商店街

大夕張生協 1997  思い出の街角

大夕張生協 1997 

 『CO-OP 大夕張生協』の建物に大きく書かれた文字。  さすがに何度も塗替えられてきただろうけれど、古くなっていたとはいえ、往時と比べても建物自体の雰囲気は変わっていなかった。    昭和28年に店舗6坪で発足した生協が発展をとげ、昭和36年(1961年)10月に敷地面積を314坪に広げたその際…
大夕張のまち その8 1997 栄町商店街を北側から 思い出の街角

大夕張のまち その8 1997 栄町商店街を北側から

  『大夕張のまち その7 1997 大夕張銀座と呼ばれた商店街』の写真の左側奥に、青い屋根をした建物が見える。  そこから反対側(南側)に向かっての写真。   青い屋根をしたその建物が、かつての理容パーマ『フレンド』の建物で、商店街の北の端にあたり、『まち』の終わりだった。      ここでは、右…
大夕張のまち その7 1997 大夕張銀座と呼ばれた商店街 思い出の街角

大夕張のまち その7 1997 大夕張銀座と呼ばれた商店街

   おとな達のあいだで、ここ駅前から栄町の商店街が大夕張銀座と呼ばれていたことを知ったのは、佐藤貞雄さんの『大夕張10景(9)駅前銀座』(岳麓の里)を読んでからだった。    自分自身の周囲の子どもたちや大人達の口から大夕張銀座と言葉を聞いたことがなかったような気がする。  商店街の方に行く時には…
昭和26年頃 メーデー 大夕張駅前 街の行事

昭和26年頃 メーデー 大夕張駅前

  昭和26年頃、大夕張駅前のメーデーの様子。    左に三菱購買会,その奥に健保会館が見えている。  大夕張郵便局の辺りから撮影されたそうだ。    大夕張銀座とよばれた駅前の栄町商店街のメインストリート。昭和20年代は私の知る昭和40年頃と比べて,ずいぶん印象が違う。そもそも購買会は昭和30年代…
岳富町商店街と「しがい」 思い出の街角

岳富町商店街と「しがい」

「しがい」とよんでいた千年町。 その千年町と大夕張駅方面を結ぶ岳富町。昔の人は宝沢と呼んだ。 千年町との往来には、この沢を埋め立てた道を歩いた。 戦後鉄道の築堤沿い建ったバラックの商店は昭和30年代立派な商店街となり、「岳富町」となった。 千年町方面のことを、子どもの頃「しがい」と呼んでいた。 千年…
昭和48年 スナック『しのぶ』と味の店『はるみ』 炭鉱とともに

昭和48年 スナック『しのぶ』と味の店『はるみ』

この年、1973年(昭和48年)4月19日に会社から閉山提案。 世帯数3246のうち、商店、2百数十世帯が、炭鉱とともに生活してきた。 町全体の存亡の危機の中、商店も5月28日に行なわれた炭労のゼネストに参加したという。 閉山阻止の運動もむなしく、8月大夕張炭鉱は閉山となった。   写真は、岳富町商…
昭和30年代 千年町商店街 思い出の街角

昭和30年代 千年町商店街

あまり画質は、よくないけれど、昭和30年代の千年町の写真は 自分的には貴重なので、掲載していくことに。   TVの映像からスキャンしたもので、当然ながらオリジナルの画像はもっと鮮明でしょう。   千年町のスズラン型の街路灯が、昭和30年代の千年町商店街らしい。   「千年町バス通り」(富田商店・割烹…
千年町商店街 風船行列 街の行事

千年町商店街 風船行列

 昭和38年頃、山神祭。  子どもたちがこんなに大勢集まっている姿、今は都会でも、地域の中でこんな姿はまったく見ることができない。  手に手に色とりどりの風船や、紙の小旗を手にパレードを繰り広げている。山神社の幟がたち、山神祭関連の行事のようだ。白シャツに白のトレパン姿の男の子がいて、当時の服装を思…
千年町バス通り(富田商店・割烹スミレ・ 井若たばこ屋) 思い出の街角

千年町バス通り(富田商店・割烹スミレ・ 井若たばこ屋)

 昭和38年 千年町のバス通り。まだ雪の名残の残る頃。  場所的には、相馬屋旅館の向かい側といえばいいだろうか。右に行くと、千年町駅、願正寺方面、左に行けば鹿島東小学校方面である。    3軒商店が見える。  右は、『井若たばこ屋』  「たばこ」、「煙草小売所」などの懐かしい看板が目につく。窓のショ…
大夕張生協 思い出の街角

大夕張生協

 昭和48年閉山の夏。  閉山直後に撮影された写真は、『ふるさと大夕張』に掲載されていたが、これらの写真は、鹿島小学校郷土室にあった写真。  郷土室にあったそれらの写真の説明では、『閉山により街の姿が大きく変わることを予想し、記録を留めておくために鹿島小学校の先生が撮影してまわった』と書かれていた。…
岳富町の坂 (緑町から岳富町方面) 思い出の街角

岳富町の坂 (緑町から岳富町方面)

昭和48年頃、岳富町方面。  ここは、かつて宝沢と呼ばれる沢地だった。  父母の年代は、岳富町と呼ぶより、『たからざわ(宝沢)』と呼ぶ方がしっくりしていただろう。  昭和40年代、少年たちが自転車にのって、町を走り出した頃、駅前から千年町方面にいくには、この坂道を風をきってとばしていた。車は滅多に通…
駅前商店街から大夕張駅 思い出の街角

駅前商店街から大夕張駅

 昭和45年から閉山の頃にかけての撮影のようだ。  昭和45年頃、大夕張生活協同組合と鹿島旅館との間の道路中央に立って大夕張駅を正面に見ている写真。  写真を大きくして、看板を読んでいくと、左手が生協から、長塚呉服店、幸寿司、食堂『十八番』。  右側が、『ときわ』、バーエルボン、喫茶ポニー、時計眼鏡…
昼下がりの駅前風景 思い出の街角

昼下がりの駅前風景

昭和45年頃、左手前に消防署。正面にズリ山、栄町商店街。    やっぱり人々が写っている大夕張がいい・・・。  買い物かごを下げたエプロン姿のおばさん達がなつかしい。夏の太陽が照りつける日の昼下がり、遠方に見えるアスファルトの端がゆらめき、そこには逃げ水が出来きている,  逃げ水を追いかけた道路を、…
栄町商店街(川西商店・森永薬局・矢口時計店・福川メガネ・伊藤金物店) 思い出の街角

栄町商店街(川西商店・森永薬局・矢口時計店・福川メガネ・伊藤金物店)

 昭和39年頃の商店街。  雪解け時期でしょうか、水を含んだ雪を除雪している様子の人の姿や店先に立てかけたスコップが見えています。  店舗はけっこう入れ替わりが多く、年代によってその名を変えているようです。  写真では、おそらく手前から「かわにし」「森永薬局」「矢口時計店」「福川眼鏡店」「伊藤金物店…
昭和48年 松本菓子店前の歩道 楽しかった日々

昭和48年 松本菓子店前の歩道

昭和48年、閉山が決まった年の夏。栄町商店街の一角。松本菓子店の前。 隣が佐藤時計店(キンセイ堂)。向かいには、購買会から続く、7軒の商店が写っています。 歩道を歩いている当時の目線を思い起こします。 「こんにちは」と声をかけたくなる写真です。栄町商店街の街のひとこま。 商店街の歩道。三輪車に乗った…
昭和52年 栄町商店街(理容フレンド前から) 思い出の街角

昭和52年 栄町商店街(理容フレンド前から)

昭和52年6月 理容フレンドの角から、栄町商店街の方を見る。奥に三菱購買会。 昭和52年6月の写真。閉山後4年ほど経った時期。 お祭りの飾りつけなどもありまだ多くの住民の人が住んでいた。 この頃、鹿島は3000人ほどの人口であった。 反対側から『理容フレンド』を見た写真。 https://ooyub…
吉井快生堂・エルボン 思い出の街角

吉井快生堂・エルボン

昭和40年代、大夕張の駅前通り。大夕張郵便局から続く商店街。炎天下、水遣りのあとだろうか、道路が水に濡れている。北海道の山間の町でも短い夏の陽射しは強かった。 吉井快生堂の栓抜き 【泊川俊徳】(2006/06/19(Mon) 11:27) 毎年 正月初売りには景品が貰えると言うので、たいして必要でも…
大夕張スタンプ 陳列棚

大夕張スタンプ

 昭和40年代。大夕張駅前では,にぎやかに有線放送が流れていました。商店街では、大夕張スタンプがありました。買い物をするとシールがもらえて,台紙に貼ってためるというものです。  ためると、ちょっぴりお得な気持ちになって、買い物が楽しくなった当時のお母さん方も多いでしょう。もちろん、我が家も集めていま…