバス停が立つ。 かつてバス停のそばには柳の木や背の高い大きな木々があり、そこでバスを待つ人の雨露をしのいだ。 その場所に小さな待合小屋ができた。 大勢の… 続きを読む
街の行事 昭和26年頃 メーデー 大夕張駅前 昭和26年頃、大夕張駅前のメーデーの様子。 左に三菱購買会,その奥に健保会館が見えている。 大夕張郵便局の辺りから撮影されたそうだ。 大夕張銀座とよばれた駅前の栄町商店街のメインストリート。昭和20年代は私の知る昭和40年頃と比べて,ずいぶん印象が違う。そもそも購買会は昭和30年代… 続きを読む
思い出の街角 お祭り 駅前商店街 すずらん型の街灯にオート三輪、昭和30年代中盤最盛期の頃の大夕張駅前商店街だろう。 初夏を迎え、お祭りの季節がやってくると、街に幟があがり、紙桜の飾りで街が彩られる。 着物姿の女の子達の踊りとそれを見ている大勢の人たち。 駅前から春日町方面に続く通りをうめる、人また人の波に圧倒される。 … 続きを読む
街の行事 昭和31年第27回メーデー 大夕張駅前 #5/7 昭和31年第27回メーデー 大夕張駅前の示威行動。 駅前通りには横断幕。 千年町の商店街の通りにあったスズラン型の街灯がここにも見られる。 『生産性向上反対 試錐自治会』と読めるプラカード。 ボクシングで、キャップライトを付けた逞しい体の労働者が、髭を生やした資本家経営者と思われる男姓を打… 続きを読む
思い出の街角 大夕張駅前 歩道橋より 大夕張に設置された唯一の『歩道橋』から大夕張駅前、栄町商店街方面を見たところ。昭和45年頃。 左手前には消防署・警察署,右手に拓銀、夕張信用金庫。 その奥に郵便局などの金融機関が集まる街の中心部。 保養所前にある夕鉄バス『大夕張駅』のバス停にバスが停車中。 昭和45年頃 歩道橋より駅前… 続きを読む
思い出の街角 大夕張郵便局 昭和43年 大夕張郵便局。駅前の通りはまだ未舗装。 昭和43年7月から郵便番号制度が導入された。 当時は3桁ないしは5桁のだったが、夕張市鹿島は、「068-06」だった。 郵便局の看板にも、郵便番号の記入を呼びかけているものが見られる。 白黒写真に着色した画像 郵便局の思い出 【小笠原 … 続きを読む
思い出の街角 歩道橋下から駅前方面 左手の火の見櫓の手前に歩道橋の下の部分が影になって見えている。右手には、歩道橋の階段と、そこに幕を張ろうとしているような、作業員の姿が見える。そして、右の手前の建物の上に掲げられていた『拓銀』の大きな看板もすでにない。拓銀は、昭和45年に撤退してしまった。 歩道橋の下の歩道にたって、正面に見… 続きを読む
思い出の街角 北海道労働金庫 大夕張支店 戦後、発足した北海道労働金庫大夕張支店。 大夕張炭砿労働組合事務所のとなりにあった。協和会館がそばにあり、駅前通りに面していた。 このあたりも大夕張のもうひとつの『顔』だった。 大夕張支店は、昭和49年10月5日、清水沢宮前町に夕張支店に新築移転した夕張支店に統合された。 夕張市史の記述によると、昭… 続きを読む
思い出の街角 駅前商店街から大夕張駅 昭和45年から閉山の頃にかけての撮影のようだ。 昭和45年頃、大夕張生活協同組合と鹿島旅館との間の道路中央に立って大夕張駅を正面に見ている写真。 写真を大きくして、看板を読んでいくと、左手が生協から、長塚呉服店、幸寿司、食堂『十八番』。 右側が、『ときわ』、バーエルボン、喫茶ポニー、時計眼鏡… 続きを読む
思い出の街角 昼下がりの駅前風景 昭和45年頃、左手前に消防署。正面にズリ山、栄町商店街。 やっぱり人々が写っている大夕張がいい・・・。 買い物かごを下げたエプロン姿のおばさん達がなつかしい。夏の太陽が照りつける日の昼下がり、遠方に見えるアスファルトの端がゆらめき、そこには逃げ水が出来きている, 逃げ水を追いかけた道路を、… 続きを読む
思い出の街角 吉井快生堂・エルボン 昭和40年代、大夕張の駅前通り。大夕張郵便局から続く商店街。炎天下、水遣りのあとだろうか、道路が水に濡れている。北海道の山間の町でも短い夏の陽射しは強かった。 吉井快生堂の栓抜き 【泊川俊徳】(2006/06/19(Mon) 11:27) 毎年 正月初売りには景品が貰えると言うので、たいして必要でも… 続きを読む
思い出貼 駅前の子ども御輿 この写真も、次のカラー写真と同じ頃のようです、各町内の御輿がたくさん出ていたようですが、どこの町の御輿なのでしょう。 遠目に大夕張駅向の保養所前のバス停も見えています。到着時は、大夕張駅側になり、帰っていたという気持ちになったものですが、大夕張を発つ時は、こちら側のバス停が起点となりました。いろ… 続きを読む
岳麓の里 大夕張10景(9)駅前銀座 大夕張10景(9)駅前銀座 画・・・・野 田 淑 雄文・・・・佐 藤 貞 雄 戦前から大夕張に住むおとしよりたちは、駅前通りを歩きながら「随分変わったもんだ」と、感慨深げな表情を見せることがある。幅12メートルの舗装道路が走り、2階建て約60軒の商店がある。やまのデパートといわれる購買会をはじめ、食… 続きを読む