思い出の街角

三菱大夕張炭砿病院 思い出の街角

三菱大夕張炭砿病院

 昭和45年頃の炭砿病院。  その頃。    右手の突き出た屋根のある部分が、正面玄関。左手は北側の玄関。職員関係者用の玄関だった。    正面玄関と北側の玄関の間に見える一階の窓のところが、事務室・受付だった。  正面玄関を入った先の吹き抜けの立派な階段を上がると診療室がならび、二階にはその窓が見…
共栄橋 思い出の街角

共栄橋

 先日の高橋さんの「続大夕張つれづれ#150『蒲の穂』の中に、明石町から、開拓・桜ヶ丘の方に向かう時、通った坂道と揺れる吊橋の話があった。明石町と開拓を結ぶ白銀橋ができる前のことである。   それによると、この揺れる吊り橋は、明石町側の坂道を下り、吊り橋を渡り、そして坂道を上って小林さんの畑のそばの…
三弦橋 パノラマ 1997 思い出の街角

三弦橋 パノラマ 1997

 大夕張を訪ねる人は、おそらく長い旅路の果てに、南部のトンネルを抜けるとここでほっと一息つきたくなったことだろう。    大夕張ダムができるその昔、深い峡谷が人々を迎えた時も、谷がダムに飲まれて巨大な湖となったあとも、景色は変われど、大夕張への入り口であったことは変わらなかった。    1997年の…
昭和45年健保会館(武徳殿) 思い出の街角

昭和45年健保会館(武徳殿)

    写真でいえば、「三菱礦業所大夕張幼稚園から聖心第二幼稚園」の写真から右に繋がる写真。 昨日掲載した『幼稚園 園庭の名残り 1997』の時点でいえば、とうぜん広い「はらっぱ」だった。       ちょうど季節は今ごろか。 武徳殿正面の花壇にはチューリップやマリーゴールドなど色とりどりの花々が咲…
幼稚園   園庭の名残り 1997  思い出の街角

幼稚園 園庭の名残り 1997 

『はらっぱ』の中の遊具。 原野の中の遊具といった風情だが、きちんと手入れがされていて、当時、子どもたちの遊び場として機能していたようだ。    栄町から富士見町方向をみる。 奥の白い建物のみえる場所あたりに富士見町の詰所があった。正面奥に踏切があり、石炭列車が左右に走った。 向こうの山の中腹に浄水場…
歩道橋からのまち 1997 思い出の街角

歩道橋からのまち 1997

  歩道橋からみたかつての大夕張駅前、1997年7月のすがた。   旧鉱業所事務所のイサオ製作所から煙がたなびいている。   住民の数356名、人の暮らしが感じられた最後の大夕張のまち。     これ以降1998年にかけて街から建物があっと言う間に消えてなくなっていった。       1997年7月…
昭和40年 南部貯木場事務所付近全景 思い出の街角

昭和40年 南部貯木場事務所付近全景

  南部貯木場から事務所付近をみたパノラマ写真。   今回あらためて気がついたのだが、写真奥、正面のやや上の位置には、南部小学校の校舎が見えていた。   そして、正面の積み上げられた丸太の上には作業をしているらしき人物の姿もいることがわかる。 右手のモルタルの建物は当時、矢板医院だったらしい、今も南…
写真 昭和40年南部貯木場 その4 思い出の街角

写真 昭和40年南部貯木場 その4

『懐かしき貯木場(南部)|大坂の小林』掲載の写真四点の内の一枚。四枚目。  以前掲載した『写真 昭和40年南部貯木場 その1』と同じように、大夕張営林署の貯木場から事務所付近にむけて写したもの。  遠目にだが、事務所建物には「災害絶滅」「安全第一」の標語の看板がかかっているのが見える。       …
写真 昭和40年南部貯木場 その3 思い出の街角

写真 昭和40年南部貯木場 その3

『懐かしき貯木場(南部)|大坂の小林』掲載の写真四点の内の一枚。三枚目。 貯木場から遠幌方面、貯木場の東側半分をみたところ。     白黒写真に着色した画像   次は、昭和40年以来、38年ぶりに南部を訪れた『大阪の小林』さんの訪問記。 https://ooyubari.com/2020/06/29…
写真 昭和40年南部貯木場 その2 思い出の街角

写真 昭和40年南部貯木場 その2

  『懐かしき貯木場(南部)|大阪の小林』に掲載の写真4点のうち、一枚。    この写真は、以前掲載した『写真 昭和40年南部貯木場 その1』の位置関係でいうと、同じ山を背景に視点を右に振ったかたちになる。  おそらく写真を撮影した人は、その1の写真を撮ってから、数十メートル右に歩いて山側を背景にふ…
鹿島小学校3階校舎からの眺め 1997 思い出の街角

鹿島小学校3階校舎からの眺め 1997

   鹿島小学校6年竹組の教室前の廊下に立ち、窓から休み時間に、グラウンドで遊ぶ大勢の小学生や街をぼんやり眺めていた一人の小学生が、30年後同じ場所に立った。  子どもたちが走る度に砂埃がまいあがる乾いた赤茶けたグラウンドは、緑の絨毯に敷き詰められたグラウンドに変わり、眼下から湧き上がるにぎやかな歓…
旧フレンド美容院の角 1997 思い出の街角

旧フレンド美容院の角 1997

  前回、前々回の投稿した写真をつなぎ合わせて一枚の『作った写真』 合成写真。だからパノラマとも違う、遠近感もおかしなことになっているかもしれない。   子どもの頃、富士見町の家に帰る・・・ここは右に行くのが馴染みの道だった。   だからこの写真を見ていると、どうしても右に向かう道が気になってくる。…
理容パーマ『フレンド』 1997 大夕張に残った建物 思い出の街角

理容パーマ『フレンド』 1997 大夕張に残った建物

   小さい頃から通った床屋の建物が目の前に。見覚えのある建物が残されていて懐かしかった・・・。  反面、人家の形跡はあるものの、すでに人が住まなくなってかなり立つらしく、玄関と窓に打ち付けられた木枠もすでに朽ちかけて荒れ果てるその姿にはなんとも言えない気持ちになった。    建物手前の道を右手に行…
大夕張のまち その8 1997 栄町商店街を北側から 思い出の街角

大夕張のまち その8 1997 栄町商店街を北側から

  『大夕張のまち その7 1997 大夕張銀座と呼ばれた商店街』の写真の左側奥に、青い屋根をした建物が見える。  そこから反対側(南側)に向かっての写真。   青い屋根をしたその建物が、かつての理容パーマ『フレンド』の建物で、商店街の北の端にあたり、『まち』の終わりだった。      ここでは、右…