楽しかった日々 男たち やや大仰なタイトルではありますが、当時の働く人の姿です。 仕事の合間だろうか。カメラに向ける顔。たくましさの中の笑顔がやさしい。 建物の蔭になるこんな場所は、春遅く4月5月まで雪が残っていた。 後ろにはまだたくさんの雪が残っている。 こういう場所は、一年中陽あたりが悪く、春には雪解… 続きを読む
楽しかった日々 窓が埋まって よいしょ 昭和37年ころ 大夕張の15年間、生れてから2回引越しした。 ここは、炭鉱病院の線路を挟んだ向かい側の、富士見町5丁目のあたりだと思う。ここで生れた。 雪が多く降った。昭和13年、7歳で沼の沢から大夕張に引越してきた母などは、「大夕張ダムができてから雪が多くなった。」と、よくいっていた。 … 続きを読む
楽しかった日々 八百五十のゲレンデ(2) 昭和30年 八百五十のゲレンデで。山の向こうに山、山がつらなる。 八百五十 【飯田雅人】(2021年3月12日) 私が過ごした大夕張に八百五十(はっぴゃくごじゅう)と呼ばれる山があった。 海抜850メートルの山だから八百五十とよばれている、と小さい頃から聞かされていた。 住む人たちには、山スキ… 続きを読む
思い出貼 八百五十のゲレンデ(4) 昭和30年 当時の、身長以上の長いスキー。 お腹に茶色の腹巻きをしめている。バカボンのパパがしていた腹巻きと同じ物。このころ自分は身につけた覚えはない。忘れてしまっただけなのかもしれないけれど。 スキーのブランドマークは当時よく見かけたような気がする。小樽にあったというアジアスキーだっただろうか… 続きを読む
楽しかった日々 そり 『そり』といえば、この赤茶けた台車のような形をした、木製の『そり』しか覚えがない。 台車の下の車輪の代わりに、細い二本の板に、鉄板が打ち付けてあった。 小さいころ、冬は購買会への買い物に手伝いをして、これでみかん箱や、リンゴ箱を載せて運んだこともあった。 力で押すタイプでしかも、重心がや… 続きを読む
楽しかった日々 冬のそり遊び(昭和35年) 雪が降ると外へ飛び出す。積もった雪の表面が太陽に照らされてキラキラ輝く。 固まった雪面を踏むとサクッと音がして踏み抜くことができて気持ちよかった。 木製のそり。 竹のストック,毛糸の手袋(すぐに雪が凍みて手が冷たくなった),脚絆(雪が玉になり足に葡萄粒のように連なった)。 それでも雪の中で… 続きを読む
楽しかった日々 雪と子ども 昭和30年代 暖かい冬の一日なのだろうか、上着を脱いでの雪遊び。 白黒写真に着色した写真 毛糸でつながれた毛糸の手袋が懐かしい。場所は春日町の住宅地と思われるが、詳細不明… 続きを読む
楽しかった日々 昭和26年 スキースタイル 1951年(昭和26年) 春日町詰所裏 白黒写真に着色した画像 春日町詰所裏 当時のスキースタイル 昭和30年代 スキー場 兄妹四人 スキー場にて スキースタイル 【小林光志】 (上の写真) 1951年(昭和26年)この頃の子供は、このスタイルがスタンダード。 竹のストックとビンディング… 続きを読む
楽しかった日々 昭和37年シューパロ湖駅待合室 シューパロ湖駅待合室前で。開業したばかりの頃でしょうか。 待合室の中からシューパロ湖を見ている人達、袋を下げた観光客のような人たちもいます。 父とつないだ男の子の手には、当時子どもたちに人気のあったグリコのお菓子が、しっかりと握られています。 白黒写真に着色した画像 待合室の向こうはホームが見… 続きを読む
楽しかった日々 カルタ大会 昭和40年代 大夕張の子どもたち。冬には、百人一首やカルタで遊んだ。お正月や、冬休み期間中には、大夕張の各町の詰所や集会所等でカルタ会が、盛んに催された。板カルタ、下の句読みが主流だった。 白黒写真に着色した画像 大夕張の子どもたち 昭和41年冬 町内会対抗「下の句カルタ大会」 協和会館別館で行われ… 続きを読む
楽しかった日々 第6回 労働文化祭(協和会館) 昭和28年 協和会館にておこなわれた労働文化祭の舞台。 三菱大夕張礦業所のスリーダイヤのマークが入った水引幕とともに、両脇には、「第6回労働文化祭」「郡山流尺八・生田流箏曲 大夕張禪琳會」の垂幕。 バック幕に掲げらられた、飾りは文字か?紋様か? 戦後、労働組合の設立とともに労働文化活動が盛ん… 続きを読む
楽しかった日々 『走れ!ケ-100』大夕張炭山駅ロケ 昭和48年8月 閉山の年の8月。12月には、大夕張炭山~南大夕張間は廃止となりました。 この昭和48年にTBS系(北海道はHBC・北海道放送)で放送されたテレビドラマ「走れ!ケー100」のロケが行われました。主演の大川栄子さんの姿も見えます。 それまで『キイハンター』の「谷口ユミ」役で、チャー… 続きを読む
楽しかった日々 大夕張駅前を行く『ケ-100』 昭和48年夏 大夕張駅前 TV番組『走れ!ケ-100』の番組のロケが大夕張炭山で行われた。併走する自転車の少年が、微笑ましい。後ろを走るバイクは、長ーいバックミラーがついています。 白黒写真に着色した画像 駅前を牽引されていく『ケ-100』 当方のブログでも紹介しておりますが、大夕張駅前の風景も写… 続きを読む
楽しかった日々 志垣太郎のCM撮影 -大夕張にやってきた芸能人- 昭和47年12月。CM撮影で,客車内で撮影が行われた。グリコアーモンドチョコレートのCM撮影。 カラー写真の色調を補正し、リフレッシュしました 大夕張炭山 機関庫 客車の前で かつて『ふるさと大夕張』の掲示板で、志垣太郎と大夕張のかかわりについて話題になったことをがありました。古い記録からですが、… 続きを読む
楽しかった日々 志垣太郎とラッセル車-大夕張にやってきた芸能人- 昭和47年、大夕張炭山駅。志垣太郎は、写真左から3人目。 今は南部で保存されているラッセル車や9600型のSLなども後ろに見えています。そしてその奥にはズリ山も。 このころ、こうした芸能人が機関庫に挨拶にくるとサインを置いていったようで、はじめは,ありあわせの紙にしてもらっていましたが、次々と… 続きを読む
楽しかった日々 だっこさせて! 昭和31年頃 富士見町5丁目線路そばの住宅の前で 白黒写真に色付をした画像 近所の女の子が「赤ちゃんを見せて」とやって来て、物干しの下で 抱っこ 小さい頃の思い出【飯田雅人】(2020年2月15日) 大夕張の思い出は遠い夢の中の出来事に等しいものがあります。 近所の「いとうたえこ?」ちゃんといったで… 続きを読む
楽しかった日々 大夕張の女の子(営林署官舎、木工場付近) 昭和37年頃。線路の向こうに見える住宅は、錦町方面でしょうか。 白黒写真に色付け 妹の同級生 【松下秀明】 私の妹(松下ひとみ)と、同級生ですね。妹は札幌に住んでいます。私は鎌倉に居ます。 営林署官舎 【ノーキー】( 2007/01/12(Fri) 12:49) 私は昭和32年生まれで営林署の… 続きを読む
楽しかった日々 千年町の子どもたち 昭和38年頃、千年町。 3人の男の子と女の子。四人の後ろには、願正寺の看板。 願生寺の建物は、そのご改築され、私が記憶にあるものとは違っている。 昭和40年前後に改築されたらしい。 左手後ろに見える屋根は妙法寺。 白黒写真に色付けした写真 願正寺 門前の子どもたち ↓昭和45年頃の願正寺 https… 続きを読む