写真 タンポポの海 |斎藤敏幸 5月の『タンポポ』 北の国にも、やっと春が訪れてきました。 ここ札幌でも、中の島周辺の公園でも桜の花が開きはじめました。 毎年、この季節になると「タンポポの海」を思い出します。 当時、僕の住んでいた栄町ブロックの周辺には、木造長屋を取壊した跡地が幾つもありました。 特に栄町の詰所の辺… 続きを読む
写真 イタドリ 5月になると、あたたかい日も増え、気温が上がってくる。 雪がとけたあとは、枯れ枝や枯れ草が雪の重みで寝ていた大地に、さっそくどこでも顔を出してくる。 山道、野原、道路脇、土手や崖、沢などの水辺や川縁の近くにと、どこにでも、いたるところこいつは顔を出してくる。 大夕張の子どもたちは、『ドンガイ… 続きを読む
写真 鹿島橋のエゾエンゴサク|高橋歌子 2011年(平成23年) 5月 ※花言葉は、妖精たちの秘密の舞踏会 鹿島橋のたもとに咲いていた儚い可憐な花でした。 人里、山林、谷あいに生育する春植物。 ときに大群落をなす。 雪解けとともに芽を出し、春に鮮やかな青色の花を房状に咲かせる。 夏には地上部が枯れて、秋冬を地下で過ごす。 初夏の風を感じる… 続きを読む
写真 大夕張の桜 -白銀橋に続く道- | 高橋歌子 2011年(平成23年) 明石町からの通りから分かれ、白銀橋に向かう道、この先に橋があった。 当時の写真を見ると、往時には、この辺りには数件の建物がたっていたようだ。… 続きを読む
写真 大夕張の桜-千年町-|高橋歌子 手前、願正寺のミズナラの木と、向こうに咲く桜の木。 千年町の願正寺前からバス道路 『大夕張神社 花見』で、楽しげな春の花見の様子を紹介しましたが、このあたり寺社街の桜は、大夕張の花見の場所としてとりわけ有名だったようです。 大聖寺の住職、萩野宗英氏が、『大夕張-鹿島で暮らした日々』の中で… 続きを読む
写真 鹿島橋とふきのとう 2002年春 木立の間から、鹿島橋が見えた。 足下には、ふきのとうが顔を出す。夏に生い茂るイタドリはまだ伸びていない。 常盤町の鹿島中学校からの帰り道、この辺りは序の口だ。 橋を渡ると、鹿島東小学校、そして千年町の本通り。 まだまだ家は遠かった。 鹿島橋を常盤町側からみる… 続きを読む
写真 大夕張の桜 -神社山遠景- 1997年(平成9年)5月 鹿島小学校グラウンドから いつのころから、誰が呼んだのか、『神社山』。 平坦な丘に続く階段のさきに、大夕張神社があった。 グラウンドから見える場所には、幼稚園や教会の建物があり、テニスコートは、大人だけでなく毎年の中体連でも使われていた。春の運動会には、大勢の父母… 続きを読む
写真 大夕張礦業所跡の桜 1997年5月 大夕張礦業所跡に建物は残されていた。当時は、イサオ製作所の施設として利用されていた。 1997年(平成9年)は、6月に鹿島小学校閉校式が行われた。その年の5月。 大夕張礦業所跡に咲く桜 富士見町から 以前もどこかで、書いたが、この池は、閉山前は池ではなかった。 崖を降りるとここは… 続きを読む
写真 故郷と水仙(スイセン)の記憶 水仙と大夕張 【飯田雅人】 水仙は、春ともなると家々の軒先や庭にあたりまえのように植えられていました。富士見町の住宅は、家と家との間が盛り土で階段状になっていて、そこから染み出る清水で湿っていて、そこここに咲いていたのです。積もった雪が少なくなるとその下からつぼみが雪を持ち上げ、黄色い花を咲かす様は… 続きを読む
写真 消火栓とふきのとう2|高橋歌子 土の上に顔を出したふきのとう 2011年5月15日 鹿島東小学校グラウンド 後ろの山のかたちは かわらない 実際にその場所に立つと当時の気持ちが思い浮かんでわずかな痕跡でもうれしくなってしまいます。雪が積もっている頃もきれいでしたが花が咲くとさみしい感じが薄れて心が暖かくなってきます… 続きを読む
写真 消火栓とふきのとう 1 | 高橋歌子 2011年5月15日 鹿島東小のグラウンドの消火栓とふきのとう 実際にその場所に立つと当時の気持ちが思い浮かんでわずかな痕跡でもうれしくなってしまいます。雪が積もっている頃もきれいでしたが花が咲くとさみしい感じが薄れて心が暖かくなってきます… 続きを読む