思い出の街角 坂道 曲がりくねった川と山の間にできたいくつもの河岸段丘。 その上のわずかな平地にできた住宅地を行き来するため、大夕張には橋と坂道が多かった。 春日町と弥生町を結ぶ坂、宝町と緑町を結ぶ坂、常盤町と明石町を結ぶ坂、駅から高校に向かう間の坂道・・・短い坂、長い坂道など思い出していくと、数限りなくわいて出て… 続きを読む
訪問記 秋枯れの街へ その6 午後1時の太陽 時計を見た。 場所は『旧鹿島小学校グラウンド跡地』入り口。 太陽は西の山の陰に隠れようとしていた。 まだ午後1時になったばかりだった。 ここは、かつて山神社への参道入り口、鳥居が立っていたところ。 ふりかえると、今もまだ写真のようにくの字になった坂道が残っている。 11月から… 続きを読む
街の行事 坂道を春日町から弥生町へ登る山神祭神輿 その2 この神輿の先頭を行くのは、『坂道を春日町から弥生町へ登る山神祭神輿』の写真。 神輿のあとに馬に乗った神主さんのような人物が続く。 『ふるさと大夕張2丁目3番地』で紹介している写真や動画の中にも、山神祭の行列の中に馬が登場してくるが、そもそも子どもの頃から今までどんな隊列を組んで行列していたかなど… 続きを読む
楽しかった日々 常盤町を背に|遠藤義博 私は昭和27年(1952年)産まれです。 子供の頃、常盤町に住んでました。 昭和55年に千歳市に住んでいて、鹿島中学校まで家族でドライブに。校舎も取り壊されグラウンドで、フキ採りをしたのが大夕張の最後の思い出です。その時は、大夕張が水没するとは思っていなくて、今考えると残念です。 今… 続きを読む
思い出の街角 共栄橋 先日の高橋さんの「続大夕張つれづれ#150『蒲の穂』の中に、明石町から、開拓・桜ヶ丘の方に向かう時、通った坂道と揺れる吊橋の話があった。明石町と開拓を結ぶ白銀橋ができる前のことである。 それによると、この揺れる吊り橋は、明石町側の坂道を下り、吊り橋を渡り、そして坂道を上って小林さんの畑のそばの… 続きを読む
思い出の街角 神社に上る道 あの日、あの頃 何度となく上った道、 そしてその後も 何度も上がることになった道 もちろん上がった分だけ、下ることになるのだが・・・。 上がるときの高揚したわくわく感と期待感も、下るときには駆け足で、心はすでに次の目的に向かっている。 そんなものごとの始まりと終わりという過程を教… 続きを読む
思い出の街角 代々木町から春日町へ -直心の坂- 大夕張駅前から駅前通りを緩やかに下り、そこから春日町に行くには、大きくいうと二つの方法があった。 弥生町側から入ると春日南、代々木町側から入ると春日北にでた。 下の地図に書き込んだのはその道である。弥生町側にはさらに二つの道がある。 小学生の頃、春日町の同級生のところに遊びに出か… 続きを読む
学び舎の思い出 どこに行っても忘れないもの【坂道】 当時の夕張東高定時制の生徒達が作成した文章がある。 夕張東高校20年誌『シューパロ』(昭和47年10月)に掲載されたもの。 おそらく、以前『学び舎に思う』で紹介した、『鹿島のあゆみ』掲載の詩の原作がこれだと思われる。 どこに行っても忘れないもの と題して、 ■坂道 ■机 ■線路 の… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 道玄坂の思い出 その1| 高橋正朝 #123 前回投稿した、『続・大夕張つれづれ # 122 〘 ハチ公前広場の噴水 〙』に、飯田さんが、イラストを添付して掲載してくれました。 これは、私にとっては懐かしい風景です。 一部を誇張や省略したイラストで、私が海外に行く前の2年間働いていたビルが描かれている。 このイラスト… 続きを読む
街の行事 坂道を春日町から弥生町へ登る山神祭神輿 春日町から弥生町に登ってくる神輿を弥生町の崖の上から撮影した写真。 散歩道の地図と比べてみると、坂のこちら側は、弥生町3丁目。向こう側は、4丁目ということになるのだろうか。 崖の下はすぐ春日町の炭住が建ち並ぶ。 駅前の通りの先を右手に曲がって、弥生町3丁目と4丁目の間をくだっていく坂道、… 続きを読む
思い出の街角 高校への坂道 夕張東高校閉校記念誌『岳窓』(昭和58年閉校)より昭和57年(1982年)12月撮影とある。 写真のタイトルには、『バス通りから校舎を眺む』とある。 この写真では写っているかどうかはっきりしないが、目線の先の高台には白い高校校舎が見えていたことだろう。 鉄道跡はサイクリングロードとなり、… 続きを読む
思い出ばなし 富士見町6丁目の坂|EZONORA 鹿島小学校を背にして、ほぼまっすぐの道路を進んで、どんづまりから少し下ったところの富士見町6丁目に住んでいたことがあります。 思いつくことといえば、鉱業所に勤務していた方だと推測しますが、大変太った方が、退社の時間になると、自力では坂道を登ることが無理があったのか、いつも同僚らしき人のズ… 続きを読む
思い出の街角 直心の坂 春 昭和35年頃 崖の上に見える建物は代々木町のあたり。 後ろの山にも雪がまだ残り、この時期雪はとけても、山を越えてまちに吹き込む風はとても冷たかった。 白黒写真に着色した画像 この坂(崖)は、冬はスキーのジャンプにそり遊びに、そして、代々木町と春日町を結ぶ大事な生活道路だった… 続きを読む
思い出の街角 昭和35年 鹿島小学校 大夕張神社に登る坂道で途中息が切れて、苦しくなると、必ず休むのが一つの目の曲がり角。 その昔は、そこから上に登る道があって、もう一つ神社があったらしい。むかし「乃木神社」、時代が下って「おばけ神社」と呼ばれていたというはなしもある。(それぞれ、”乃木神社” ”おばけ神社” で検索すると関係の文章がで… 続きを読む
街の行事 山神祭 春日町の坂 昭和40年代 春日町 白黒写真に着色した画像 春日町詰所横の広場で御輿出発前の様子 春日町の坂下 【飯田雅人】 大夕張の6月の山神社の祭り。この写真は特に私にとって春日町の印象をよく伝えます。 駅前通りをまっすぐ進んで行き当たる後ろの高台から、下に急な細い坂。斜面に被われ雑草に囲まれた小道… 続きを読む
思い出の街角 岳富町の坂 (緑町から岳富町方面) 昭和48年頃、岳富町方面。 ここは、かつて宝沢と呼ばれる沢地だった。 父母の年代は、岳富町と呼ぶより、『たからざわ(宝沢)』と呼ぶ方がしっくりしていただろう。 昭和40年代、少年たちが自転車にのって、町を走り出した頃、駅前から千年町方面にいくには、この坂道を風をきってとばしていた。車は滅多に通… 続きを読む
思い出の街角 春日町住宅から坂の上の代々木町 昭和35年頃 春日町の北側の住宅地の一角だろうか。軒先で遊ぶ子は、兄弟なのか、ご近所さんなのか。年の離れた中学生と小学生のようです。そしてそれを見守る煙草をくわえているような姿のおじさん。 ご近所同士、兄弟を入れて、自然に、年齢の離れた小集団を組んで遊んでいたものでした。 よく見えませんが、何… 続きを読む
思い出の街角 明石町 教員住宅前の坂道 昭和43年明石町 教員住宅前。春先の雪解けの頃。 道路に両脇に積み上げられた雪が、冬の間投げ捨てられた「せきたんがら」とともに溶け出し、道路にきざんんだ溝を流れていく。坂が多かったまちのそんな春の光景が目に浮かぶ。 踏切を渡って東高にのぼる坂道の右手に続く住宅。坂の中程には、赤く塗られた火… 続きを読む
思い出の街角 崖のジャンプ台-春日町 直心の坂- 昭和35年頃 代々木町から春日町にかけての坂道を利用したジャンプ台 崖のジャンプ台。 今さんのアルバムから掲載させていただいている写真の中の一枚。『崖のジャンプ台』は、春日町の詰所裏のジャンプ台の写真ではないでしょうか。 これまで話に聞いていたジャンプ台が写った写真と思われます。 昭和30年代こ… 続きを読む
学び舎の思い出 夕張東高校 登校風景 冬のある日の登校風景です。高台の高校に坂道を登ります。 昭和47年発行夕張東高等学校20周年記念誌『シューパロ』より 「昭和42年~昭和46年」とあります。 … 続きを読む