月: 2020年11月

大夕張を訪ねて(その2)-1997年8月大夕張-|乗田功一 訪問記

大夕張を訪ねて(その2)-1997年8月大夕張-|乗田功一

 先に投稿しました、1997年8月21~23日、3日間の大夕張行きの続編です。  閉校式から2カ月経った鹿島小学校は、新学期も始まり今も変わらず授業が行われているようです。  グラウンドの富士見町寄り、校門があった近くに真新しい閉校の記念碑が建てられていました。裏側には在校生12名の名前と、「閉校 …
外遊び ドッジボール(代々木町) 楽しかった日々

外遊び ドッジボール(代々木町)

昭和38年頃。外便所前でのドッジボール。向こうに代々木アパートが見えています。代々木町から南方向を見ている。 外便所前でドッジボール  【宮内文人】(2020年8月30日)  外便所の前でドッジボールをしている様子です。  家の前はまだアスファルト舗装がなかったころで、釘さし、ビー玉、ケンパなど、と…
夕張東高校教員住宅 楽しかった日々

夕張東高校教員住宅

昭和40年頃 明石町 夕張東高校教員住宅。男の子の周りにうつる周囲のもの。モビール、窓の柱にかかる状差しや札、グローブや袋など、床の畳と、上に敷かれたビニールカーペット。当時の暮らしを伝えます。 白黒写真に着色した画像   東高教員住宅の窓側 居間の写真  【工藤 央】 夕張東高教員住宅の土間を上が…
夕張東高校教員住宅の小さな兄弟 楽しかった日々

夕張東高校教員住宅の小さな兄弟

昭和39年頃 明石町 教員住宅内部がうつった写真。大きな鍋(湯沸かし)のかかったストーブや冷蔵庫、台所まわりなど、当時の生活ぶりがうかがわれます。 白黒写真に着色した画像   東高教員住宅 玄関側 居間の写真  【工藤 央】 夕張東高教員住宅の土間を上がった居間の部分です。…
大夕張を訪ねて -1997年8月大夕張-|乗田 功一 訪問記

大夕張を訪ねて -1997年8月大夕張-|乗田 功一

 昭和48年の閉山まで栄町に住んでいました。  8月21~23日にかけて、大夕張へ行きましたので報告します。  曇りがちで、時折雨がパラつく、あいにくの天気でしたが、ゆっくりと街を見て歩きました。  閉山以来、3年前に初めて行ってから、これで4度目ですが、行く度に街が寂しくなっていくのを感じます。 …
無犯罪証明書|高橋正朝 #13 続・大夕張つれづれ

無犯罪証明書|高橋正朝 #13

 『 無犯罪証明書 』そのものは、大夕張にはなんも( 懐かしい北海道弁 )関係ない。  『 まぼろし探偵 』のラジオ番組を、大夕張での子ども時代に聴き、『 まぼろし探偵 』の正体は誰かで、私が言った「 指紋を検べればいい 」という話から、私の指紋は警視庁に保管されているということに話が流れ、その経緯…
栄町プール(子供用)とブロック 思い出の街角

栄町プール(子供用)とブロック

誰もいないプール。 前面には水が満々とたたえられたプール。背景には、ブロックと呼ばれた栄町アパートが建ち並ぶ。 カメラを構えた父はどんな思いでカメラを構え、この構図を決め、シャッターを押したのだろう。 昭和40年頃 栄町プール 隣のおじさん  【みほ】(2020年11月15日)  この写真は、確かお…
聖心幼稚園、鹿島小学校の記憶 |菅井宏史 思い出ばなし

聖心幼稚園、鹿島小学校の記憶 |菅井宏史

 1998年・・・。  ついに無人の地となった我々のふるさと大夕張。それでもふるさとはふるさと。やはりそうなってもまだ行きたい、行かなければという思いに駆られます。  ただそうしたくてもそうおいそれとは行けない人が多いのも事実です。  私もその一人です。普通はそれで終わりなのでしょう。そうしてその故…
《思えば遠くへ来たもんだ》 |美佐子 随想

《思えば遠くへ来たもんだ》 |美佐子

  37年前の今日、東京に出て来ました。  大夕張 千年町の自宅前から、従兄弟の車で札幌まで送ってもらい、札幌の親戚の家に挨拶に行き、札幌から函館まで列車に乗りました。確か「ゆうづる」という列車だったと思います。  札幌駅には、おばあちゃん、叔母達、従姉妹が見送りに来てくれました。  叔母が「もうし…
竹馬遊び 代々木町 昭和37年 楽しかった日々

竹馬遊び 代々木町 昭和37年

昭和37年頃、代々木町の一角での竹馬遊び。庭には、漬物の準備でしょうか、漬物樽と漬物石3個が、積まれた白菜らしき物のそばに置いてあります。  竹馬遊び 【宮内文人】 2020年8月30日  竹馬に乗っているところです。  近くにいる男の子はガキ大将的な存在の・・・名前はちょっと忘れましたが、よく一緒…
雨の日の栄町アパート 思い出の街角

雨の日の栄町アパート

昭和52年8月。栄町1丁目20-13。 山間のにぎやかだった頃の街に住んでいても、雨がふったこんな日は、手がとどきそうなくらいに低く雲がかかり、なんとなくもの憂げで悲しく、陰気な気分にさせられる・・・。この写真を見て、子どもの頃に感じた気分、ふと思いだしました。…
父と私 楽しかった日々

父と私

昭和29年(1954年) 父と私  【Kawauchi Masami】(2020年11月11日)  場所はわかりませんが、この写真は、私が0歳だと思います。  父は32歳で、大夕張の社宅(長屋)が空いてなくて、千年町に独身寮が有ったそうです。  私が2歳の時、母親と兄弟は、南清水沢の実家から、大夕張…
戦後まもない頃の母の鉄道の思い出|飯田雅人 思い出ばなし

戦後まもない頃の母の鉄道の思い出|飯田雅人

  私の母から聞いた話です。 『山史』(三菱大夕張鉄道58年史)の中に、「雪害事故」と題して次のような記述があります。  昭和21年3月14日、融雪期にもかゝわらず夕刻より重量ある湿雪が降りはじめ、15日に至るも止まず、蒸気機関車3両をもって運転する。  ラッセル車も及ばず、線路両側は、数メートルに…
心根地 第三章 夕張岳より|今井一郎 随想

心根地 第三章 夕張岳より|今井一郎

 彼が、南部に移り住んでから一年になろうとした頃、南部のヤマ元で事件が起こった。  昭和六十年六月五日午後三時四十分頃。三菱南大夕張砿南一卸七方付近で起こったガス突出事故が発端であった。そのガス突出事故に坑内火災が加わった。  炭砿の坑道は地下に網の目の如く掘られている。そして、坑道一本一本に名称が…
池田屋食堂 昭和25年 思い出の街角

池田屋食堂 昭和25年

昭和25年。栄町。池田屋食堂開店祝いの記念写真。店主の池田準太さんと八重さんを中心に従業員の人たち。 開店祝いのチンドン屋さんの姿も。商店の開店や大売り出しの時には、鐘や太鼓が、威勢良く鳴り響き、よく見かけたものです。 白黒写真に着色した画像   池田屋食堂と、映画『塩狩峠』のロケの合間 石原 賢治…
まぼろし探偵と指紋|高橋正朝 #12  続・大夕張つれづれ

まぼろし探偵と指紋|高橋正朝 #12 

 私がマンガ雑誌を毎月買うようになって、最初の2年ぐらいは、「 少年画報 」だった。  その当時、マンガ雑誌としては最も売れていたと思われる。  『 赤胴鈴之助 』が人気沸騰し、『 ビリーパック 』があり、手塚治虫 の『 スーパー太平記 』、それに、桑田次郎 の『まぼろし探偵』が加わった。…