思い出の街角 昭和52年の大夕張全景(#5/5) 昭和52年(1977年)の大夕張を山神社のあった場所から撮影した5枚組の全景写真のうちの鹿島小学校の裏、宝沢・千年町にかけて望む最後の一枚。 それにしても、手前の神社登り口周辺の木々の繁殖ぶりが、やけに目につく。 全景写真『大夕張秋暮色』に、昭和49年に同じ場所から撮影された、岳富千年… 続きを読む
思い出の街角 昭和52年の大夕張全景(#4/5) 昭和52年(1977年)の大夕張を山神社のあった場所から撮影した5枚組の全景写真のうちの一枚。 ここに見える弥生町、そして川沿いの春日町は閉山直後にすべての炭鉱住宅が取り壊され緑の広野になっている。 浴場の建物が残る緑町もその半分になった。 鹿島小学校の東側に新体育館が建設中だ。 昭和5… 続きを読む
思い出の街角 昭和52年の大夕張全景(#3/5) 昭和52年(1977年)の大夕張を山神社のあった場所から撮影した5枚組の全景写真のうちの一枚。 理容フレンド裏、石炭置き場への鉄道の引込線のあった辺りや、購買会バックヤード、倉庫群などがあった辺りが中心に写る。 三菱大夕張炭鉱閉山の直前、鹿島の人口およそ11000人から閉山を経て4年、住民は約… 続きを読む
思い出の街角 昭和52年の大夕張全景(#2/5) 昭和52年(1977年)の大夕張を山神社のあった場所から撮影した5枚組の全景写真のうちの一枚。 三菱大夕張炭鉱閉山から4年目。 栄町2丁目から代々木町にかけての木造の炭鉱住宅がなくなっているのが、すぐに目に付く。 栄町の購買会支所や、かつての炭鉱病院、健保会館も赤茶けた錆の浮いたトタン屋根が目立つ。… 続きを読む
思い出の街角 昭和52年の大夕張全景(#1/5) 昭和52年(1977年)の大夕張を山神社のあった場所から撮影した5枚組の全景写真のうちの一枚。 三菱大夕張炭鉱閉山から4年目。 手前のスキー場から奥のズリ山までの間、富士見町には残されたブロック住宅とともに、啓心寮、倶楽部といった会社の建物がまだ残されている。 … 続きを読む
思い出の街角 常盤町川沿の炭住 昭和34年頃 手前のつり橋は、千年町と常盤町を結ぶ初代暁橋、奥にはバス(山内線)も走った旧鹿島橋が見える。 鹿島橋の側には鹿島東小学校の校舎。 昭和24年(1949年)に住宅地として山林を開き新築完成した常盤町の炭鉱住宅街だったが、大夕張ダム関連の工事で、昭和36年に暁橋と鹿島橋は新しい橋に付け替えらた。 … 続きを読む
思い出の街角 大夕張圃園全景 大夕張地区では、昭和5年から人工林の育成が始められた。 帝室林野局札幌支局大夕張出張所が昭和14年に設置され、昭和22年4月に大夕張営林署となった。 昭和29年の洞爺丸台風で大きな被害を受け跡地整理のために、トドマツを中心に針葉樹が植栽された。 昭和31年には、学校林として、鹿島中学… 続きを読む
思い出の街角 殉職者慰霊塔(千年町) 三菱大夕張炭鉱の事故犠牲者の霊を弔うために、大夕張在住の篤志家によって建てられた慰霊塔。 願正寺の山平セツさん、佐藤ハツさんらが中心になって建立された。 千年町の願正寺と妙法寺の横の小道から鹿島墓地に向かって、北に15メートルほど入ったところにあったという。 白黒写真に着色した画像 碑:… 続きを読む
思い出の街角 昭和40年代大夕張パノラマ (四分割-4) 手前の緑ヶ丘の教員ブロックの周辺から宝沢の泉町をはさんで、錦町・千年町と続く。 そして遠く、常盤町鹿島中学校の校舎まで見通すことができる。 昭和43年の白銀橋の落橋事故により、鹿島中学裏から白金に抜ける道路開削によってできた山の斜面の崖も見える。 『ふるさと大夕張2丁目3番地』… 続きを読む
思い出の街角 昭和40年代大夕張パノラマ(四分割-3) 昭和40年代、正面に見える夕張岳の南側の特徴的な山の頂は何とよんでいたのだろうか。 「あの山」の頂が、「そこにある」ことを意識しつつ、今回これを機に調べてもみたが、結局わからないまま現在に至ってしまった。 鹿島小学校の新校舎、三階の教室の窓から毎日見えていた山の姿。 夕張岳に連なる… 続きを読む
思い出の街角 昭和40年代大夕張パノラマ(四分割-2) 昭和40年代、正面、夕張岳には残雪、駅周辺の木々もこれから芽吹くという4月から5月初旬頃の大夕張か。 神社から見た全景よりは、低い位置からの写真のようだ。 参道の坂道の途中から撮影したのだろうか。 昭和40年代の大夕張、パノラマ写真を四分割。北側から一枚ずつにしたものの2枚目。 前回一枚目も… 続きを読む
思い出の街角 昭和40年代大夕張パノラマ(四分割-1) 昭和40年代、栄町アパートの屋根が、平面の形状(陸屋根、りくやね・ろくやね)だったのが、片流れの傾斜ついたトタンの屋根が取り付けられた。 栄町ブロックのあたりは、青い屋根に煙突が続く・・・。 礦業所方面から鹿島小校門まで 昭和40年代の大夕張、パノラマ写真を四分割。北側から一枚ずつにしたもの。 … 続きを読む
思い出の街角 大夕張駅に向かって 春日、弥生、代々木の3つの町の境界線が接するようなこの場所。 同じような立ち位置で撮影した写真に、『代々木アパート手前から』と『大夕張駅から代々木アパートまで』(下記参照)があるが、その二つの写真の中間あたりから撮影した写真だ。 おそらく撮影者の右手には中西豆腐店や代々木町の… 続きを読む
思い出の街角 千年町から見た常盤町 昭和40年代 千年町から足下に見える常盤町の風景。 正面に鹿島中学校の校舎。 左下の暁橋から鹿島中学校への通学路がまっすぐに伸びる。 道の先の緑のこんもりとしたところが、詰所や白樺の並木があったところだろう。 この道は、『中学校行き』の山内バスが通る外周の道を横切り、朝夕の通学時、多くの中学… 続きを読む
思い出の街角 春日町 住宅地 川に近い低いところにある春日町に行く坂道はいくつもあった。それは、『昭和47年春日町航空写真』でもみることができる。 崖の上にあった購買会のあたりから右にいくと、急斜面を直下に下る細い道と、やや車も通れる広めの道路があった。 写真は、その広めの道の途中から見た、春日町の詰所より南側の住… 続きを読む
思い出の街角 礦業所プール(栄町) 水の抜かれた誰もいないプール。 大人用プールの向こうに子供用プールがあった。 道路をはさんで栄町アパートが建ち並ぶ。 7月から8月にかけて、夏のにぎわいはふた月もあっただろうか。 お盆を過ぎるころから風が寒く感じるようになり気温も下がる。 そして迎えた秋。 9月頃のプールか… 続きを読む
思い出の街角 昭和40年代 協和会館 昭和6年に建てられた礦業所の施設、従業員の慰安娯楽にも使用され、昭和15年頃の絵葉書には、『娯楽殿堂』の文字がうたわれる。 昭和32年には大きな改装工事を受けた。閉山近い昭和40年代の協和会館。 昭和15年頃の絵葉書の中の協和会館 https://ooyubari.com/202… 続きを読む
思い出の街角 駅前通り 昭和40年代、大夕張駅前から春日町方面に向かっていく通り。 これまで掲載していた写真と元は同じ写真と思われるが、こちらは昭和48年発行の大夕張炭労「未来に向かって」の中で『大夕張駅前通り』として掲載されていた。ずいぶん色味が異なる。 もうずいぶん前になるが「ふるさと大夕張」の掲示板か、住民登録の… 続きを読む
思い出の街角 三菱購買会 昭和40年代 昭和30年代半ばに建て直されたという購買会の建物。 それから約10年後。 二階は家具売り場(窓からそれらしき様子が見える)で、食糧、生活日用品は、一階に各種店舗が入っていた。 秤売りの様子をじっと見ていた昭和30年代。 たしか買い物客用の玄関は、北側と南側に二カ所。それともう一… 続きを読む
思い出の街角 お祭り 駅前商店街 すずらん型の街灯にオート三輪、昭和30年代中盤最盛期の頃の大夕張駅前商店街だろう。 初夏を迎え、お祭りの季節がやってくると、街に幟があがり、紙桜の飾りで街が彩られる。 着物姿の女の子達の踊りとそれを見ている大勢の人たち。 駅前から春日町方面に続く通りをうめる、人また人の波に圧倒される。 … 続きを読む