2丁目3番地

令和2年2月1日にスタートした「ふるさと大夕張2丁目3番地」に関連した情報を気ままにつぶやくブログです。

夕陽を浴びる山 2丁目3番地

夕陽を浴びる山

  若い頃、自動車を自分で運転するようになってから、年に数回生まれ故郷である大夕張に向かった。    そこに行ってみると、ある瞬間、ふっと暮らした当時の感覚が、目に映る景色や肌に感じる空気に蘇ることがある。    このオレンジ色に染まる夕張岳を見た時もそんな感覚を伴った。    2001年10月7日…
ススキとホオズキ 2丁目3番地

ススキとホオズキ

 もうすぐ中秋の名月、今年2023年は、9月29日である。    子どもの頃は、秋になるとススキとホオズキが毎年の行事のように、窓辺に親が飾っていた。    母が毎年この時期になるとそうしたのだが、ススキやホオズキを採ってくるのは、子どもだった自分の役割だった。  今はススキはともかく、ホオズキは家…
ソニー(SONY)号空飛ぶ冒険 2丁目3番地

ソニー(SONY)号空飛ぶ冒険

昭和34年(1959年)鹿島小学校グラウンドのソニー号  ソニー号について、初めてその名を聞いたのは、もちろん大夕張にいたときではなくて、2001年頃に内川さんから、大夕張上空を周回するその映像を見せていただいたときだった。     いきなり画面タイトルに「ソニー号来校」と出てくるから、これはもう、…
シューパロ川の化石 2丁目3番地

シューパロ川の化石

   今日(2023年7月24日)、北海道新聞12面(道央版)に、かつて大夕張の鹿島小学校グラウンドで公演を行なったという『木下大サーカス』が札幌で公演中という記事とともに、『夕張の化石に触れて』というタイトルで室蘭市で開催中の展示について写真付で紹介されている。    記事を要約すると、『DENZ…
昭和48年11月鹿島中学校生徒住所録 2丁目3番地

昭和48年11月鹿島中学校生徒住所録

    ここに送ってもらった一冊の『鹿島中学校生徒住所録』と書かれた名簿がある。(正確に言うとそれを撮影した写真だが)      藁半紙をホッチキスで閉じただけ簡素な作りの名簿は、黄ばんで文字も薄くなっている。   発行された日付は、昭和48年11月。     三菱大夕張炭鉱閉山が決定した1973年…
シナノキ 2丁目3番地

シナノキ

   7月上旬のある晴れた日の夕方、散歩をしていると、小さな白い花を付けている木の下を通りかかった。    すると、日中のあたたかい空気の名残りに混じって覚えのある甘い香りがした。    それはどことなく懐かしく、子どもの頃の夕暮れ時の家路につく道端の樹と同じ匂いだと思った。    さっそくスマホに…
大夕張に向かう三つの道(3) 大夕張と南部を遮る壁 ダニ峠 2丁目3番地

大夕張に向かう三つの道(3) 大夕張と南部を遮る壁 ダニ峠

『むかしの道ろ(昭和6年ころ)』(一部拡大)  上の鹿島小学校の資料地図で、南部と大夕張の間、シューパロ川とパンケモユーパロ川が合流し、『二股』といわれたところ、・・・(かつて大夕張ダムはその合流地点に作られた)の山側に、道が折れ曲がった線で描かれているところがある。    青葉峠(通称『ダニ峠』通…
大夕張に向かう三つの道(2) 本流越 2丁目3番地

大夕張に向かう三つの道(2) 本流越

     現地を踏破しようというそんな無謀な企てを図る体力も気力はないので、地図を眺めながら、空から眺めて遊ぶ時間です・・・。      小林政雄著『夕張風物抄』という本の中に『本流越』という名で、夕張市と大夕張との中間に、位置する山が出てくる。    夕張市小松の西方4キロメートル、海抜875メー…
大夕張へ向かう三つの道(1) 2丁目3番地

大夕張へ向かう三つの道(1)

鹿島小学校にあった郷土室の資料に、昭和2年頃大夕張に向かう『むかしの道ろ』という掲示物があった。 その解説文には次のようにある。     むかしの道ろ(昭和2年ころ) むかし、鹿島まで、3つの道路がありました。  一つは、南部の若葉鉱(今はない)から、山道を通ってきました。  もう一つは、万字炭山か…
白銀橋が見えた風景 1997 2丁目3番地

白銀橋が見えた風景 1997

     明石町に近づくと、道路脇の木立が途切れて、湖水の上に浮かびあがる白銀橋。      右手に続く湖の先にこの橋が見えると明石町の町は もうすぐだ。       「大夕張に帰る」    そんな思いが、よりいっそう強くなった。        近づくにつれて感じていた、わくわく感というか、ドキドキ…
サーカス小屋のオートバイ 2丁目3番地

サーカス小屋のオートバイ

  「大夕張駅上空から」の写真に昨日、JUNさんから次のコメントがあった。    以前書いたか、読んだかしたように思うけど、グラウンドの「木組み」は建設中のサーカス小屋。 何棟かあったような。 この中に(?)金属網でできた巨大な地球儀のような球体を固定し、その中でオートバイを走らせていたのを見た。 …
釘 かぎ裂き 2丁目3番地

釘 かぎ裂き

  先日、Kawauchiさんからメールでこんな話を聞いた。  今は聞かなくなったけど、私達の時代、家やりんご箱など釘があっちこっちに有って、男の子はよくズボンのお尻の所を引っ掛けて、かぎ裂きを作って親に怒られました。    釘を踏んだ 痛い経験も有ります。    大夕張では、二月に一回くらい、バイ…
大夕張でライラックの木を見たか 2丁目3番地

大夕張でライラックの木を見たか

5月満開のライラック    5月のとある日、気温21℃。  陽気に誘われて外を歩くと、気がつくとライラックが満開になっている。  白や淡いピンク、紫色をした小さな愛らしい花が、房になって花を咲かせ、近所の家の庭先や公園などで目を楽しませてくれる。      ライラックの木の下を通ると甘い花の香りが漂…
『かしま 開校50周年記念誌』表紙の鹿島小学校の写真と閉校誌 2丁目3番地

『かしま 開校50周年記念誌』表紙の鹿島小学校の写真と閉校誌

   昭和53年(1978年)11月12日に発行された50周年開校記念誌の表紙に鹿島小学校の校舎の写真が載っている。    撮影された日は晩秋の雨が降り止み、晴れた日のだっただろうか。  この年に完成した新体育館、その他にも校地の改良工事が行なわれているのか、写真右手前にコンクリート製の大きな土管が…
大夕張の石 2丁目3番地

大夕張の石

   写真の石は、1968年(昭和43年)頃、父と鹿島小学校1年生だった弟が、官行の河原へ出かけて拾ってきたものだ。    シューパロ川の上流、林道の橋が見えるあたりまで入ったという。    父が亡くなった時、周囲の大人達から「あなたのお父さんは、多趣味な人だった」と聞かされた。    そのなかの一…
夕鉄バスの前にて 2丁目3番地

夕鉄バスの前にて

   大夕張が『陸の孤島」とよばれていたころ・・・。  石炭列車につながれた客車に乗って、一時間揺られて出かけていった夕張。    清水沢で国鉄に乗り換えた先の鹿の谷では、車窓から見る広い構内にたくさんの機関車や貨車が留め置かれている様子に目を見張り、終点の夕張駅で降りると、工場から聞こえる鉄を打つ…
雪煙(ゆきけむり) 2丁目3番地

雪煙(ゆきけむり)

 子どもの頃、家に幻燈機があった。  白い布を板壁に張り、そこに映し出される父がとった家族の写真をスライドで見るのが楽しみだった。    「げんとうしよう!」    いつもそんな言葉でおねだりした。    当時リバーサルフィルムは高価なものだったろう、そんなに枚数が多かったわけではない。    それ…
番外編:さっぽろ雪祭り 2丁目3番地

番外編:さっぽろ雪祭り

   大夕張から札幌に、『雪祭り』見物に出かけた人も多いだろう。    アルバムに一枚の『雪祭り』の写真があった。    当時親戚もいない札幌の町には滅多にでかけることもなく、それでも「さっぽろ雪祭り」は、写真があったために自分の記憶に残り続けた。    何歳の時にでかけたという記憶もなかったが、『…
昭和3年の大夕張 回顧随想(小林清次先生の追想)より 2丁目3番地

昭和3年の大夕張 回顧随想(小林清次先生の追想)より

   昭和3年(1928年)秋も深まる10月に鹿島小学校(当時は尋常小学校)は開校した。    山史などでふり返ってみると、前年(昭和2年)に馬車鉄道が開通し、物資や資材が搬入が可能となり、続いて、南大夕張-北部大夕張間の渓谷にかかる各橋梁の架設工事が進む中、翌昭和3年6月、三菱大夕張礦業所が小学校…
『ふるさと大夕張2丁目3番地』QRコード 2丁目3番地

『ふるさと大夕張2丁目3番地』QRコード

  需要はどれほどあるかわかりませんが、『ふるさと大夕張2丁目3番地』のQRコードを作成しました。     QRコードの便利さは、すでにいうまでもありませんが、それでもPCやスマホの操作に慣れていない方に口でアドレスを伝えることは至難の業です。   主にスマホ用途だと思いますが、手間や伝える難しささ…