山史 第3編 駅の歴史 第3編 駅の歴史 清水沢駅 明治30年2月16日 北海道炭砿鉄道の駅として開業追分起点 33.6Km 明治39年10月 鉄道国有法により逓信省鉄道作業局に買収され省線となる。 昭和22年1月16日 社線乗入れにより共同使用駅となる。 昭和31年4月2日 新駅舎完成新清水沢駅 清水沢起点… 続きを読む
陳列棚 夕張東高等学校ペナント3種 明石町の高台にあった夕張東高等学校のペナント3種。この他、デザインの違う数種類のペナントが発行されたようです。 https://ooyubari.com/2020/02/17/higasikopenanto/ https://ooyubari.com/2020/04/11/yubarihigasi0… 続きを読む
陳列棚 鹿島中学校 襟章 昭和45年前後 使用されていた鹿島中学校の 襟章 「学級委員」襟章【縦】1.1cm ×【横】2.2cm 「1年C組」襟章【縦】1.1cm ×【横】1.9cm 鹿島中学校の襟章です。男子は学生服の襟に,女子は制服の胸に着用していました。 委員会の襟章は、委員会ごとに、生活委員会なら「生活」… 続きを読む
資料室 鹿島中学校 記名章 昭和45年頃 つかわれたもの 【縦】5.25センチメートル,【横】3.65センチメートルの鹿島中学校の記名章です。実際の鹿島中の校章はもう少し青みがかっています。… 続きを読む
陳列棚 鹿島中学校 帽章(校章) 昭和22年7月10日制定 『三枚の柏の葉』は 知 情 意 を表わし且つ 『柏の木』は不毛の地でも、よく成育するので如何なる困難な状況においても、勉学にいそしむことを、象徴している。 『中心の星』は常に高い望みをもって進むことを表わし『鹿中』は本校の頭文字 『3本のペン』は、これまた勉学を、意味してい… 続きを読む
交通関係 大夕張鉄道時刻表(昭和35年/昭和37年) 1960(昭和35)年7月1日改正時刻表(夕張タイムス掲載) 1962(昭和37)年1月15日改正時刻表(交通公社版北海道各線時刻表) 昭和35年7月1日、昭和37年1月15日改正時刻表 【奥山道紀】 シューパロ湖沿いの道路が開通する前まで「陸の孤島」と呼ばれた大夕張。外部と連絡する三菱鉱業大夕張… 続きを読む
映像 シューパロ湖 ボート風景 「石炭の街ゆうばり」北方資料デジタルライブラリーより(画像にリンクを貼っています) 道立図書館内の北方資料デジタルライブラリーの中に収録されています。ふるさと動画DVDとして1960年代の道内の市町村の動画を貸し出ししています。 このビデオは昭和40年「石炭の街ゆうばり」(STV制作)のダイジェスト… 続きを読む
陳列棚 山神祭 行灯・提灯 礦業所の提灯 写真の道端に立つ行灯は,懐かしく忘れられないお祭りの光景の一つです。 この行灯は、毎年、町内から各家庭に半紙が配られて、それに自分も下絵や文字を描き、色をつけるなどして参加した記憶があります。 道端にたつ行灯 街の人々が手書きでみんなが参加していた盛大なヤマのお祭りでした。… 続きを読む
陳列棚 シューパロ湖 貸しボート券 シューパロ湖貸しボート券 【奥山道紀】 シューパロ湖の「貸しボート券」が出てきました。 200円と記載されていますが、昭和50年代のものと思います。 大夕張ダムによる「シューパロ湖」の登場により1962(昭和37)年2月には夕張岳と周辺一帯が「富良野・芦別道立自然公園」として指定されました。 付近… 続きを読む
陳列棚 お祭りの紙桜 祭りの時期になると,各家庭にこのような飾りが数本配られ、どの家でも玄関の軒先に取り付けていきました。 隣近所から各町内の家々の玄関はピンク色の花で飾られ、いやがおうにも子ども達の気分は盛り上がっていくのでした。 紙 桜 【Kawauchi Masami】 かあさんが お祭り近くになると 池田食堂の前… 続きを読む
山史 第2編 歴代課長 第2編 歴代課長 初代 宇賀村 進 自、昭和20年9月1日 至、昭和21年6月20日 2代 本 間 昌 吉 自、昭和21年6月20日 至、昭和27年11月25日 3代 松 谷 逸 郎 … 続きを読む
映像 我が故郷 大夕張よ 永遠なれ 1992年の大夕張を撮影した映像です。2000年頃でしょうか、『ふるさと大夕張』への寄稿者であった小野美音子さんから大夕張の皆さんにおくられました。併せて三菱大夕張鉄道保存会への協力の呼びかけもしてくださいました。たくさんおくっていただいたテープは、当時、交流会等でお集まりいただいた方々にもお配りま… 続きを読む
陳列棚 鹿島小学校大時計 昭和24年○月、(二or三の字に見えます)の文字が入り、「贈鹿島小学校」の文字が大きく刷り込まれています。卒業生が卒業を記念して学校に記念品を残していくという習慣がさかんでした。いわゆる『卒業記念品』というものですが、それでしょうか。 自分が通っていた頃(昭和30年代後半)は、この時計は、校舎中央の… 続きを読む
陳列棚 夕張市観光パンフレット(昭和31年頃) 袋|外側袋|内側パンフレット 表裏パンフレット内側パンフレット見開き夕張市・夕張観光協会の観光パンフレット 夕張市・夕張観光協会の観光パンフレットです。昭和30年の概況が書かれているようなので、その頃の発行でしょう。 大夕張については、おいたちの中で北炭と並んで三菱鉱業の二つの炭鉱が主軸となって鉱業… 続きを読む
統計 鹿島中学校卒業生の推移 (昭和23年~三菱大夕張炭鉱の閉山は昭和48年~平成8年) 期年度卒業生数1昭23(1948)39224 (1949)156325 (1950)280426 (1951)308527 (1952)293628 (1953)330729 (1954)313830 (1955)336931 (1956)… 続きを読む
陳列棚 大夕張カメラクラブ バッジ 縦1.5cm×横1.7cm【実物の大きさ】 父が昭和30年代に入っていたというカメラクラブのバッジ。カメラの頭文字を表すCの文字の中央にOYUBARIの字を配しています。… 続きを読む
山史 第1編 沿革 第8章 二股ダム建設に伴う鉄道移設補償工事 第8章 二股ダム建設に伴う鉄道移設補償工事 1、 二股ダムの建設 昭和27年、北海道開発局の手により、空知4ヶ町村(由仁、栗山、栗沢及び長沼)の既成水田7720haの完全補水と4145haの新規開田並びに年間6650万Kw/hの発電を目的とし多目的ダムの建設に着手。 昭和35年12月、湛水及び発電を… 続きを読む
地図 礦業所建物配置図 昭和33年の礦業所建物の配置。元の資料は大夕張全体に及びますが、そこから礦業所をピックアップしたもの。残念ながら一つ一つの建物の詳細については自分にはよくわかりませんが、主な建物には名称が記載されています。 昭和33年の資料から https://ooyubari.com/2020/04/16/mit… 続きを読む