思い出ばなし グスベリとカリンズ |久々湊眞一 グズベリーとカリンズ 子供の頃はグスベリと言っていたが、正式名称はグズベリーというのだそうだ。 大夕張の泉町のうちの庭に木があって、大量に採ることが出来た。 実は、薄い緑色をしていて、縞模様がついている。 口に入れると、ぺちゃっとつぶれ甘酸っぱい香りがした。 うちでは食べきれない分を、… 続きを読む
随想 まぼろし!大夕張の食べ物 |久々湊真一 時々無性に食べたくなる大夕張の食べ物について、思いつくまま書いてみます。 大夕張だけの物なのか、道内各地でポピュラーな物なのかは、不明。 内地に来てからは、全く見かけません。 <ボリボリ> この茸は、味噌汁の具として食べた。 ナメコと椎茸の中間位の大きさで歯ごたえが良かった(ボリボリと… 続きを読む
思い出ばなし 日帰り旅行をした大夕張の犬 |久々湊真一 泉町のみなと印刷には、シェパード犬がいた。 名前をトムと言う。 大夕張の過酷な自然条件にもかかわらず、18才(昭和32年~50年)の長寿をまっとうした。 トム君は番犬としては全く役に立たなかった。 人懐こくて、誰にでも尻尾を振る。 たぶん泥棒にも、尻尾を振って愛嬌を振… 続きを読む
思い出ばなし 大夕張の素朴な遊び |久々湊真一 団塊の世代(私の年齢のもの)は、昭和20年代末に小学生となりました。 戦後の混乱から一息ついた時期ですが、敗戦による貧しさの影がまだ残っていました。 子供達は手近なもので工夫をして、遊びに興じていました。そういう素朴な遊びを思い出して書いてみます。 <けんぱ> 地面に直径30cm位の○… 続きを読む
随想 カシオペアの丘で | 久々湊眞一 久しぶりに、夢中になって本を読んだ。 カシオペアの丘で(上、下)重松清 著作、講談社 読んだ動機は、この本の舞台が「私が生まれ育った場所「大夕張」に非常に似ている」ことによる。 たとえば、上巻の最初のページを抜書きしてみよう。 「かつて、そこは炭鉱だった。何年か先には、ダム湖になる。北海道… 続きを読む
思い出ばなし セルロイド |久々湊真一 ノートの下に敷く下敷きは、僕らが小学校の時は、セルロイドだった。 冬になると、この下敷きを脇の下に入れて強く挟んで、力一杯こする。 そうすると静電気が発生する。 この静電気で細かく切った紙をくっつけたり、女の子の髪の毛を逆立てたりして遊んだ。 放課後のことである。 下敷きの端を少し千切って、… 続きを読む
随想 音の記憶 |久々湊眞一 鹿島小学校前踏み切りの写真を見ました。 いやー、懐かしい場所ですね。 列車が来る方向の奥には、錦町購買会の建物が見えますし、泉町の坂も判りますね。 ここは、数え切れないほど、往復した道です(涙、涙)。。。 写真を見ているうちに、音の記憶が蘇ってきたので、ちょっとだけ書いてみます。 大夕… 続きを読む
思い出ばなし 郷土研究部と地学部|久々湊真一 夕張東高の郷土研究部は我々の頃は、文科系の花形クラブでした。 野村崇先生(先生については項を改めて書く事にします)の熱心なご指導により、学校外への発表も含む本格的な活動を行っていました。 私は郷土研究部に入っていませんでしたが、興味深い活動なので注目をしていました。 高一の夏と思う。… 続きを読む
思い出ばなし 消えた缶ビール|久々湊真一 本州に来て暫く経ったある日、 『寒さに対する自分の感覚が、内地の人と多少違う』 ということに気がつきました。 内地の人は氷点下になると、全部「寒い」の一言になってしまって 「どのぐらい寒いのか(寒さの程度)」 をあまり区別していないようです。 私は、例えば氷点下5℃と氷点下20℃の違い… 続きを読む
学び舎の思い出 昭和32年度 鹿島東小学校終業式 昭和33年3月 鹿島東小学校体育館で行われた終業式。 下の久々湊さんのコメントにあるように、小学校の体育館らしく『勉学』の文字が右から書かれ、壁面に掲示されている。 同時期、鹿島小学校の体育館には、『不断努力』の文字が掲げられていた。 昭和32年度の鹿島小学校の卒業式の写真を見るとそれを… 続きを読む
随想 雪景色 |久々湊眞一 北海道は大雪のようです。 雪かき(やらなくなったので忘れそう)で、大変でしょう。そういう情景を思い浮かべていたら、あることを思い出しました。 写真兼遊びで各地を撮影旅行しましたが、時々ハプニングがあります。 数年前、冬の山形での出来事を紹介します。 大夕張の風景を思い出しながら、… 続きを読む
思い出ばなし 『それ』のおいしい作り方 |久々湊真一 小学校5年の時に、何故か化学者に憧れて、試験管やらビーカーを買ってきた。 長年シコシコと貯めていた小遣いを、思い切り良く全部これに充てたのでした。 「何に使うの?」 と両親から咎められたが、案の定、実験のアイテムも無くて、ただ透明の容器を眺めて磨いて、ニタニタしていただけであっ… 続きを読む
思い出ばなし 錦町界隈|久々湊真一 「始めてのお買い物」というTV番組を見ていて、いつのまにか大夕張にタイムスリップしていた。 *** 自分の始めてのお買い物は、錦町入り口の購買会なのだろう(憶えていませんが)車も走っておらず家のすぐ前なので、スリルも何も無かったろうなぁー*** と。 錦町購買会は2階建ての大きな… 続きを読む
思い出ばなし 泉町仮装行列始末|久々湊真一 「知られざる泉町」に一部書いた泉町の仮装行列につき記載します。 既に書いてあったのですが、品が無いので掲載を見合わせていたものです(一部表現に不適切な部分があることをお許し下さい)。 何の仮装を行うかは、町内会の三役が決めたようで、 「今年は××をやれ」 と有無を許さぬお達しがありま… 続きを読む
街の行事 昭和35年 泉町 町内運動会 昭和35年(1960年)頃、実施された泉町の町内運動会。 当時、大夕張で盛んに行なわれていた各町内会での恒例行事。 泉町では、毎年趣向をこらした運動会が行なわれていた。 その第1回大会。 この時町内会長を務めていた南太吉さんの自宅前の広場で実施され、その記念撮影。 他にこの頃、町内会の世話役を務めて… 続きを読む
随想 小学校の通学区域変更 | 久々湊真一 私は昭和29年(1954年)に鹿島小学校に入学しました。 しかしながら 昭和30年末に学区の変更があって、小学校2年の終わりに強制転校となり、鹿島東小を卒業しました。 通学区域変更の内容は、泉町の川(宝の沢)を境に、千年町駅側は東小・大夕張駅側は鹿島小の区分けでした。 私なんぞは、 … 続きを読む
思い出の街角 夕張市立図書館鹿島分館 宝町にあった鹿島図書館。 写真の右下には、当時通勤や仕事で使われていた二輪のオートバイが停まっている。 この建物は、昭和35年に新築以降の建物で、自分が利用したのもこの建物。 本通りから宝町の図書館に向かって入って行くと住宅と図書館の間は、かつての住宅の跡地なのか、写真のように空き地… 続きを読む
随想 私の恩人3 | 久々湊真一 宝町一丁目に、新聞記者をされていた(と記憶する)佐藤貞雄さんがおられました。 父の知り合いでもあり、何度かお宅にお邪魔をしました。 私がここで見た(驚いた)世界は、今振り返ると、大変重要な出会いでした。 それは、新聞のスクラップブックでした。 切抜かれた新聞記事は、各々コメントが附されて… 続きを読む
随想 私の恩人2 |久々湊真一 三菱大夕張病院の鈴木昭先生を知ったのは、私が鹿島中3年の時でした。 この時に、病弱であった母が急に体調を崩し、入院かつ危篤状態になったのです。 当時内科部長であった鈴木昭先生が、 「この注射で大丈夫でしょう」 と言われて処置。 しばらく時間が経過した後に、母の顔に赤みが戻ってきました。 … 続きを読む
随想 私の恩人 | 久々湊真一 私の乳幼児時代は、「死んでもおかしくない」虚弱体質だったそうです。 当時の写真をみると、首に真綿を巻いているものが多く、何やら情けなくなります。 小児喘息も持っていて、呼吸が苦しかったことを、朧げに記憶しています。 幼稚園には、 「身体が弱すぎて預かりかねます」 と入園を拒否されました。… 続きを読む