訪問記 太古にうもれゆく街 | Toshinori セイタカアワダチソウと秋の青空 2003年 8月17日に、大夕張に行く。 鹿島小学校校庭から周りを見渡すと、ここ4年、5年の間に、随分風景が変わったように感じた。 山は樹木が大きく繁り、住宅の有った平地は、セイタカアワダチ草なのか黄色い花、イタドリなどの雑草に侵略され、持ち込んだ花の種を植え… 続きを読む
訪問記 1997年の街歩き イサオ製作所ゲート前 前回の『1997年の街歩き イサオ製作所』の撮影位置から歩を進めて、ゲートと門の前で撮影した。 当時、記憶では、右手前に見える建物が車庫として使われていて、見慣れた屋根を青く、窓を黄緑に塗られた赤い線の入った三菱鉱業バスが放置されていた状態でおかれていた。 その後、有志達の手に寄って、保存活動… 続きを読む
訪問記 1997年の街歩き イサオ製作所 さて、写真は1997年の大夕張に戻る・・・。 写真は『大夕張礦業所機械工場の思い出』で使用したもの。 Kawauchiさんが書いているように、ゲートから内側は、事務所や工場地帯が広がる炭砿の事業地だった。 三菱マークもそのままに、面影を残す建物は、ピアノ板を作る工場になった。 住民立ち退きを… 続きを読む
訪問記 1997年の街歩き 富士見町6丁目坂の上から炭山方面 富士見町6丁目の坂を下ると、坂道の上り口の手すりが見えてきた。 正面は大夕張炭山駅前、手すりは見にくいが、炭山駅前の沢を埋める溜池だ。 昔の道路下の暗渠がこのあたりにあった。 下草の生い茂るこの写真には、見えるはずの炭山駅の駅舎が移っていない。 そう思ってあらためてチェックしてみると、以前掲載し… 続きを読む
訪問記 1997年の街歩き 富士見町6丁目から5丁目方面 富士見町6丁目方面から南側。5丁目方向。 言葉をかえると砿業所方向を背に、鹿島小学校方面をみたところといえるだろうか。 手前の跡がかつての道跡、木立の向こうが住宅地であったのだろう。 ふと5丁目から6丁目にかけての坂道を汗をかきながら自転車で駆け登ってきた自分の姿や、『ろうそくちょーだい』… 続きを読む
訪問記 1997年の街歩き 富士見町6丁目の坂道から これは下草も茂らない5月頃の撮影。 おそらく富士見町6丁目の坂の上をしばらく登ってそこから下の方を見た景色と思われるが、20年以上前、GPSもない手持ちのフィルムカメラで撮影したものなので記憶にたよざらるを得ない・・・。 だが、この時は6丁目の坂道を中心に写真をとっていたので、そのあたりであることは… 続きを読む
訪問記 1997年の街歩き 富士見町6丁目の坂道を登って 前回場所、砿業所・炭砿病院の方面から富士見町6丁目の坂道の跡は残っていたので、少し登って山の方をみた。 写真でみると坂道のような傾斜は見えないが、いろいろな方が書いているようにけっこうば急な坂道である。 尚、この写真は、夏に訪れた時の坂道である。 5月に訪れた時とは違って、うっそうと下草が木々の… 続きを読む
訪問記 1997年の街歩き 富士見町6丁目の坂道 大夕張炭山駅から沢を挟んで富士見町方面に登る坂がある。 『婦人たちの行進』の記事で、おそらく大夕張炭山駅から撮影した写真にこの6丁目方面への坂道の入り口が写っている。 掲示板が立っていて、通勤の人たちを始め、たくさんの人々が行き来した道だっただろう。 EZONORAさんが書いた思い出の『富士見町6丁… 続きを読む
訪問記 1997年の街歩き 大夕張炭山 駅前から南側 大夕張炭山駅の駅舎から南側方面を見たところ。 左手奥に当時残っていた栄町の住宅が見える。 もっとも往時は炭砿病院が建ち見えなかったはずであり、右手は富士見町の住宅が建ち並んでいた。 草地に見える轍と遠くに見える道路の間を鉄道が走っていたという構図になるだろう。 この先の富士見町4丁目のブロックの… 続きを読む
訪問記 1997年の街歩き 大夕張炭山駅駅舎 1997年 故郷を訪ねての街歩きは、残っていた大夕張炭山駅の駅舎の場所から始った。 そこは、自分が知る大夕張の街の出発点で、この先の営林署や工場地帯の建ち並ぶ「官行」との境目にあたる場所だった。 周辺の草地には線路が通っていた痕跡などみじんもなく、壁も剥がれ落ちていた。 真新しいペンキで塗ら… 続きを読む
訪問記 1997年の街歩き 大夕張炭山駅 駅前 1997年の5月に大夕張を久しぶりに訪問した。 それまでにしばしば生れ故郷の大夕張を訪ねて歩いたことはあった。 しかし過疎が進むとはいえ、住民の方々も居て、親戚や知人もすでにない自分はどことなく懐かしさの反面、よそ者のような居心地の悪さと居心地の悪さと、心地よさがが同居したような、一言では言えない妙… 続きを読む
訪問記 緑町1丁目の石壁 2002年 緑町は駅前の詰所を1丁目1番地とすると、そこから東は弥生町、南は、宝沢の方に伸びていた。 駅前から、道路は、埋め立てられた宝沢を底にゆるやか1ちょうな窪地になって宝町方面へ向かう。 その道路沿いに商店街が並び、戦後は、岳富町と呼ばれていた。 緑町の住宅地は、緩やかに傾斜する岳富町の商店街… 続きを読む
訪問記 雪の中の慰霊碑 千年町 2002年1月。 誰もいなくなったまちに残った大きくて立派な戦没者慰霊碑。 かつての千年町に、山側の寺社街、表通りに面してたっていた。 深い雪が行く手を阻み、慰霊碑に近くづくには、腰の高さまで積った雪をこいでいかなくてはならないだろう。 この時期、誰かが訪れた様子もなく、ひっそりと… 続きを読む
訪問記 雪原の標語塔 2002年の冬、宝町。 深い雪に埋れる1月の大夕張。 この時、白い雪を被ったダム工事のための土砂の山が町のあちらこちらにできていた。 その中に、大夕張に残されていた生活の証の一つである標語塔が青い空を背景に屹然と立っていた。 左が岳富町、右に行くと千年町。 道路の岳富町側にやや下った… 続きを読む
訪問記 秋枯れの街へ おわり 最後にやや遠目の視点から写真をとった。 おそらく再び来た時には、この美しい景色を、またここから撮影することだろう。 これからもずっと・・・。 祖父母も父や母も叔父・叔母、その他、大夕張に住んだ親戚友人達が総じて目にしてきた山々。 この景色を受け入れながら、今は水面の下の、原始の森に還… 続きを読む
訪問記 秋枯れの街へ その13 水没していない大夕張。 手つかずの荒れ地。伸び放題の枝。 かつての風景を想像はすることもかなりの努力が必要だ。 神社下から夕張岳の時でさえ、その時間経過に少なからず戸惑いがあった。その時見えていたあの夕張岳ですらここから探すのは困難だ。 ここはかつてテニスコートあった土手の東北角、鹿… 続きを読む
訪問記 秋枯れの街へ その12 宝沢の築堤跡 『秋枯れの街へ その8 宝沢』の築堤部分をズームアップして撮影した写真。 2023年11月21日 2022年10月の宝沢 https://ooyubari.com/2022/10/24/izumikofuso/… 続きを読む
訪問記 秋枯れの街へ その11 『秋枯れの街へ その10』と同じ場所から。 遠く白金地区と新白銀橋。 こちらの手前には明石町郊外で分岐した道が白銀橋(旧)へ続き開拓と向かっていた。 目の前には白銀橋(旧)が沈んでいる。 2023年11月21日 白銀橋を渡った先からこちら側を撮影した水没前の写真 https://ooyuba… 続きを読む
訪問記 秋枯れの街へ その10 秋枯れの『街』へ・・かつて、街の名残り? かつて明石町の住宅が途切れた先に白銀橋に向かう道路と湖畔を進む道路が分岐した、そのあたり。 2023年11月21日 下のMapを見ると、その分岐した道路もここでは湖面の下のようだ。 その上を走っていた鉄道跡までも・・・。 ここに見えているの… 続きを読む
訪問記 秋枯れの街へ その9 夕張岳と白銀橋 白く雪化粧の夕張岳と晩秋の山々と湖。 心穏やかに時間の流れが止まる。 ・・・この『新しくできた』美しい景色を前に、何某かの思い出を紡ぐことはできるだろうか。 答えは人それぞれなのだろう。 2023年11月21日 若い時から何度も足を運んだ故郷。 何かしらの力に引き寄せられる… 続きを読む