山史 第4編 営業成績 第6章 沿線炭鉱 第7章 主要荷主別後払契約 第8章 鉄道営業収入表 第6章 沿線炭鉱 年度別北菱香取坑黒江(微粉炭)南部炭北菱遠幌砿北夕炭砿北菱鹿島炭砿計 32.2送炭開始29.11送炭開始24.6送炭開始23.1送炭開始24.9送炭開始28.3送炭開始 37.2送炭終了 30.3送炭終了29.11送炭終了 22 2,010 2,01023 23,4… 続きを読む
運んだ、石炭を人を フジキ式 石炭ストーブ 昭和62年 さよなら列車直前のだるまストーブです。 この石炭ストーブは、昭和62年に三菱石炭鉱業鉄道が廃止になってからも、南大夕張に置かれていた列車内にあります。 この石炭ストーブは昭和51年の春から登場した「フジキ式」と呼ばれるもので、蒸気機関車時代に活躍したダルマストーブは「たこストーブ」… 続きを読む
思い出の街角 し尿処理場越しに鹿島中学校 昭和45年頃。昭和43年白銀橋が落橋した際、鹿島中学校の裏の方を通って開拓に向かう道路が建設されました。手前中央が、し尿処理場、その向こうに鹿島中学校、2階建校舎が写っています。… 続きを読む
昭和 1966年(昭和41年) 1月 23日,「奥鹿島分校の歌」制定。 31日,夕交タクシー札幌太平交通株式会社に買収。 鹿島消防団、夕張消防団とともに、北海道知事から竿頭綬授与。3月 10日,夕張東高校郷土研究部機関誌『シューパロ』No.2~特集 夕張川流域の遺跡~発刊。 鹿島消防団、夕張消防団とともに、消防庁長官から表彰旗授与… 続きを読む
随想 文集『ヤマの子』|高橋 歌子 昨日、実家の押入れを整理していましたら、東小学校時代の卒業文集と「ヤマの子」と題する文集が三冊出てきました。 これは小学5~6年に担任だった吉田要作先生がまとめたものです。 B4判の茶色の紙にガリ版で印刷され、まるで活字を使ったかのようにきれいで丁寧な字で埋められています。 「ヤマの子」は夏… 続きを読む
訪問記 美鉄バス 大夕張最後の日|坂井郁夫 平成9年10月のバス営業所と美鉄バス 札幌線が廃止になってから、大夕張には2台のバスがありました。 平成9年(1997年)11月30日。当日は2台とも室内に装飾(1台は窓ガラスにサヨナラメッセージ)が施され、なんとなんと、全便2台連行で、しかも無料でした。 大夕張発イベントは、15:36発、夕… 続きを読む
思い出ばなし 羆に脅かされ羆に助けられた話|ふぉんていん はじめまして、匿名にて失礼します。小生、緑町で生を受け(産婆さんは池田さんと仰る方です)、東高卒業まで大夕張に在住しておりました。 「大夕張掲示板」に邂逅し、望郷の念で筆を執らせてもらいました。 昭和四十年代前半だったと思いますが、シューパロ湖畔で飼われていた羆が脱走したことがありました。ハンタ… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 鉄道切り替え工事 昭和30年代、二股ダム(大夕張ダム)建設にあたり、鉄道の山側への切り替え工事が行われていました。下に見えるのは、鉄橋のあとだろうか。 山史に移設工事の記述があります。 https://ooyubari.com/2020/04/18/yamasi-8/… 続きを読む
本棚 わたしたちのゆうばり(昭和38年・昭和44年) 昭和38年版(復刻)昭和44年版わたしたちのゆうばり 【書 名】 郷土読本 わたしたちのゆうばり 【発 行】 夕張市教育研究所 【本の紹介】 『ちょうどその時,古い形をしたきゃくしゃが入ってきました。(中略)「大夕張てつ道だ。鹿島へ行く汽車だよ。」』で始まる大夕張地区の紹介。 小学校の社会科… 続きを読む
思い出の街角 大夕張駅前通り 大夕張駅前から弥生町、春日町方面。左手前から郵便局、ガソリンスタンド、吉井薬局…、池田食堂などの商店街が、協和会館まで続いていました。人通りも多く賑やかな様子が伝わる貴重なカラー写真です。 右手には、呉服屋、大夕張生協などがありました。 何軒かの飲み屋さん。残念ながら、少年期の自分には無縁の世… 続きを読む
訪問記 1998年12月 大夕張冬景色|長谷川潤一 ●は撮影地点 山の冬景色(官行)栄町から冬のズリ山大夕張駅前歩道橋大夕張神社雪の鹿島小校庭岳富町千年町常盤町白金明石町方面98年 大夕張冬景色 (撮影:1998年12月30日) 本当に誰もいない大夕張の冬になりました。いったい、あのポストに手紙を出すのは誰?・・・・。 風にのって降ってくる雪の音が聴… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 昭和56年 遠幌駅 昭和56年11月 遠幌駅 【奥山道紀】 2000年03月28日(火)21時29分36秒 遠幌駅の建物は他の駅と異なり北炭からの寄贈でした。 いまでも駅跡の近くに残る休園中の「遠幌保育園」の建物は 旧北炭遠幌炭鉱の事務所であり、周囲の住之江町や岳見町も 北炭の炭住街でした。 遠… 続きを読む
交通関係 三菱大夕張鉄道 社内乗車券 有効期限:昭和48年4月1日~昭和48年9月30日まで 12枚綴り:(1)~(12) 従業員に配布されていた乗車券。 同じく、栄町で配布されたもの https://ooyubari.com/2020/08/08/jyosyaken/… 続きを読む
訪問記 大夕張の樹木 1999年(平成11年)10月24日、シューパロ塾主催の『樹木説明会に参加しました。「道立林業試験場」の北川建雄さんのお話を聞きながら大夕張をまわりました。その時のお話からです。 開通したばかりの道東道を夕張ICまで。北広島を過ぎ、追分を過ぎる。 上下一車線とはいえ、車の流れもスムーズで札幌を… 続きを読む
訪問記 2004年 8月の大夕張|桂 旧南大夕張駅シューパロ湖と三弦橋白銀橋白銀橋より白銀橋 空旭沢橋梁鹿島小学校 跡地鹿島小グラウンドイタヤカエデ前岳街の跡 街の跡②2004年(平成16年) 8月の大夕張… 続きを読む
思い出の街角 礦業所所長宅前 山神祭 昭和44年 6月 富士見町3丁目。鉱業所所長宅前。当時は、望月所長だったでしょうか。 正面の建物は礦業所の倶楽部。右手に木々がこんもりと繁るところは、倶楽部の庭にあたります。蓮の花が咲く池や、手入れの行き届いた芝生があり、板塀が張り巡らされていました。下の隙間から良くのぞき込んでいた覚えがありま… 続きを読む
映像 昭和48年 SLさよなら列車 昭和48年12月、三菱大夕張炭鉱は、三菱高島炭礦と合併し、三菱石炭鉱業株式会社としてスタート。南大夕張-大夕張炭山間の区間は役割を終え、廃止されることになりました。16日、大夕張炭山~南大夕張駅間9.6km部分廃止され、28日,清水沢-南大夕張間で、「SLさよなら列車」が運行されました。 4分弱… 続きを読む