月: 2020年5月

1954年(昭和29年) 昭和

1954年(昭和29年)

1月 18日,鹿島東小校舎増築(教室2) 26日,緑町に天理教北真夕分教会創立。(創立者出雲喜一岩手県より夕張に来り,北夕夕張鉱に勤務。天理教に入信し昭和3年奈良県天理市にある天理教本部に修養のため6ヶ月の教育,大夕張で布教を始める。) 29日,大夕張駅に売店開業。 大夕張鉱本坑排気立坑堀鑿開始。4…
大夕張つれづれ■列車を止めた熊■|高橋正朝 #4 大夕張つれづれ

大夕張つれづれ■列車を止めた熊■|高橋正朝 #4

昭和39年だったと思いますが、 その年の2月、大夕張は大雪になり、明石町と南部の間が雪崩で汽車が不通になったことがありました。 期間はハッキリ覚えていませんが、一週間ぐらい汽車が通らず、野菜や他の食料品が鹿島に入荷しなかったことがあります。  ホント、鹿島というところは陸の孤島でした。 私は、 夕張…
シューパロ湖 ボート風景 映像

シューパロ湖 ボート風景

「石炭の街ゆうばり」北方資料デジタルライブラリーより(画像にリンクを貼っています) 道立図書館内の北方資料デジタルライブラリーの中に収録されています。ふるさと動画DVDとして1960年代の道内の市町村の動画を貸し出ししています。 このビデオは昭和40年「石炭の街ゆうばり」(STV制作)のダイジェスト…
山神祭 行灯・提灯 陳列棚

山神祭 行灯・提灯

礦業所の提灯 写真の道端に立つ行灯は,懐かしく忘れられないお祭りの光景の一つです。 この行灯は、毎年、町内から各家庭に半紙が配られて、それに自分も下絵や文字を描き、色をつけるなどして参加した記憶があります。 道端にたつ行灯 街の人々が手書きでみんなが参加していた盛大なヤマのお祭りでした。…
大夕張つれづれ■北海道弁■|高橋正朝 #3 大夕張つれづれ

大夕張つれづれ■北海道弁■|高橋正朝 #3

昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。 私が大夕張に住んでいた例年の今頃の季節(11月)は、 初雪が降るか降らないか、 という時期でした。   以前に比べると、 北海道も気温が高くなってきているようですが・・・・・・ 真冬に風…
シューパロ湖 貸しボート券 陳列棚

シューパロ湖 貸しボート券

シューパロ湖貸しボート券  【奥山道紀】 シューパロ湖の「貸しボート券」が出てきました。 200円と記載されていますが、昭和50年代のものと思います。 大夕張ダムによる「シューパロ湖」の登場により1962(昭和37)年2月には夕張岳と周辺一帯が「富良野・芦別道立自然公園」として指定されました。 付近…
お祭りの紙桜 陳列棚

お祭りの紙桜

祭りの時期になると,各家庭にこのような飾りが数本配られ、どの家でも玄関の軒先に取り付けていきました。 隣近所から各町内の家々の玄関はピンク色の花で飾られ、いやがおうにも子ども達の気分は盛り上がっていくのでした。 紙 桜 【Kawauchi Masami】 かあさんが お祭り近くになると 池田食堂の前…
大夕張つれづれ■アリ地獄■|高橋正朝 #2 大夕張つれづれ

大夕張つれづれ■アリ地獄■|高橋正朝 #2

私は昭和23年11月生まれですが、 子供のころは夕張メロンという名称はなかったと思っています。 そのかわり、 アジュウリというものがありました。  今考えると、 味瓜という漢字を当てていたのかもしれません。  メロンと同じ味がした記憶があります。  メロンの一種だったのでしょうか・・・ 。  小学校…
大夕張つれづれ■自己紹介■|高橋正朝 #1 大夕張つれづれ

大夕張つれづれ■自己紹介■|高橋正朝 #1

「大夕張つれづれ」について 「ふるさと大夕張(1丁目1番地)」に住民登録のコーナーがありました。高橋正朝(たかはしまさとも)さんは、2006年の初投稿以来、あしかけ11年、数十回にわたって、大夕張のことを念頭に、日々の生活について綴り、読む人を楽しませてくれました。 「ふるさと大夕張2丁目3番地」へ…
キリスト像と花壇の前で 思い出の街角

キリスト像と花壇の前で

キリスト像と花壇の前で 【福山美佐子】 昭和48年か47年の夏の写真です。新国道が通っている今は、道の右側にひっそりと台座だけが残っています。 『鹿島小学校入口』と言う看板が右側にあります。 その手前のガードレールの外側に、木に埋れてあります。 鹿島小グランドから教会に向かって上がる階段も健在です。…
石炭のはなし|Kawauchi Masami 思い出の記

石炭のはなし|Kawauchi Masami

当時、あちら こちらに有った 石炭の彫刻です。  三菱大夕張の石炭は炭質が良く 手で触るとボロボロに崩れてしまい 彫刻出来ませんでした。 写真のものは 北炭登川炭鉱の 目無し炭と言う 崩れる目の無い非常に硬い石炭です。  残念ながら写真しか有りませんが 当時彫刻が流行っていて 鉱業所に 会社のお土産…
キリスト像-カトリック教会前- 思い出の街角

キリスト像-カトリック教会前-

鹿島小学校横の土手上にあった大夕張カトリック教会の前のキリスト像。日曜学校など終えて教会の玄関を出てくると目の前にこの両手を広げたキリスト像が建っていたのでした。 大夕張にあったただ一つの像ではなかったでしょうか。余談ですが、祖父の勤務していた夕張市の富野小学校には、二宮尊徳像がありました。私の知る…
三菱大夕張礦業所幼稚園 学び舎の思い出

三菱大夕張礦業所幼稚園

絵葉書から 炭鉱病院横にあった幼稚園の建物と思われる 昭和8年、三菱大夕張炭砿病院横に建設。戦後昭和21年に、栄町3丁目に移転。当時には珍しく、乳幼児を預かる施設が併設されていたという。その後、栄町公園横に移転。写真は戦前に発行された絵葉書。…
思い出ばなし 宝沢のトンネル 思い出ばなし

思い出ばなし 宝沢のトンネル

鹿島小学校の裏手を流れる沢がありました。宝の沢(宝沢)という沢です。緑町と宝町を結ぶため道路が出来て埋めたてられ、沢水を通すためのトンネルが出来ていました。そんな宝沢のトンネルのお話です。 昭和33年の大夕張の資料から。泉町の宝の沢の周辺に色づけ。緑ヶ丘と錦町をつなぐ橋は地図上にはありませんでした。…
昭和40年 バス車内風景 運んだ、石炭を人を

昭和40年 バス車内風景

昭和40年頃  中扉で車掌さんがいる三菱バス。懐かしいです。後ろの二つ窓がついているタイプのバスも強く印象に残っているバスです。マイクのコードが伸びています。団体の慰安旅行でしょうか。  想像を膨らませて、この写真を見てみることにしましょう。  今バスは、乗客を乗せて、車庫前を出発するところです。窓…