思い出の街角 昭和49年 千年町商店街 昭和49年頃、鹿島東小学校に向かって下りのゆるやかな勾配が続く道の両側に商店が建ち並ぶ。 昭和49年 千年町商店街 昭和43年住宅地図 千年町駅周辺から 通学路と千年町【飯田雅人】昭和49年秋の千年町の様子です。閉山後1年経った大夕張。後ろの夕張岳が早い冬の訪れを告げています。左手の千年町郵便局の前… 続きを読む
思い出の街角 昭和40年頃 鹿島小学校前 昭和40年頃 鹿島小学校前 【飯田雅人】(2005.7.29) 鹿島小学校,旧校舎の玄関前の写真です。私が通っていた頃は,低学年がこちらを利用していたでしょうか。後ろには日曜学校やクリスマスのバザーなどで通っていたカトリック教会。そして,校舎前には『標高318米』の白い柱が立っています。子どもの頃、… 続きを読む
思い出の街角 昭和40年 大夕張礦業所 正門前 昭和40年 大夕張礦業所 正門前 【飯田雅人】(1997年12月9日) 当時炭砿で働く大人達はこのゲートをくぐって出勤していったのでしょうけれど,私にとってこの場所の思い出は,特に小学校低学年の頃の記憶につながっています。この場所は,ちょうど炭山駅の正面にあたるところでした。ここが三菱バス(山内線)… 続きを読む
思い出の街角 泉町から鹿島小学校への小道 昭和46年夏。泉町から。 【久々湊眞一】 昭和46年8月。この小道を通った事がある人は、大勢いると思う。大夕張行きの貨物列車が走っているが、きっと荷物(石炭)が、空の状態だと思います。 … 続きを読む
思い出の街角 磯次郎の沢 昭和35年頃、春日町の対岸、磯次郎の沢。 【泊川俊徳】(2006/05/15(Mon) 13:35) 代々木町に住んで居た頃、夏になると 随分 遊びに行きました。 小学校では 危ないので この沢では遊ばないようにと言う事のようでしたが それでも 夏は結構遊びに入りましたね。 小学校 4年生か5年生頃… 続きを読む
思い出の街角 昭和29年 秋 大根収穫 昭和29年 明石町 農場 秋のダイコンをたくさん背負って畑から降りてくるひとたち 。 池のそばでは子供たちがなにやら••• 大夕張礦業所の農場として開墾が奨励され、昭和24年に明石町ができてからも、昭和27年に明石橋ができるまで、千年町から明石町への道路はなく、急ぎの時には住民は鉄橋を渡って往来して… 続きを読む
思い出の街角 大夕張駅前の移り変わり 大夕張駅から駅前通り風景の写真を3枚。昭和20年代から昭和40年代への20年間の市街地の発展は目をみはるほどです。炭鉱隆盛の時代。昭和48年の閉山から25年を経た老朽化した建物は時代の流れを示しています。昭和20年代の写真は夏の日の午後でしょうか。通りを歩く人々の声が聞こえてきそうで心に残ります。後… 続きを読む