月: 2022年6月

千年町消防分遣所 思い出の街角

千年町消防分遣所

千年町のバス通りに面して建ち、大夕張劇場の東側にあった。 ポンプ車一台が配置されていたという。 昭和52年8月に廃止となったが、建物の一部はその後も、平成10年頃まで残った。   白黒写真に着色した画像   平成10年頃に残る建物   千年町消防付近地図 【大夕張の消防】 大正5在郷軍人を中心主体に…
これからも |エヌ 随想

これからも |エヌ

東京へ出て来て30余年。 辛いことがあると思い出してしまう  故郷大夕張です。  若い頃は、昔のことは忘れて頑張るんだ、と思っていました。  しかし、50歳に近づき始めた頃からか、自分にとって故郷大夕張は、忘れられないところなんだと、気付き始めています。  仕事もきつく、羽田から千歳へ、そして大夕張…
桜ヶ丘開拓地 住宅地図  開拓・白金

桜ヶ丘開拓地 住宅地図 

 前回、『開拓地 住宅地図(桜ヶ丘・下夕張・旭ヶ丘)』のページで、山影さんの著作の中から、「下夕張4k地点」と『旭ヶ丘』開拓地の追想から住宅地図を掲載した。 「桜ヶ丘」については、後日掲載としたが、今回ページをあらためて、ここで紹介する。 「桜ヶ丘」については、以前、シューパロ塾での学習会の時の資料…
〘 透明人間現わる 〙は、大夕張劇場で上映されたか?| 高橋正朝 #94 続・大夕張つれづれ

〘 透明人間現わる 〙は、大夕張劇場で上映されたか?| 高橋正朝 #94

   〘 透明人間と蝿男 〙の映画の題と、大夕張劇場のポスターのことは、ハッキリ覚えていたものの、何か、他にも、透明人間の映画があったような気がして、検索欄に、透明人間とだけ入れてチェックしたら、洋画のショートカットメニューしかでてこない。        それで、〘 円谷英二、透明人間 〙と検索した…
二股ダム地点(大夕張ダム) 思い出の街角

二股ダム地点(大夕張ダム)

大夕張国営かんがい排水事業 記念史(1967.10.23)より 同書には、ダム地点として掲載させている。 大夕張ダム着工以前の二股(南部)より上流の写真、ダム工事に着手する昭和29年(1954年)前後の写真と思われる。   遠くに夕張岳 左手の崖に大夕張鉄道 右手の崖に桜ヶ岡の開拓農家が数軒見える。…
南部小学校の思い出 | 奥山道紀   思い出ばなし

南部小学校の思い出 | 奥山道紀  

 私は小学校三年生まで南部小学校に通いました。  青葉町の営林署の官舎から、森林鉄道の夕張川横断橋を渡り、貯木場、大夕張鉄道の営林署岐線を通り、矢板医院の前に出ました。  学校の下には南大夕張駅があり、機関車を見るのが楽しみでした。   今では学校も閉校になり、校舎の跡には、校歌の刻まれた記念碑があ…
昭和48年の街 その6 閉山を迎える街

昭和48年の街 その6

   昭和48年(1973年)の大夕張の街。    その3(富士見町の山の方の住宅地)から、ずうっと、その4(北栄町-官行の工場地帯)、その5(大夕張を中心にした駅前)と視線を巡らせて、足下には、神社の登り口でもある鹿島小学校のグラウンドが見える。    下の様子が手にとるようにわかる。  バックネ…
昭和47年(1972年) 南部地区航空写真 南部

昭和47年(1972年) 南部地区航空写真

昭和47年(1972年)の南部地区の航空写真。 市街地と大夕張ダム、シューパロ湖 昭和47年国土地理院空中写真   南部の現在の行政区域を含め南部、鹿島の過去の町名を含めて知ることができる↓ https://geoshape.ex.nii.ac.jp/ka/resource/01/012090190…
救急車の山口さん|愛知県安城市 H.K 随想

救急車の山口さん|愛知県安城市 H.K

 父の遺品に少しずつ目を通しては整理し、大夕張を偲んでおります。  自分が赤ん坊の頃、父が鑑札(ナンバープレート)の付いた自転車に乗せられている写真や、虫垂炎で炭鉱病院へ行く時は、正月の大吹雪の中を、父がソリに乗せて引っ張って行ってくれたのを思い出したりしていました。  当時は盲腸になっても、生きる…
昭和35年 遠幌駅 運んだ、石炭を人を

昭和35年 遠幌駅

昭和35年 遠くに、ホームと「えんほろ」の駅名標が見えている。 下記『山史』によると、 北炭(北海道炭礦汽船)が遠幌炭鉱を開発、昭和23年に送炭を開始した。 同年6月18日に、北炭が駅舎社宅を完成し、北炭から提供を受けた。 営林署、北夕炭鉱、北菱鹿島炭鉱の岐線があった。 白黒写真に着色した画像   …
春とどろんこ道  |  ziny 随想

春とどろんこ道  |  ziny

 春  さくら咲く  ふるさとはたしか  ぬかる道     私の記憶では、初めて詰襟(学生服)を着て、学生帽子をかぶって、今年80になるお袋が仕事を休んで、鹿島中学の入学式にいっしょに出かけてくれた。  昭和38年のときの今頃は、道がぬかるんでいて、つり橋(暁橋)を渡るために、千年町から降りる坂が、…