思い出の街角 昭和32年 大夕張駅 見送り風景 昭和32年。 4月も中旬の頃だったという。まだ肌寒い日が多く、服装にも冬の名残りが感じられる。 この中に鹿島小学校から富野小に転勤になる祖父もいるが、大夕張の外にでる交通機関は鉄道しかなかった時代、転出する人が多かったことだろう。 大夕張駅ホームの駅名標付近に集まるあふれるばかりの見送りの人々。 … 続きを読む
思い出の街角 大夕張劇場 映画の看板 千年町大夕張劇場。右手が千年町駅、左手が鹿島東小学校方向。 ずらりと映画の看板が入り口の上に多数貼りだされている。 左から写真を拡大しながら、映画のタイトルを読んで行くことにしよう。 『遥かなる男』 〇七〇〇笠のような字が見える。絵は時代劇のようだが、わからない。 『雨情』 『土俵物語』 『水戸黄門… 続きを読む
思い出の街角 鹿島消防署 昭和45年頃(1970年頃) 白黒写真に着色した画像 駅前の鹿島消防庁舎は昭和28年に新築完成した。昭和49年、本部は南部に移転。 【大夕張の消防】 大正5在郷軍人を中心主体に二股,若葉地区に私設消防隊ができる。大正96月 大夕張義勇消防組創立。(二股・六尺・若葉)昭和49月 三菱鉱業大夕張砿業… 続きを読む
思い出の街角 千年町商店街 1997 平成9年(1997年)の千年町バス通り。 とはいえ、すでに「中学校行」のバスは走っていない。 場所的には、『昭和49年千年町商店街』と同じあたり。 織田商店、富田商店のあたりから、東小方面をみたところである。 『昭和61年(1986年) 大夕張の面影』では、このあたりの車窓風景がゆっくり流れ… 続きを読む
思い出の街角 改装前の協和会館 昭和20年代と思われる。 。 協和会館は、昭和6年に建てられ、その何度か改修工事が施されたきたようだ。 昭和32年に改装される様子がこちらかみることができる。 それ以前の改装される前の協和会館。 駅前から続く通りも未整備で、水たまりが多い。 その道をランドセルを背負った子どもたちの通学途中の風景にも… 続きを読む
思い出の街角 昭和45年頃 購買会 昭和45年頃、購買会。陽射しの強い昼さがり。 母が勤めた購買会 【高橋勝美】 栄町ブロックでしたので、買い物は購買会でした! 母が、肉屋-惣菜も売ってました-働いていました。ですから私は鍵っ子でした。小学校の帰り道に時々、母の務め先に顔を出してました。 購買会 【飯田雅人】 大夕張で日常使うも… 続きを読む
思い出の街角 岳富町商店街と「しがい」 「しがい」とよんでいた千年町。 その千年町と大夕張駅方面を結ぶ岳富町。昔の人は宝沢と呼んだ。 千年町との往来には、この沢を埋め立てた道を歩いた。 戦後鉄道の築堤沿い建ったバラックの商店は昭和30年代立派な商店街となり、「岳富町」となった。 千年町方面のことを、子どもの頃「しがい」と呼んでいた。 千年… 続きを読む
思い出の街角 大夕張駅前 歩道橋より 大夕張に設置された唯一の『歩道橋』から大夕張駅前、栄町商店街方面を見たところ。昭和45年頃。 左手前には消防署・警察署,右手に拓銀、夕張信用金庫。 その奥に郵便局などの金融機関が集まる街の中心部。 保養所前にある夕鉄バス『大夕張駅』のバス停にバスが停車中。 昭和45年頃 歩道橋より駅前… 続きを読む
思い出の街角 昭和28年 大夕張劇場 昭和28年(1953年)の大夕張劇場。左端に写っているのは永原呉服店。「呉服大売り出し」の幟が見える。 昭和31年、三菱バス山内線開通後には、『劇場前』のバス停があった。 ここは、四つ角の交差点になっていて、昭和43年頃には、大夕張劇場はすでにパチンコ店になり、西側に、サトミ会館、永原呉服… 続きを読む
思い出の街角 夕張岳山頂神社 昭和40年ころ撮影された夕張岳山頂手前の神社。 下の写真は、同じ場所の現在の神社。 いつかまた登ってみたいとは思うが、山頂の神社を思いながら遥か下界から夕張岳の山頂を仰ぎつつ祈りを捧げることにしよう・・・。 昭和40年ころの神社 現在の夕張岳山頂神社… 続きを読む
思い出の街角 栄町2丁目~3丁目の通り 昭和43年頃、冬の栄町。 栄町2丁目と3丁目の間の通り。 後ろに炭砿病院。その向こうに礦業所のズリ山が写っている。 軒先に長い氷柱が下がるような寒さが続く日々の中で、ときおり訪れる穏やかな一日。 頬も凍らすような冷たい空気があたりを覆っているようだ。 白黒写真に着色した画像… 続きを読む
思い出の街角 写真 昭和40年南部貯木場 その1 『懐かしき貯木場(南部)|大阪の小林』に掲載の写真4点のうち、一枚。 白黒写真に着色した画像 南部のこの場所はちょうど、旧南大夕張向かいの商店街から入ったところにあるということで、20年程前大夕張や保存会の活動で南部の客車を訪ねた際に、何度もたち寄って写真も撮った。 あらためて、今回20年ぶりに?G… 続きを読む
思い出の街角 富士見町6丁目から 昭和40年頃、富士見町6丁目の山から鹿島小学校方面をみる。 清水の遊び場 富士見町6丁目は住宅のどんづまり、礦業所のすぐそばという印象がある。住んでいた家の裏手には山が迫り、小学校低学年から中学年にかけて、春夏秋冬ここが遊び場だった時がある。 この写真の真ん中、住宅と山の境目に小さな坂が見える。 … 続きを読む
思い出の街角 八百五十のゲレンデ 昭和30年 八百五十のゲレンデ。 白黒写真に着色した画像 八百五十 【小笠原 憲】 1998年02月27日(金)16時47分10秒 お久しぶりです。 遠い昔の記憶によると(昭和35,6年)、八百五十は鹿島小の横の沢をどんどん登っていって、更に山に登って・・というようなところでした。 鹿島小の冬… 続きを読む
思い出の街角 閉山の記憶 昭和48年(1973年)の三菱大夕張炭鉱閉山後、春日町をはじめ、弥生町、緑町等の従業員の炭鉱住宅は取り壊された。 住宅が取り壊されていく様子は、遙かなる思い出の故郷の10分47秒のあたりから数十秒間、映像の中でも映っているが、閉山後一気に取り壊し作業は進められていったことだろう。 平成9年に鹿島小学… 続きを読む
思い出の街角 明石町から夕張岳 年代不詳 明石町から夕張岳方面を望む。 常盤町の見えているたてものは、鹿島中学校、し尿処理場のあたりのようだが・・・。 白黒写真に着色した画像 この明石町のどのあたりから撮影したのか、明石町に住んでいた人ならたぶんすぐにわかるのでしょう。大夕張全体を撮影した国土地理院の航空写真はこちらなので眺めてみ… 続きを読む
思い出の街角 湖畔の覆道 三菱大夕張鉄道、南部からシューパロ湖駅に向かう途中、青葉トンネルを過ぎたところにあった落石防止の覆い。 すでに線路はなく、サイクリング道となっていたらしいが、冬の大雪はすべてを覆い包んでいた。 シューパロ湖畔を上空から遠望し、覆道の位置がはっきりする・・・ https://ooyubari.… 続きを読む