思い出の街角

土手から鹿島小学校グラウンド 1997 思い出の街角

土手から鹿島小学校グラウンド 1997

   最初にネタばらし的なことを言うと、ほぼ同じ場所から撮った写真を一枚に合わせた写真。  一枚は旧大夕張駅の建物とイタヤカエデを入れて、そして次にピッチャーマウンドのあったりとバックネットを入れた写真をそれぞれ写した。    だからこうして残され、一枚になった写真といえる。    この場所から右を…
鹿島小学校グラウンド横の土手 1997 思い出の街角

鹿島小学校グラウンド横の土手 1997

鹿島小学校グラウンドバックネットのあたりから、教会・聖心幼稚園の建物とテニスコートの並び。   大夕張カトリック教会が実施していた日曜学校(学習塾)の帰り、土手の上をゆるやかに下り歩いていくと交差路にでる。   左にいくと神社の山に向かう道、右に行くと鹿島小学校の校門の方に下る。   まっすぐ行くと…
鹿島小学校 1997 思い出の街角

鹿島小学校 1997

  鹿島小学校グラウンド横にあった『土手』のあたりから見た閉校直前の鹿島小学校校舎。     1997年5月18日撮影 昨年大夕張を十数年ぶりに訪れる前に、何度も南部大宮町から先の国道452号をグーグルマップで『走った』 そして何度か『通り過ぎ』、鹿島小学校の『看板』をみつけた。     上の写真と…
神社下から夕張岳 1997 思い出の街角

神社下から夕張岳 1997

「ダムに沈む前に写真を撮っておこう」 そう意識してから最初に訪れた時が1997年の5月だった。 鹿島小学校閉校式の一か月前だった。      その時に写した写真の一枚だが、それらの写真が自分にとって、一番印象に残っていた場所だったといえるかもしれない。   心の中にある故郷の一シーンと同じ。   「…
神社に上る道  思い出の街角

神社に上る道 

あの日、あの頃 何度となく上った道、   そしてその後も 何度も上がることになった道     もちろん上がった分だけ、下ることになるのだが・・・。   上がるときの高揚したわくわく感と期待感も、下るときには駆け足で、心はすでに次の目的に向かっている。   そんなものごとの始まりと終わりという過程を教…
つわものどもが夢のあと 1997 思い出の街角

つわものどもが夢のあと 1997

  みんな 上った道、下りた道 住民の立ち退きが完了する直前の山神社階段   1997年5月18日  上のタイトルのような書き方をすると、「いかにも」の表現だが、旧境内は、夏草が茂ってはいても、小さく縮んだかつての町を見渡すことができる崖の端まで、きれいに草刈りがされて道が続いていた。    訪れる…
鹿島小学校 山神社への参道から 思い出の街角

鹿島小学校 山神社への参道から

昭和37年10月9日 別の同じ日の写真には、当時富野小学校に勤務していた祖父の字で、『見学旅行』との文字がある。   大夕張神社への参道の途中から鹿島小学校を背景に同行者を撮影したもの。         この写真の背景を切り取った部分が次の写真。 https://ooyubari.com/2023/…
階段を上った先の大夕張神社拝殿 思い出の街角

階段を上った先の大夕張神社拝殿

大夕張神社参道の階段を登りきると、その先に・・・視界が開け、広い境内が表れる。 そしてその先に山神社の拝殿がある。   写真の手前の台座にはかつて立派な石の灯籠が立っていた。   くらしの中の神社。   年の初めと終わり、日々のくらしの様々な場面で足を運んだ場所。 故郷を出、人生の節目でこの場所に立…
大夕張神社からの街並み 思い出の街角

大夕張神社からの街並み

『昭和6年頃(1931年頃)』とされる大夕張神社からみた大夕張の街並み。 夕張シューパロダム発行の『大夕張』に掲載写真のキャプションには、『大夕張神社より見た栄町方面(昭和6年頃)』とつく。実際には、もっと後のようだ。        雲の向こうに、前岳の姿がわずかに見え、眼下には大夕張の町が見える。…
映画上映中の大夕張劇場 思い出の街角

映画上映中の大夕張劇場

映画上映している大夕張劇場 右手に見える立派な料亭風の塀のある建物は、昭和43年の住宅地図で、サトミ会館となっていて、繁華街だった千年町らしく飲食店が数軒入っている。 この場所は昭和5年に千年町に入った指定商として、「土屋商店(飲み屋)」とある。   昭和の初めから酒を扱う飲食店だったのだろう。  …
大夕張 バス停 1997 思い出の街角

大夕張 バス停 1997

  1956年に地域にバスが走って以来、地域住民が集団移転する1998年まで利用された旧大夕張駅前のバス停。 美鉄バスと夕鉄バスの二本のバス停が立つ。   かつてバス停のそばには柳の木や背の高い大きな木々があり、そこでバスを待つ人の雨露をしのいだ。 その場所に小さな待合小屋ができた。     大勢の…
夕張信用金庫大夕張支店 思い出の街角

夕張信用金庫大夕張支店

     昭和32年(1957年)に開設された。その頃、千年町の大井質店の一角を借りて店舗があった。 (「大井組と大井質店」の中の清一氏の葬儀時の写真に看板が見える)     駅前のこの建物はその後の建築だろう。    信金の建物の向かって右に見えるのは、北海道拓殖銀行の建物と掲示板。  舗装されて…
大夕張神社階段 思い出の街角

大夕張神社階段

 幟立つ大夕張神社。階段の向こうに拝殿の屋根が見える。  ここまで来ると境内は目の前だ。    北海道神宮例祭(さっぽろ祭り)に合わせて6月14・15・16日に行なわれたという。  写真には残雪が残っているようだ。さすがに、6月の残雪は記憶にない。  5月に開催されてた頃の写真だろうか。それとも雪で…
昭和30年代 千年町駅 思い出の街角

昭和30年代 千年町駅

昭和30年代の千年町駅駅舎。   千年町の住人ではなかった。 駅を利用したこともない。(まったくないとは言い切れないが・・) なんどもそのそばを通り、行ったことがあるのに、駅自体の記憶はあまりない。   千年町というとバス通りと山を背にした寺院街の光景が最初に思い浮かぶ。 それは商店街の通りからの視…
鹿島小学校グラウンドの夕鉄バス 思い出の街角

鹿島小学校グラウンドの夕鉄バス

祖父のアルバムから。 大夕張山神社に向かう参道の入り口のあたりから、テニスコート越しに鹿島小学校グランドに夕鉄バスが乗り入れている。 写真の裏には、『昭和37年10月9日』のメモがある。   この日は火曜日のことであり、平日の学校のグランドにバスが停車していることを考えると、当時教職にあった祖父が鹿…
三吉神社 冬 1996 思い出の街角

三吉神社 冬 1996

平成8年(1996年)12月10日。 雪の中を神社に向かって人が歩いた細い一本の道が続いている。 静寂の中の三吉神社。   母、祖父母が千年町に住んでいたという投稿名「まゆゆ」さんが投稿された写真から。 神社の境内での参拝や祭り、隣につづく児童公園で遊んだことを覚えている人も多いだろう。      …
大夕張商店街 冬 1996 思い出の街角

大夕張商店街 冬 1996

平成8年(1996年)12月10日の大夕張郵便局から商店街にかけて。 母、祖父母が千年町に住んでいたという投稿名「まゆゆ」さんが投稿された写真から。  まゆゆさんの投稿は、次のページのコメント欄から。 https://ooyubari.com/2020/01/30/s433titosema…
大夕張駅冬 1996  思い出の街角

大夕張駅冬 1996 

平成8年(1996年)12月10日の大夕張駅。 母、祖父母が千年町に住んでいたという投稿名「まゆゆ」さんが投稿された写真から。 冬の旧大夕張駅駅舎。     まゆゆさんの投稿は、次のページのコメント欄から。 https://ooyubari.com/2020/01/30/s433titosemati…
鹿島橋 旧橋の跡 思い出の街角

鹿島橋 旧橋の跡

 かつて『ふるさと大夕張』の写真掲示板に投稿された、「常盤町に渡る手前の千年町側から」の写真だ。    投稿してくれた方の名前もデータもなくなり、わからなくなってしまった。     鹿島中学校への登校途中、鹿島橋の上から旧橋の橋脚の土台を左手に見ながら歩いた記憶はある。      「ああ、昔の橋のあ…
代々木町から春日町へ -直心の坂- 思い出の街角

代々木町から春日町へ -直心の坂-

 大夕張駅前から駅前通りを緩やかに下り、そこから春日町に行くには、大きくいうと二つの方法があった。    弥生町側から入ると春日南、代々木町側から入ると春日北にでた。    下の地図に書き込んだのはその道である。弥生町側にはさらに二つの道がある。    小学生の頃、春日町の同級生のところに遊びに出か…