炭鉱とともに 大夕張礦業所全景 昭和12年(1937年)頃の大夕張炭山。 大夕張礦業所全景をとった同じ場所からとった写真は、昭和初年から閉山まで『ふるさと大夕張2丁目3番地』に掲載しているが、定点観測しているように発展のあとがうかがえて面白い。 昭和12年度版 『三菱の北海道炭』(三菱礦業株式会社発行)から … 続きを読む
写真 ふきのとうと夕張岳 先日、2022年5月6日に大夕張に行った際、札幌では散り始めている桜が、夕張市内は満開だった。 白い辛夷の花もあちらこちらに見られた。 ふきのとうの草地は、蕗が葉を広げ、イタドリが勢いを増してきている我が家の近所。 「春を見つけてきました」ということで、植物と夕張岳が一緒に写るところを… 続きを読む
訪問記 2022年 鹿島小学校グラウンド 2022年5月6日に大夕張に行った時、暖かな春の中で鹿島眺望公園に2時間ほど過ごした。 その間、ひっきりなしに通るバイクや自動車があり、公園となっているこの場所に寄る人もけっこう多かった。 正午から2時くらいまで2時間いたこの日、一人きりになったのは、到着してからの10分くらいだけだった。 その後、… 続きを読む
思い出ばなし 仮装行列の思い出 |佐藤次男 仮装行列というと鹿島中学校の仮装行列しか記憶になくて、東高のは知りませんでした。 私が、小学生のとき鹿島中学校の仮装行列を見て、早く中学校に入って仮装行列をやってみたいと思ったものです。 昭和45年、念願かなって中学1年生になり、仮装行列の準備を何日も前から行い、ようやく当日がきてみれば、… 続きを読む
絵葉書 三菱鑛業株式会社大夕張礦業所 絵葉書ケース このケースに収められた8枚組の絵葉書は、函館中央図書館のデジタル資料でもみることができる。 申請書を送ると、データを送ってもらうこともできる。 このような公開のかたちはとてもありがたい。 順次、着色しながら掲載して行こうと思う。 絵葉書では、昭和15年頃の貴重な大夕張の姿をみることができる。… 続きを読む
思い出ばなし 昭和36年鹿島小の修学旅行 |内川准一 小学6年の修学旅行のことです。 昭和36年の修学旅行は、汽車で清水沢駅前に集合。 集まった生徒約400人は、ここでバスに乗り換えて支笏湖経由で苫小牧に向かったのです。 苫小牧では元町か糸井のあたりでバスを降りました。 山猿のわれわれは、ここで、生まれて初めて(?)海辺の砂遊びを楽しみました… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 崩落現場越しにふり返る 崩落による大夕張鉄道の列車折り返し運転の5枚の写真のうちの一枚。 夕張方面に向かう大勢の乗客の姿はすでに乗り換えを終えたのか、数人の高校生と乗客の姿が歩いてこちら側に向かっている姿と、工事関係者たちが崩落現場で崖を見上げている姿が見える。 白黒写真に着色した画像 ↓白黒写真はこちらのペー… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 大夕張劇場の映画ポスター〘 宇宙人東京に現わる 〙|高橋正朝 #90 先週、我々の子ども時代の、映画の予告編をユーチューブで見ていたら、思いがけず、クレージーキャッツが出演した映画を2本見ることができた。 1本は、東宝、〘 日本一の裏切り男 〙。 もう1本は、大映、〘 サラリーマンどんと節 気楽な稼業と来たもんだ 〙… 続きを読む
あらかると 大夕張炭礦停車場付近(其の一) 当時の夕張を紹介した、大正7年(1918年)発行の『夕張』(小林近江堂発行)という書籍から。 場所は、現在の『三菱大夕張鉄道保存車両』付近。 大夕張炭礦は、三菱礦山合資会社の経営に係り、現在700の鉱夫を使用して年10余万トンの石炭を出す。 炭質すこぶる良好にして瓦斯、骸炭(コークス)等… 続きを読む
思い出ばなし 七号沢の源| 久々湊真一 確か鹿島小学校5年生の時に、泉町を流れる小川(七号沢/宝の沢)の源を探検しようと思いたち、町内の遊び仲間と沢を上ったことがあった。 かなり奥行きが深くて、相当長時間登り、とうとう源泉らしきところに行きついた。 意気揚揚と、同じ所を下りって数分後、登ってきた時には無かった足跡が点々とあるのです。… 続きを読む
写真 水仙と夕張岳 現地からの投稿です。 眺望公園に来ています。 5月の風に心地よく吹かれています。 風にのって鳥たちのさえずりが聞こえてきます。 穏やかな日です。 (2022年5月6日)… 続きを読む
絵画 朝の夕張岳 ~祖父のスケッチ帖から~ 昭和14年11月23日 朝 とのメモ。 日付が出てくると、つい曜日まで知りたくなるのは性分である。 昭和14年(1939年)のスケッチに出かけたこの日は、木曜日。 今なら『勤労感謝の日』で祝日だが、当時は・・・。 昔の人なら覚えているかもしれない、「新嘗祭」(にいなめさい)(しんじょうさい)… 続きを読む
学び舎の思い出 鹿島中学校 1978 昭和53年(1978年)に解体になった鹿島中学校の常盤町校舎の南側から見た航空写真。 『鹿』の字を人文字で描いているのは、100名程の当時在学していた生徒達だろう。 三菱大夕張炭鉱閉山から5年。鹿島中学校の周辺にあった住宅はほとんどない。学校のすぐ側には校長住宅だけが残る。 職員室などが… 続きを読む
随想 チャンピオンになった少年との黒帯の約束|小野美音子 昭和39年(1964年)東京オリンピックが終わり、しばらくしてからの事でした。 父宛てに、青いインクで丁寧に書かれた、葉書が届きました。 父はその差出人である笹原富美雄五段を小学生の時に、柔道を教えた事があり、いつか強くなったら父の黒帯をあげると約束したというのです。 私はその時、父が柔… 続きを読む
学び舎の思い出 鹿島中学校のあゆみ 昭和45年頃。 自分は、昭和46年3月に鹿島中学校を卒業したが、その時の卒業アルバムにはこの写真が校歌とともに掲載されている。 昭和24年に常盤町に第1期工事が完成してから20年程経った頃。平成8年閉校式が執り行われ、49年の歴史に幕を閉じた。 【沿革】 昭和22年(1947年) 【5月】 … 続きを読む
訪問記 ふきのとう-2001GW-|斎藤敏幸 イタヤ楓と富士見町方面 グラウンドから夕張岳 鹿島小学校中庭の木 暖かな春の陽射しに包まれながら,仲間たちと鹿島小学校のイタヤカエデの下でBBQを楽しんできました。 桜はまだ咲いていませんでしたが、ふきのとうが沢山顔を出していました。 草木がまだ緑をつけていないため、大地の形を良く見ることがで… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 土砂に覆われた現場と待機する列車 昭和35年(1960年) 元画像の状態が不鮮明で、白くボケて見にくいところがあるが、崖から崩れた土砂が、広範囲にわたって、分厚く線路の上に覆い被さっている様子が見て取れる貴重な写真である。 現場を迂回して前方の待機している列車に乗り込む高校生たち。その先に三弦橋。 ↓白黒写真はこちらのページ。… 続きを読む
思い出ばなし 鹿島中仮装行列 | 三浦淳一 鹿島中学校時代、毎年「仮装行列」という行事をやってましたね。 たまたま手元に、1年生の時と3年生の時の仮装行列の写真があって、懐かしく眺めています。 中学2年、3年と更谷先生が担任でした。 中3の時だった思いますが、クラス毎にテーマを決めて衣装からプラカード、その他出し物に必要な持ち物をク… 続きを読む
絵葉書 住宅地其の一(夕張岳山麓ノ見晴シ) 戦前に数多く発行された絵葉書の一枚。 昭和5年頃。草創期の大夕張。 中心に大夕張駅(昭和4年に北部駅から大夕張駅に改称)と周辺の住宅地の写真。 駅にはホームの様子もわかる。 栄町には鉱員用の炭砿住宅が建並ぶが、手前の富士見町のあたりは下草が生い茂り未だ荒れ地である。 手前右手写っていないが… 続きを読む
思い出ばなし 旧校舎 |八重樫昭彦 鹿島小学校2年の時は、確か東側の旧校舎だったような気がする。 2年梅組で担任は沖先生。 (幼稚園から小4までずーっと梅組だったなぁ) 教室の机は上板を上に開けるタイプだった。 隣にすわっていた女の子の鉛筆が、やたらきれいに削られていたのも覚えているなぁ・・・。 削り方を教わったけど、… 続きを読む