月: 2021年6月

南大夕張駅を発車した列車 運んだ、石炭を人を

南大夕張駅を発車した列車

 昭和46年、8月22日。南大夕張駅を発車した列車。  このあたり奥の高台には、南部小学校の姿が見えている。  南大夕張までの風景と一転し、この先は、目の前にシューパロ湖、両側に険しい山がせまり、いよいよ山奥に入ったという感じがつよくしたものだ。  それは、大夕張の住民にとっては、『やっと帰ってきた…
大夕張年表 通史

大夕張年表

1635年(寛永12年) 松前藩主が家臣に命じて、アイヌ人数百人に数年間にわたり夕張岳を中心に夕張川上流で砂金の採集をする。 1888年(明治21年) 夕張川川岸15尺の大露頭が発見される。(南大夕張 旧錦坑)しかし、地形峻険のため開発は進まず。 1897年(明治30年) 10月 30日、京都合資会…
緑町山車の三味線少女 |Kawauchi Masami 思い出の記

緑町山車の三味線少女 |Kawauchi Masami

白黒写真に着色した画像   北菱から師匠の大夕張に、緑町の山車での演奏  昭和44年 大夕張炭山祭り。山車に三味線で乗ってます。  お祭りは小学校5~6年生で、後に私のお嫁さんになりました。  当時妻は、北菱炭鉱に親が働いていて、大夕張のお祭りに、三味線で呼ばれたそうです。  大夕張のお祭りが盛大な…
山車の三味線(お祭りと師匠さん)|Kawauchi Masami 思い出の記

山車の三味線(お祭りと師匠さん)|Kawauchi Masami

昭和44年 緑町の山車の三味線。師匠とお弟子さんで演奏。 白黒写真に着色した画像   「みどり」町の提灯がかかる山車の上で    お祭りの神輿道路の交差点や町境などで、上下に大きく揺らしながら、「わっしょい。わっしょい」と、その場で神輿を回すのが一番好きでした。    もちろん交差点のど真ん中でね。…
祭りの手踊り 街の行事

祭りの手踊り

 昭和32年 緑町。どんなシチュエーションなのだろうか?  写真を見ていると勝手に想像ができて面白い。    左に山車を載せた自動車と見物の人達。  よほど暑い日なのか、手をかざし、頭からタオルをほおかむりしている人がいる。  その視線の先、踊っている女の子がいる。  祭りの踊りの仕上がり具合をお互…
山神祭 春日町の坂 街の行事

山神祭 春日町の坂

昭和40年代 春日町 白黒写真に着色した画像   春日町詰所横の広場で御輿出発前の様子 春日町の坂下  【飯田雅人】  大夕張の6月の山神社の祭り。この写真は特に私にとって春日町の印象をよく伝えます。  駅前通りをまっすぐ進んで行き当たる後ろの高台から、下に急な細い坂。斜面に被われ雑草に囲まれた小道…
山神祭 山車前の、男の子・女の子 街の行事

山神祭 山車前の、男の子・女の子

昭和40年頃 春日町 白黒写真に着色した画像 山車のトラック前の男の子・女の子  神 輿 【Masami Kawauchi】(2021年5月23日)  6月の第一日曜日は、小学校の運動会で、毎年、タケノコが、お昼のお弁当に、海苔巻や、おいなりさんが、定番でした。  6月の 14日 15日 16日 は…
健保会館前の少女 記念の日

健保会館前の少女

昭和35年夏 健保会館前の庭。強い陽射しの中で、まぶしそうな表情をしている少女。小学校も授業は午前中で終わり、半ドンだった。お祭りの日のお出かけだろうか。 白黒写真に着色した画像   健保会館前の庭にて…
山祭りの御輿かつぎ |内川准一 思い出ばなし

山祭りの御輿かつぎ |内川准一

   「山祭り」の陽気に誘われて出て参りました。   さて、忘れもしない御輿担ぎ。    出発は弥生町の詰所裏。    到着場所は、千年町のさてどこだったっけ?という程度の記憶ですが。     この日のために、詰所裏の倉庫?から、一年ぶりに引きずり出されるのは、鳳凰のついた立派な御輿。    これを…
春日町詰所前 山神祭 街の行事

春日町詰所前 山神祭

 お祭りの日、春日町詰所前の広場に大人達に交じって集まる子供たち。  前にいる5人の子どもたちの記念撮影の様子をいれて、春日町詰所を撮影したものだと思われる。  後ろでは、慰労の一杯だろうか、女性が、御神酒らしき一升瓶を手に、ふるまい酒を勧めているような様子もみえる。  賑やかな6月の炭山祭り。14…
春日町と栄町のくらし|小林俊治 思い出ばなし

春日町と栄町のくらし|小林俊治

  鹿島春日町45番地?詰所のすぐそばの家に住んでいました。(昭和29年生~昭和42年まで)  当時は、子供同士なぜか、広場に集まるのが日課で、知らないうちに毎日違った遊びを考えて、遊んでいました。  今考えると、川向こうの沢に入って、ヤマメ釣や川泳ぎをしていましたが、熊に会わなかったのが不思議でし…
イタヤカエデの木の下で|夕輝文敏 夕輝文敏

イタヤカエデの木の下で|夕輝文敏

(目次)  夢 出会い 再会 暑い日 交流会 メール お別れ会 病 一枚の絵 小さな命 イタヤカエデの木の下で   夢  ヒロは、校庭の端にあるブランコに乗っていた。  校庭の遥か彼方には、夕張岳がくっきりと映えていた。隣のブランコには、一七歳で病死した三浦由希が乗っていた。  二人の前を心地よい初…
山神祭(弥生町詰所前広場) 街の行事

山神祭(弥生町詰所前広場)

昭和45年頃 白黒写真に着色した画像 弥生町詰所前の広場  山神祭の様子を撮影したシリーズの一枚。  後ろに協和会館。  場所は弥生町、共同浴場そばの広場。  弥生町詰所があり、町内の行事はこちらで行われていた。  お祭りに参加した子供たちの集合場所でもあり、景品が配られた場所。  祭りの時期、回覧…
セルロイドと鉛筆キャップとマッチ|高橋正朝 #44 続・大夕張つれづれ

セルロイドと鉛筆キャップとマッチ|高橋正朝 #44

 我々の子ども時代には、身の周りのプラスチック製品といえば、セルロイドだった。  ガラガラなど赤ちゃん用の玩具もセルロイドだった。  お祭りやお盆のときに出店で買うお面もセルロイドだった。       ひと括りにセルロイドといっても、種類があるようで、写真や映画のフィルムは、私が生まれたころには、燃…
神輿と子ども 楽しかった日々

神輿と子ども

昭和35年頃 春日町。 白黒写真に着色した画像 春日町詰所前のこども御輿と、その前で記念写真 御神輿に賽銭箱  【菅原 雅行】2003年06月03日(火)01時02分58秒 30年振りに大夕張のお祭りを思い出しましたが、関東のむし暑い6月に比べ、何と爽やかだったことか。 お神輿をかついで、疲れたらう…
初夏の白 | 高橋歌子 写真

初夏の白 | 高橋歌子

2010年6月 オオデマリ(大手毬)。 奥鹿島分校跡地の白い花がきれいだった。 奥鹿島分校は沈んでいないので、道路が通れるようになったらまだ見られるかもしれません。 オオデマリ(大手毬)…
緑町 山神祭の行列  街の行事

緑町 山神祭の行列 

 昭和45年頃 6月のお祭りの日。 小学校前の歩道橋から、緑町の方向に向かって撮影された山神祭の御輿行列。先導はボーイスカウト、先頭に、神馬がひかれ、続いて、御輿が続いている。 沿道で見守る子どもたちもお祭りの晴れ着姿。  6月ではあるけれど、各家庭の煙突から煙がたなびいているのも、大夕張らしい。 …
奥鹿島分校跡地の白い花 |高橋歌子 写真

奥鹿島分校跡地の白い花 |高橋歌子

奥鹿島分校跡地のオオデマリ(大手毬)。 6月になると分校の白い花をつける木が素晴らしかった。 大手鞠は神社山の麓のジャングルジムやすべり台があった辺りにもあります。 南部でルピナスも咲き始めたので来週辺り(6月13日~)から大夕張も花盛りになりますね。…
町を背に 神社にて (昭和37年) 思い出の街角

町を背に 神社にて (昭和37年)

白黒写真に着色した画像 昭和37年10月、大夕張を訪ねて 昭和37年10月9日 大夕張全体を見渡せる場所。大夕張を出た人々が、大夕張を訪れたときには必ずここを訪れる。 祖父の思い出 【飯田雅人】 この写真にうつっているのは、私の祖父の長谷川安造です。祖父は鹿島小学校の教員(昭和13年~昭和31年)で…