思い出の街角 代々木町から炭砿病院 昭和40年頃 代々木アパートから炭砿病院方面を撮影した写真。 白黒写真に着色した画像 代々木町アパートから炭砿病院、礦業所方面 昭和27年生まれ 【松下秀明】(2007/01/09(Tue) 13:56) 私も、昭和27年生まれの同級生です。小学校時代は代々木町1丁目10番4で過ごしました。佐々木さ… 続きを読む
思い出の街角 代々木町 バス通り 昭和40年代 大夕張のまちをバスが走り出したのは,昭和31年9月16日。 地区内を運行するバスは山内バスと呼ばれていました。 バス停の『代々木町』から、『会館前』の間の区間です。 代々木アパートから撮影したものと思われ、右手奥には、代々木町の詰所が見えます。 白黒写真に着色した画像 個人的な印象 … 続きを読む
思い出の街角 開校四十周年記念パレード#3/7 昭和43年、9月27日に行なわれた鹿島小学校40周年を記念した鹿島小学校鼓笛隊のパレード。 当日のパレードの道筋は、おそらく鹿島小学校をスタートし、大夕張駅前-炭砿病院、そしてここ栄町2丁目3丁目の間を通り、再び駅前から千年町方面に向かったようだ。 短い秋の日の午後、西日を受けて隊列は長い影を伸ばす… 続きを読む
思い出の街角 宝町浴場・詰所・集会所 千年町方向から岳富町への緩やかな右勾配の坂の手前に、宝町浴場。 浴場・宝町詰所・宝町集会所の順に三つの建物があった。 掲示板の隣に詰所、影になっていてよく見えないが、集会所だろう。 集会所のやや後方、宝町の1丁目、標語塔が建っているそのあたりに住宅が6棟あった。 夕方、中学校から帰宅途中の… 続きを読む
思い出の街角 大夕張駅構内 続き 長谷川さんの『じゃじゃぽっぽ』の17ページの写真に着色。 栄町ー富士見町の踏切に自動車が止まっている。 右手には石炭置き場への側線。 白黒写真に着色した画像 大夕張駅構内から健保会館・幼稚園方面を見る … 続きを読む
思い出の街角 大夕張駅構内 昭和48年の大夕張駅構内。 左に駅舎、続いて鹿島通運。 右に倉庫・精米所が見える。 向かって左の側線が、フレンド裏の石炭置き場に伸びていた。 踏切のそばにあった富士見町詰所のあたりから、作業の様子をよく眺めていたなあ・・・。 白黒写真に着色した画像 ブログ『煙の記憶』より 下は、大夕張鉄道の… 続きを読む
思い出の街角 礦業所に向かう道 この通りは、手前が礦業所で、そこに向かう道。通勤途中の人たちもみえる。 右手に2階建のアパートが見える。このブロックの前で撮ったのが、『炭砿病院前』の写真。『ふるさと大夕張2丁目3番地』での、自分がはっきり場所を覚えている数少ない場所だ。 右手前に見える木立は病院前の公園があったと… 続きを読む
思い出の街角 宝町『キャンドル』 先日の石野さんの貴重な8ミリ映像の一コマより。 昭和46年(1971年)夕張東高の仮想行列のワンカットだ。 宝町から千年町に抜けるコース、ここは、千年町児童公園の前を通り、劇場前に出て行く道であり、私にとっては、鹿島中学校への通学路であり毎日のように歩いた道だった。 最初映像を見たとき、すぐ… 続きを読む
思い出の街角 栄町から富士見町 購買会栄町支所からプールまでの間には、空き地があった。 栄町の購買会横には踏切もあり、この空き地では、小学校低学年の頃(1960年代前半)よく遊んだ。 一人遊びの記憶。一人で遊ぶとろくでもないことを思いつく。見ての通り線路への柵もなく、土手をちょっと上がると線路だ。 踏切もあったが、人が通る… 続きを読む
思い出の街角 昭和36年 暁 橋 昭和36年6月30日竣工 暁橋(あかつきばし) 白黒写真に着色した画像 千年町と常盤町を結ぶ橋。完成した頃。【 みえこ】(平成21年4月3日) この あかつき橋が完成した時は、子供ながらに本当に安心しました。 以前の橋は、幅も狭く揺れも大きく、足元の隙間から川の流れが見え、側面は何も… 続きを読む
思い出の街角 大夕張駅 昭和40年頃。大夕張駅 駅舎。 特に、昭和30年代、昭和37年に南部間との道路が開通するまでは、大夕張を出るには鉄道しかなかったころ、生活の中心には、この駅があった。 学生服姿の中高校生が、日差しの中に佇んでいる。 警察署の影が大夕張駅の庭に伸びる。 道路沿いには、水道栓がある。が、ここで… 続きを読む
思い出の街角 大夕張郵便局 昭和43年 大夕張郵便局。駅前の通りはまだ未舗装。 昭和43年7月から郵便番号制度が導入された。 当時は3桁ないしは5桁のだったが、夕張市鹿島は、「068-06」だった。 郵便局の看板にも、郵便番号の記入を呼びかけているものが見られる。 白黒写真に着色した画像 郵便局の思い出 【小笠原 … 続きを読む
思い出の街角 昭和43年 千年町駅 千年町駅は郵便局や駐在所のあった商店街がならぶメインストリートからやや明石町よりのところにあった。 昭和25年11月1日、千年停留所として開業。 昭和35年3月21日千年町駅になり、昭和45年無人化された。 昭和48年三菱大夕張炭礦閉山のため、12月16日営業廃止となった。 当時,駅長… 続きを読む
思い出の街角 昭和30年代 保養所 大夕張駅前,緑町にあった建物。 鉱業所の保養施設。薬湯・紫外線浴室サンルーム(太陽燈室)などが備えられ、従業員の病後の回復・健康増進のための施設。 付属して温室などの建物もあった。 白黒写真に着色した画像 大夕張駅前、緑町詰所の横にあった。右手の付属の建物は温室。 保養所 【泊川俊徳】 … 続きを読む
思い出の街角 開拓地 昭和20年代。 背景の空は合成だが、雲がかかっていなければ、左に前岳がうつっていると思われる。 木を切り倒し、笹をかりとって土地をひらいたようなあとが見て取れる。 白黒写真に着色した画像 撮影年、場所等、詳細不明… 続きを読む
思い出の街角 緑町浴場 昭和49年 白黒写真に着色した画像 『鹿島小学校から歩道橋』に掲載した写真の一部分 浴場部分を切り抜き ここの2階に写真館があって、お風呂の入口に宣伝のために、写真館で撮った人の写真が飾ってあった。 ある時、初恋の人の写真が飾ってあって、夕方お風呂へ行くたびに眺めていた。 甘酸っぱい思… 続きを読む
思い出の街角 鹿島小学校校門から歩道橋 『食憶 その9 歩道橋の午後3時』を書いた長谷川さんや、『歩道橋』で、思いを書いた成松さんは、完成当時鹿島小学校児童で渡り初めをしたという。昭和44年(1969年)のことと思われる。私はすでに小学校を卒業していた。 長谷川さんは、『おやつタイムを過ごした特等席』、成松さんにとっては、『都会… 続きを読む
思い出の街角 開業した頃の湖畔亭 昭和38年頃 白黒写真に着色した画像 開業間もない頃の湖畔亭。 この写真を見たときに一番先に思い出したのが、入り口の上の看板に書かれた『亭畔湖』だった。 開通した清水沢-大夕張間の道路をバスで「湖畔」停留所の前を通ると、バスの窓からこの文字がよく見えた。 そのたびに、右から書かれたこ… 続きを読む
思い出の街角 栄町プール前の通り 左手に栄町アパート。右手に前方にプールと健保会館の公園が見えてくるあたり。 礦業所方面から、栄町商店街に向かっていく途中の風景。 場所的には、『雨上がりの購買会支所』の撮影場所から、道路を横断して、購買会本店の方をみたところだろう。 右手空き地には、資材が置かれている。よくわからないが、水道… 続きを読む
思い出の街角 栄町アパートと購買会栄町支所 昭和48年頃 右手前に購買会、左側に栄町アパート(ブロック)が並ぶ。 購買の入り口には、「コカコーラ」と「ボンカレー」の看板が掛かる。 ちょうど、『雨上がりの購買会支所』の反対側から撮った写真。 購買会の栄町支所と、本店が、両方見えている。 閉山直後の撮影だという。 粗い画質のせいか、それとも・・・… 続きを読む