思い出の街角 道路開通記念碑 昭和48年 シューパロ湖畔。道路開通記念碑を背に。 昭和37年、10月、大夕張~南部間の道路が開通し、清水沢と大夕張の間がようやく結ばれた。 それまで、他の街にでるには石炭列車による輸送しかなかった住民にとっては、ようやく陸の孤島を脱したのでした。 それを祝い、記念して、10月6日道路開通記念碑の除… 続きを読む
思い出の街角 昭和48年 湖畔亭と小公園 昭和48年 湖畔亭と小公園 シューパロ湖 【乗田 功一】 97.9.12 整備された美しい公園。 オリに中になぜか犬と猿(だったかな?)が同居している。 鎖に繋がれた小熊が1頭。「湖畔亭」のカレーライス。 湖面には希有な赤いトラス鉄橋(三弦橋)。道路開通記念碑。 大きな樽形のバンガロー。絵に描… 続きを読む
思い出の街角 昭和48年 大夕張神社境内から浄水場 昭和48年、昆虫採集だろうか、虫かごをもった子どもたちの姿がみえる。写真を拡大してみると、自分もこの場所に立っているような錯覚をする。 … 続きを読む
思い出の街角 昭和48年 大夕張駅 昭和48年閉山の年の大夕張駅とホーム、鹿島小学校グラウンドから。 汽車通の朝 【斎藤 敏幸】 (平成9年9月29日) 私が、東高へ通学するには、「汽車」か「自転車」を利用していました。 私を含めほとんどの東高の生徒は、この駅にお世話になったと思います。 「通学列車」の発車時刻は、7時20分頃だっ… 続きを読む
学び舎の思い出 鹿島小学校グラウンドと門柱 巨大な校舎と巨大な2つの門柱。ここにはその右側の門柱が見えています。『昭和十年七月建設』の文字が歴史を伝えます。写真を拡大してみると,東側の通用門もみることができます。最盛期には2656名の児童数を誇ったヤマの小学校の閉山の年の姿です。 昭和48年鹿島小学校(写真クリックで拡大) 鹿島小学校【斎藤 … 続きを読む
岳麓の里 岳麓の里 序 【岳麓の里】 大夕張は,旧国鉄清水沢駅から17.5キロ,夕張岳に向かった山峡にあった。かつては途中に高さ20メートルの鉄橋が8つもあり,住民は時速17キロの汽車に揺られ,景色を眺めながら乗っていた。夕張北高に通っていた生徒の中には,勾配1000分の16.7(1000メートルで16.7メートル上る)の… 続きを読む