大夕張への想い | 目黒則男

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 昨年6月、父の病気のお見舞いのため、静岡から札幌の実家を訪れました。

 そのおりに母から、

「鹿島小学校が廃校になるみたいだよ。」

と聞かされた。

 
 続けて、

「大きなダムができて大夕張が沈むみたいだよ。」

の言葉に一瞬なんのことか、すぐには理解できませんでした。

 私が18歳の頃、大夕張から札幌へ引っ越したのですが、望郷の念は40歳を過ぎた現在でも少しも
色あせていません。

 若い頃は帰省の度に大夕張へ足を向けていました。

 
 明石町駅、

 千年町駅、

 岳富町商店街の通り、

 鹿島小学校、

 大夕張駅前、

 購買会などが並ぶ商店街、

 炭鉱病院、

 炭山駅、

 の順番でとおり、

 メタノール工場を右手にみて、

 さらにシュウパロ川?沿いの山道を2キロほど行くと、

 生まれ育った初音沢地区に到着というのが、その頃のお決まりのコースでした。

 
 5年ほど前に家族を連れて訪れたのが最後で、その時はメタノール工場より先は通行止めでした。

 
 今度は大夕張全部が通行止めになるんですね。

 
 そんな想いをいだきながら、昨年の8月頃「ダメもと」のつもりで検索ソフトにて『大夕張』を入力してみてホームページが現れた時は、ものすごく感動しました。

 

 
 父はその後、9月に他界しました。

 病院のベッドの上でよく、

「もう一度大夕張をみてみたいなあ。」

と言っていました。

 父にとって、大夕張へは25年間行ってないことになるんだなあと、複雑な想いをいだきました。


 

(1998年2月21日 記)


随想

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