街の行事 大夕張駅前通り 山神祭 大夕張駅前通りを、ボーイスカウトから続く御輿。商店街の看板類から、昭和45年の頃の駅前通りかと思われる。協和会館前の掲示板には、組合の広報用のポスターだろうか、いっぱいに貼り出されている。 大夕張駅前から、協和会館までの商店街の左右の並びは、下のタグの『駅前商店街』で一覧表示できる。 白黒写… 続きを読む
思い出の街角 昭和45年千年町駅前の通り 昭和45年頃の千年町駅前の通りで、バス通りの裏通りにあたる。 願正寺の向かいの郵便局や交番のある商店街のバス通りは、酒屋や飲み屋、商店が軒を連ね、中学校行きのバスが走るメインストリートだったのに対して、病院、床屋、新聞店、風呂屋などの生活のにおいがする通りだった。 昭和43年の地図では、右手前… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 大夕張炭山 昭和45年 白黒写真に着色した画像 大夕張炭山 No.8 三菱大夕張炭鉱ポケット(大夕張炭山) 【奥山道紀】2002/11/21(Thu) 20:27 炭鉱は地下深い切羽から採炭した石炭を斜坑や立坑で、地上へ運び出し選炭後、貨車で各消費地へ送り出します。地上ある巨大な選炭工場や積込ポケット、発電… 続きを読む
思い出の街角 明石町14丁目の広場 昭和45年 夏には盆踊りも行われたという広場 明石町の浴場のとなりにあった広場に、マイクロバスの車庫があり、マイクロバスで、一番方、二番方、三番方の送迎をしていたという。 ここの広場がその場所であるかはわからない。 白黒写真に着色した画像 広場でボール遊びをする女の子たち… 続きを読む
思い出の街角 協和会館前から大夕張駅前通り 正面に大夕張駅。協和会館前あたりから撮影した写真だろう。 左手前の大きな建物が,大夕張炭鉱労働組合の事務所。建物の前には三台の自家用車が停まっている。 駅に向かって、順に、北海道労働金庫大夕張支店、『東芝カラーテレビ』の看板がかかる高橋電器店、谷野書店の建物が続く。 白黒写真に着色… 続きを読む
思い出の街角 駅前商店街 -荒川商店・あいば食堂- 長谷川さんの『食憶』に残る駅前商店街を含む「あいば」さんの思い出から。 閉塞的社会環境の食文化論 【長谷川 潤一】(1999年7月26日) 「バクダン」の匂いで、私めの食欲というか大夕張での食憶がムクムクと・・・。 ・あいばさんの5円アイス。 少し辛目のカレーやカツ類などが美味しかった。 ・池田屋… 続きを読む
思い出の街角 岳富町の坂 (緑町から岳富町方面) 昭和48年頃、岳富町方面。 ここは、かつて宝沢と呼ばれる沢地だった。 父母の年代は、岳富町と呼ぶより、『たからざわ(宝沢)』と呼ぶ方がしっくりしていただろう。 昭和40年代、少年たちが自転車にのって、町を走り出した頃、駅前から千年町方面にいくには、この坂道を風をきってとばしていた。車は滅多に通… 続きを読む
思い出の街角 駅前商店街から大夕張駅 昭和45年から閉山の頃にかけての撮影のようだ。 昭和45年頃、大夕張生活協同組合と鹿島旅館との間の道路中央に立って大夕張駅を正面に見ている写真。 写真を大きくして、看板を読んでいくと、左手が生協から、長塚呉服店、幸寿司、食堂『十八番』。 右側が、『ときわ』、バーエルボン、喫茶ポニー、時計眼鏡… 続きを読む
街の行事 子ども御輿 (信用金庫と拓銀前) 昭和44年頃 山神祭。駅前を行く、子ども御輿。 手前から拓銀、隣に夕張信用金庫の大夕張支店 この写真の構図は歩道橋から写したものでしょうから、昭和44年頃 拓銀は、平成9年(1997年)11月17日、経営破たんというかたちで、1900年以来の歴史にピリオドをうつことになってしまいました。 【北海… 続きを読む
思い出の街角 昼下がりの駅前風景 昭和45年頃、左手前に消防署。正面にズリ山、栄町商店街。 やっぱり人々が写っている大夕張がいい・・・。 買い物かごを下げたエプロン姿のおばさん達がなつかしい。夏の太陽が照りつける日の昼下がり、遠方に見えるアスファルトの端がゆらめき、そこには逃げ水が出来きている, 逃げ水を追いかけた道路を、… 続きを読む
思い出の街角 展望台付近を行く列車 昭和45年11月 シューパロ湖畔の展望台付近を行く大夕張炭山行の列車。手前のぬかるんでいる辺りが展望台前の駐車場にあたる。 白黒写真に着色した画像 『山火事注意 大夕張営林署』の看板の向こうに『湖畔亭』と小公園等の施設がおぼろに見えている。… 続きを読む
駅前商店街 昭和45年 駅前商店街 住宅地図 昭和45年頃の駅前商店街を中心にした住宅地図。昭和48年の閉山直前の地図。上が北方向。礦業所方面。 【改定の記録】 ・2021年3月28日 商店と施設の位置を修正。協和会館までの範囲を掲載… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 旭沢橋梁 大夕張炭山 11:40発 昭和45年 白黒写真に着色した画像 大夕張炭山からやってくる列車、明石町側から 山の中に消えた汽笛 【長谷川潤一】 昭和45年くらいに大夕張炭山駅11:40発の列車をとったものです。 大胆な混合列車の編成(人も石炭も同じ扱い)という、いかにも北海道の炭坑の鉄道という写真です。 のんびりした昼下… 続きを読む
思い出の街角 代々木アパート 白黒写真に着色した画像 鹿島小郷土室にあった写真。背景から閉山時に撮影したものと思われる。昭和30年の建設以来、平成の住民立ち退きまで存在した建物でもある。 大夕張における最高層建築物。 昭和30年暮に1棟24戸,鉄筋コンクリートづくりで建てられました。 間取りは,6畳,4畳半,台所,物置,そして大… 続きを読む
思い出の街角 昭和45年 歩道橋 昭和45年、岳富町方面から歩道橋 まだ春先。歩道橋には「春の交通安全運動」の横断幕。山には、雪が残り、道行く人もコートを羽織っている。 白黒写真に着色した画像 歩道橋の向こうに大夕張駅前を発車する三菱バスと、栄街商店街が見えている。… 続きを読む
思い出の街角 泉町から大夕張駅 昭和45年頃、雪の大夕張。泉町の方向から撮影されたもの。 歩道橋と写真には写っていないが、鹿島小学校との間に、この写真ではまさに先頭のSLが通過しているあたりになるが、そこには、遮断機と踏切が設置されていた。 雪に埋れた鹿島小学校下。夏のお祭りやお盆の時期には出店で賑っていた 町ごと消えた大夕張炭山… 続きを読む
昭和 1970年(昭和45年) 1月 4日,8:10頃南本片第4立入で自然発火発生。 15日,午前4:50通洞硬捨場にて大久保組臨時夫罹災殉職。 16日,15:14頃,奥部南本片坑道南1卸捲立付近にて殉職者1。 24日,病院前,自動踏切警報機設置。 ポンプ車1台消防鹿島出張所へ配置。 3月 17日~21日,猛吹雪のため大夕張鉄道運… 続きを読む