青春のうた 青春のうた■第一楽章 ■『中国娘』 テクノ|久々湊眞一 あなたの青春の歌は、何でしょうか。人それぞれで、色々あると思います。私の場合を、そっと開けてみましょう。 ■第一楽章 ■『中国娘』 テクノ(演奏時間 3分07秒) 私が子供の頃、近所に朝鮮や中国の人がいたが、いつのまにか いなくなった。 … 続きを読む
思い出の街角 昭和32年 大夕張駅 見送り風景2 昭和32年4月大夕張駅 見送り風景 集団就職列車 【泊川俊徳】(2007/07/09(Mon) 09:49) 昭和42年 春 自分が中学2年が終り これから3年に成る春休み。 集団就職列車最後の運行。 金の卵と言われ 高度成長の中 中卒者の就職者が高校卒に変わりつつ有り… 続きを読む
思い出の街角 昭和48年 大夕張駅 昭和48年閉山の年の大夕張駅とホーム、鹿島小学校グラウンドから。 汽車通の朝 【斎藤 敏幸】 (平成9年9月29日) 私が、東高へ通学するには、「汽車」か「自転車」を利用していました。 私を含めほとんどの東高の生徒は、この駅にお世話になったと思います。 「通学列車」の発車時刻は、7時20分頃だっ… 続きを読む
消える街からの伝言2 消える町からの伝言2■第五楽章■ 『大夕張鉄道』 ブギウギ|久々湊眞一 大夕張が最盛期だった「1960年」代、街には様々な歌が溢れていました。当時の音楽をイメージしてみましょう。あなたは、何を思い出すでしょうか。 ■第五楽章■『大夕張鉄道』 ブギウギ(演奏時間2分45秒 ) ブギウギのリズムは、SLのドラフト音に似ている。鉄道保存会に謹呈。 … 続きを読む
思い出の街角 新雪の朝(千年町駅) 昭和38年頃、千年町駅構内を行くラッセル。午前の太陽が新雪の上に長く影を延ばす。朝静かに積もった雪は,それまでの黒い煤に汚れた雪を覆い街を別世界にするのです。… 続きを読む
思い出の街角 昭和18年 宝沢を行く列車 昭和18年、7号の沢と言われた宝沢にかかる鉄橋を行く列車。最後部の車両は出征兵士の見送り。昭和19年築堤化された。 道路側から見た鉄橋。この辺りは戦後バラックの貸本屋・のみ屋・飲食店などが数10軒道路の両側に立ち並びにぎわい、道路改修の為強制的に岳富町と駅前商店街の向かい側に移る。 &… 続きを読む
消える街からの伝言2 消える街からの伝言2■第四楽章■ 『校内マラソン大会』 ビートルズ 大夕張が最盛期だった「1960年代」街には様々な歌が溢れていました。当時の音楽をイメージしてみましょう。あなたは何を思い出すでしょうか。 ■第四楽章■『校内マラソン大会』 ビートルズ(演奏時間1分57秒) オブラディ・オブラダのテンポで走った。爆走した人、完走した人、歩いた人。 … 続きを読む
昭和 1944年(昭和19年) 3月 1日,大夕張鉄道旅客運賃改正。旅客賃率1銭6厘。大夕張~新清水沢間26銭。 4月 1日,省線の運賃改正に合わせ大夕張鉄道旅客運賃改正。粁当賃率2銭5厘。大夕張~清水沢間40銭。 4日,北部人車卸で落盤死者8人 6月 22日,南卸でガス爆発死者13人,負傷者31人。 7月 20日,鹿島国民学校第… 続きを読む
思い出貼 労働組合の大会(協和会館) 昭和40年頃 炭労の大会。 協和会館 【飯田雅人】 私の小中学生の頃の記憶の協和會館は怪獣映画と植木等のサラリーマン映画,森繁の喜劇映画という映画の思い出そのものですが,様々な行事や催しがここで行われていました。 組合の各種大会,芸能人のショー,中学校の合唱団のコンサート等々の催事。 … 続きを読む
2丁目3番地 おかげさまで『ふるさと大夕張2丁目3番地』1ヶ月、いつもありがとうございます。 2月1日より開始した、『2丁目3番地』ですが、今日3月1日で1ヶ月が経ちました。おかげさまで作業は大きなトラブルもなく、順調です。 投稿した記事も350を超えましたが、まだまだ1丁目1番地の山は大きく、三分の一程にもなっていないような気がします。 ここまでを振り返ると、いくつか書き留めておくべき点も… 続きを読む
消える街からの伝言2 消える街からの伝言2■第三楽章■『雪のシューパロ』 スプート二クス|久々湊眞一 大夕張が最盛期だった「1960年代」街には様々な歌が溢れていました。当時の音楽をイメージしてみましょう。あなたは何を思い出すでしょうか。 ■第三楽章■『雪のシューパロ』 スプート二クス(演奏時間2分11秒) スプート二クスは大夕張の雰囲気とマッチする。ロシア民謡が入っていた。 &nbs… 続きを読む
消える街からの伝言2 消える街からの伝言2■第二楽章■『エレキがやってきた』 ベンチャーズ|久々湊眞一 大夕張が最盛期だった「1960年代」街には様々な歌が溢れていました。当時の音楽をイメージしてみましょう。あなたは何を思い出すでしょうか。 ■第二楽章■『エレキがやってきた』 ベンチャーズ(演奏時間1分54秒) みんながコピーした、バンドの原点。夕張東高校文化祭の定番でしたね。学校祭… 続きを読む
消える街からの伝言2 消える街からの伝言2■第一楽章 ■『消える街のテーマ』 フォークソング|久々湊眞一 大夕張が最盛期だった「1960年代」街には様々な歌が溢れていました。当時の音楽をイメージしてみましょう。あなたは何を思い出しますか。 ■第一楽章 ■『消える街のテーマ』 フォークソング(演奏時間 3分39秒) 大夕張のイメージをフォーク風流行歌で表現。懐かしく、優しく、哀しい。 &nb… 続きを読む
消える街からの伝言 消える町からの伝言■第五楽章■木もれ日(鹿島中跡)| 久々湊眞一 何も無くなった鹿島小グラウンドでは、風のつぶやきが聞こえた。笹藪に埋もれたシューパロ湖の淵では、鎮魂曲が流れた。私の原点、大夕張が消える。嗚呼。 ■第五楽章■ 木もれ日(鹿島中跡)(演奏時間1分56秒) 林から洩れる夕暮光の中でフォークダンスのメロディを思い出した。。。 … 続きを読む
思い出貼 八百五十の思い出 昭和30年、八百五十のゲレンデ。 八百五十の思い出 【斎藤敏幸】 (1998年02月27日(金)17時58分42秒) 八百五十へは、冬スキーを履きながら父によく連れられて行きました。 富士見町のスキー場から、大夕張神社まで登り切り、浄水場の横を通り抜け、沢伝いに少し下り、後は平坦な道… 続きを読む
楽しかった日々 八百五十スキー遠足 AIによる着色を施しています 昭和37~38年頃のスキー遠足 【花田勝則】 セピア色しと化した写真をデジタル処理して焼いた複製写真ですが、送らせていただきます。 小学校3~4年生だったでしょうか。冬は持っていった弁当を教室のストーブのしたに置き、昼に温まったのを食べていたものでした。 八百五十へいく… 続きを読む
随想 惜別の町 | 小倉芳子 「大夕張にお別れをしに行って来たの」と突然友人からの電話。 夜になっても変わらない暑さに、だらりとしていた全身の神経が一瞬引きしまり、私も行きたい!と思 わず心の中で叫んだ。 九ヶ月の長男を抱いて私たちが彼の地へ足を踏み入れたのは昭和29年8月だっ た。 東北本線、青函連絡船、函館本線、室蘭… 続きを読む
交通関係 夕張バス | 大夕張線開通記念乗車券 昭和37年10月に大夕張と南部との間の道路が完成し清水沢-大夕張の間が陸路でつながり、三菱バスの路線と共に夕張バスが夕張-大夕張間の路線を開設。その時の開通記念乗車券。乗車券は使用済み。三弦橋を背景に水上スキーが走る図柄は当時目にしたなじみのもの。… 続きを読む
思い出の街角 八百五十からの遠望 2003年3月。大夕張神社の裏から尾根伝いにここまでくると,幅の広い斜面が開けた。このあたりはかつてヒュッテがあった。左に芦別岳,右に夕張岳,さらに右手遠くには日高の山並みが見えた。… 続きを読む