思い出の街角 宝町 標語塔と住宅 1990年代、夏。 すでに炭鉱はなく、立ち退き間近な平成の頃。 宝町から岳富町へ続く緩やかな坂道の入り口ともいえるこの場所。 昭和43年の住宅地図や航空写真によれば、ここは宝町一丁目。炭鉱住宅が6棟建っていた。 かつて、ここの狭い空き地で三角ベースの野球を毎日のようにやっていた子ども… 続きを読む
訪問記 雪原の標語塔 2002年の冬、宝町。 深い雪に埋れる1月の大夕張。 この時、白い雪を被ったダム工事のための土砂の山が町のあちらこちらにできていた。 その中に、大夕張に残されていた生活の証の一つである標語塔が青い空を背景に屹然と立っていた。 左が岳富町、右に行くと千年町。 道路の岳富町側にやや下った… 続きを読む
写真 宝沢 晩秋 2001 そのむかし、宝沢は沢を埋め立て暗渠となり、その上に緑町と千年町を結ぶ道路を通した。 昭和7年の秋から翌昭和8年の1月にかけてのことだった。 戦後、そこにできた商店街と、新しく与えられた岳富という町のなまえ。 すでに町はなく、舗装された道路だけが宝沢の窪地に緩やかな弧を描き残っていた。… 続きを読む
訪問記 1999年6月1日の大夕張|飯田雅人 仕事の休みを利用して5才の娘を連れて大夕張に行きました。 明石町の高台の東高跡に行ってみました。かつての校庭に大きな水溜りができていて,おたまじゃくしがいっぱいいました。 蚊が飛び交い舞う中、子どもとオタマジャクシをすくってきました。童心にかえって、家で子どもと一緒に観察用です。その時、茶… 続きを読む
訪問記 宝沢 冬 2002 宝町の広場、集会所のあったあたりから、岳富町(宝沢)を間に緑町。 町はもうない。 標語塔に「人の子もわが子もみんな社会の子」という標語が読める。 それぞれの時代に掲げられたいくつもの言葉が、赤茶色に錆びた標語塔に重なり合って浮かび上がっていた。 唯一読み取ることのできたこの言葉が、地域に向けて発… 続きを読む
思い出ばなし 宝町の標語塔 | 湯浅純人 わが故郷大夕張・・・。 駆け回った野山、泳いだ川、遅くまで遊んでいてよく親に家から出されたっけ。 生まれてから中学校を卒業するまで住んでいた大夕張は、私にとっての原風景です。 ところで宝町の岳富町に下りていく所の広場にあった、 「子は宝 錦のこころ 千年まで」 という標語が書いてある塔(… 続きを読む
思い出の街角 宝町浴場・詰所・集会所 千年町方向から岳富町への緩やかな右勾配の坂の手前に、宝町浴場。 浴場・宝町詰所・宝町集会所の順に三つの建物があった。 掲示板の隣に詰所、影になっていてよく見えないが、集会所だろう。 集会所のやや後方、宝町の1丁目、標語塔が建っているそのあたりに住宅が6棟あった。 夕方、中学校から帰宅途中の… 続きを読む